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3話 鶴喰のまつり

現在の鶴喰は上鶴、中鶴、下鶴の3つの地区から成っています。しかし、詳しくは別の稿に譲るとして、昔は、上鶴と下鶴の2地区でした。いつの時代か、中鶴が上鶴から分離して現在に至っています。狭い地域ではありますが、芦北方面から流れてきた上鶴(と中鶴)と球磨方面から流れて下鶴とでは、地元民でしか感じ取れない地域性の違いが今でもあります。そして、その違いはまつりにも現れています。

■ 4月21日 お大さんまつり(上鶴、中鶴、下鶴)

上鶴、中鶴、下鶴、それぞれに小高い山にお大さん(御大師様、弘法大師空海)の祠を持っています。

鶴喰の神仏の中で、お大さんの位置づけが一番高く、したがって一番高い所に祀ってあります。まつりの前日に参道の草払いと掃除をし、個人名の入った奉納旗を立てます。

高齢化が進んだ今では、この小高い山に登ることができないため、それぞれの公民館で祝います。しかし、昔は、祠の前の広場にシートを敷いて宴席を設け、各家庭で作った料理を持ち寄って分け合いながら、暗くなっても唄い踊りました。ちなみに、お大さんまつりには、紅白も餅を搗いて各家庭に配ります。

■  7月1日 願立まつり(上鶴/中鶴、下鶴)

7月に入ると願立てまつりがあります。秋の豊作に願を立てるまつりです。日取りは同じですが、まつりのやり方が上鶴/中鶴と下鶴とでは違います。

上鶴/中鶴は、堂さんでおみくじを引きます。おみくじは、“宮ごもり”と“踊り”の2種類です。その意味するところ、“宮ごもり=あまり豊作でない“。これを引くと何もせず、堂さんに籠もってひたすらお酒を飲みます。一方は”踊り=豊作“。これがでるとみんなで踊りを奉納して祝います。
ちなみに、上鶴・中鶴の堂さんには、観音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天の三つを祀られています。

一方、下鶴は、地蔵菩薩を祀ってある堂さんにお参りし、豊作と地域や家族の無病息災の願を立て、夕方、地蔵さんに上げた御神酒をいただいて宴席が始まります。

■  7月 夏土用入り日 川まつり(上鶴、中鶴、下鶴)

川まつりは、水の神様を祀る儀式です。ニガマ竹の若竹の一節を切ったものを3本まとめて稲わらで括り(これを“かけぐり”を呼ぶ)、それに御神酒を注ぎます。井戸、水道、田んぼへの取水口など、日頃水を良く使う所に“かけぐり”を飾ります。川まつりの日は、土用入の初日です。従って、毎年、まつりの日は一定していません。

■  9月18日 願ぼときまつり(下鶴のみ)

7月1日に立てた願”をほとき、感謝するまつりです。前日の17日払暁には6本の奉納旗が立てられます。旗立てのあと土俵が作られます。下鶴の地蔵さんは、“子供”と“相撲”が大好きだと言われています。そのため、土俵(方屋:かたや)を作り相撲を奉納していました。

30年ほど前までは、旧暦8月15日に当たる日に十五夜に綱引きをやっていましたが、その綱を使っていました。綱は、選(すぐ)って、束(たば)ねて、捩(よじ)った稲わらを綱に編み上げます。それを蜷局(とぐろ)状に8周半の長さまで巻き上げます。夕闇の中、綱引きが行われます。この綱は、この日まで保管され、土俵の俵に使われました。

この頃の奉納相撲は、非常に盛大で、よその地区の若者も遠征してきます。下鶴の婦人は豆飯のおにぎりをふるまい、かがり火を焚いて夜まで相撲をとったそうです。しかし、現在は綱引きの行事もなくなり、土俵の俵も稲わらをそのままつなぎ合わせたものになってしましました。加えて、奉納相撲をとる若者や子供がいなくなり、土俵だけを奉納するだけになってしまいました。

■  9月18日 観音さんまつり(上鶴/中鶴のみ)

下鶴の願ぼときまつりと同日、上鶴/中鶴では観音さんまつりがあります。上鶴/中鶴の堂さんには、観音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天の3体が安置されています。観音菩薩は、人々の声を観じて(感じとって)その苦悩から救うという慈悲深い菩薩です。ちなみに、音を観じる(人の姿を正しく見る)ことから観音という名がついたとの事です。

まつりは、前日早朝に2本の奉納旗を上げ、夕方から堂さんに集まって宴席が設けられます。

■  9月24日 堂さんまつり(上鶴/中鶴、下鶴)

地区の無病息災を見守る地蔵菩薩は、人々苦難を代わりに受けて救うとても慈悲深い仏様で、鶴喰住民の日常生活に密着した信仰対象となっています。下鶴の地蔵さんは、百済来地蔵堂からの分祠といわれ下鶴の堂さんまつりでは、子供好きな地蔵さんに、9月18日の願ぼときまつりと同様、前日に土俵を作り相撲を奉納していました。また、イボに効くとも言われ、昔はイボを取りたい人がよくお参りにきていました。

■  9月25日 天神さんまつり(上鶴、中鶴、下鶴)

天神様は、上鶴/中鶴共同お堂と下鶴のお堂に祀られています。天神様と言うと、学問の神様である菅原道真公を連想されがちですが、鶴喰の天神様は、その趣が異なっているようです。というのは、天神様は、もともと雷神をさしていたとされています。鶴喰では、雷を畏れ、稲妻とともにやってくる雨の恵みを司る農耕の守護神として信仰の対象となったと解釈するのが自然です。

鶴喰にとって、農業、特に稲作は最も大切な産業であり、米の豊作を祈願して建立されたものでしょう。まつりは、前日の払暁に奉納旗を立て、参道とお堂の掃除をします。御神酒を上げ、夕方から宴席を囲みます。

■  9月27日 毘沙門天まつり(上鶴/中鶴のみ)

9月の最後のまつりは、毘沙門天まつりです。これは、上鶴/中鶴のみで下鶴にはありません。毘沙門天は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武人です。

鶴喰のような山里に、何故武神である毘沙門天が祀ってあるのでしょうか。すると、中世にあった上鶴城(鶴見城)が思い浮かばれます。城があると言うことは、そこに武門の家がったということです。この武門の家の信仰対象として毘沙門天が祀られたと容易に想像できます。まつりは、上鶴/中鶴の人々が堂さんに集まり、飲んで食べて唄って踊って御祝しました。

9月には、上鶴/中鶴で4回、下鶴で3回のまつりがあります。鶴喰のまつりは、全て旧暦の日取りを新暦に置き換えたものです。したがって、旧暦の9月は今の10月に当たります。10月と言えば、鶴喰にとって最も重要なイベントである収穫(稲刈り)も終わる時期です。そして、豊作を神様・仏様に感謝、自分の身体を慰労の時であったろうと思います。

■  12月16日 山ん神まつり(上鶴/中鶴、下鶴)

一年の最後のまつりが山ん神まつりです。

鶴喰の主産業は農業と林業です。農作業の合間には山仕事が待っています。山は、家を普請する材木のみならず、燃料となる薪や柴の供給場所でもありました。山ん神まつりは、山作業での安全を見守ってくれる山の神様に感謝するまつりです。

上鶴/中鶴に一つ、下鶴で一つの小さな祠があり、前日には参道と祠の掃除をします。当日早朝に、米粉で練ったダゴを椎の木の葉っぱに載せ、それに甘酒を垂らしたものを御供えし、一年の山での安全を感謝し、来る年の安全を祈願します。

この日は“山止め”と言って山仕事が禁止されていました。それでも山で仕事をしようとする人を監視するため、若者が巡回して見張っていました。また、山ん神まつりは、一年の忘年会も兼ねており、かっては、他の地域の人達もやってきて、それぞれが知人の自宅に上がり込み、深夜までお酒を飲んだそうです。

鶴喰はまとまりが良い地域です。そこには、鶴喰住民が神仏を数多く祀り、そして、まつりを通じて祈り、感謝し、飲み、食べ、唄い、踊りながら、地域としての一体感を醸成してきた文化が背景にあるのだと思われます。


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