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バイバイバタフリー

小学校三年生くらいのときの話である。
私は自宅の庭にあるミカンの木で、蝶々の幼虫を発見した。
この発見は小学生の私にとってまさしく「出会い」とも呼べるもので、しばらく私は息をすることも忘れその幼虫を眺めていた。
(この「出会い」の感覚は、大学生になり美術館に通い出した私が、そこで目にする絵画によっても想起されることになる。)

好奇心以上の何かに突き動かされ、私はその幼虫を飼育することを決めた。
すぐさま、飼育籠が用意され、その幼虫はしんみりとくっついているミカンの枝葉と共に慎重に籠の中へ入れられた。

飼育と観察が始まった。
幼虫から蛹へ。蛹から成虫へ。
その変態の不思議さは、特別な魅力となって私を興奮させた。
その思い出を今ではほとんど忘れてしまったけれども、小学生の夏休みのどの宿題よりも、貴重で意義深いものであったのは間違いない。

はっきりと覚えているのは、別れのときである。
ある朝、起きてきた私は祖母に案内され、飼育籠の中で羽をばたつかせ今にも外の世界に飛び出そうとしているクロアゲハを発見した。なんとも鮮やかな黒色であった。
私は少しの躊躇の後、籠の蓋を開けて蝶を逃がした。蝶は数秒も経たないうちに私の見えないところに飛んで行った・・・。

感無量という経験を私はおそらく生まれて初めてしたのであった。

そのときからというもの、私はクロアゲハの成虫に文字通り好かれるのであるが、このことは勿論、誰にも話していない。
虫に好かれるという話など聞いたことがないと一蹴されるのがオチだからである。
私は生物学に詳しくはないので、フェロモンだとかそういうものの影響かなとは思っているものの、一生謎のままで終わりそうである。

私のこの一夏の出会いと別れは、十五年以上が経過した今でも鮮やかに思い出され、
籠の中で羽ばたいていたバタバタという音は私の記憶の一角を占めて、私に生命というものを感じさせる象徴の一つになっている。

他の命を育てる経験ーそれはある意味でその命の支配者になる経験ーは、少年の私に何を教えたのだろうか?
少なくとも「生命の神秘」という、よく言われる言葉ではないのだ。私は熱心だったのだから。そして切実だったのだから。
クロアゲハは、私にその出会いと別れの記憶を繰り返し思い出すことを教えた。それで十分なのである・・・。

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早川 あすむ

東京に暮らす社会人。 半生や考えたことや本の紹介を書いていきます。 何かございましたらお気軽にどうぞ→ hayakawa.asumu1991@gmail.com

私の半生記

半生を綴った記事です。
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