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家族との関係が苦しいものだったとしても、人生は自分で変えていける

家族は影響が強いだけの他人。
私は、そういうものだと思い始めている。

家族の情や血縁の繋がりを重視する人からしたら、ドライな考え方に感じられるかもしれない。

けれど、これは家庭環境と向き合って私が出したひとつの答えであり、家族の「軛」から自由になるための希望だとも思っている。

誤解しないで欲しいのではじめに断っておくと、親子の情愛、家族の暖かな絆、そういうものを否定するつもりは全くない。幸せな家族のエピソードは素直に微笑ましいと思うし、子育ても応援したくなる。

でも、それは「家族だから」幸せだというわけじゃないんだと思う。親子がうまくいきやすい相性だった場合や、親が子供を、あるいは子供が親を理解しようと努めた結果だ。

たとえば、親の立場なら、上の子は育てやすかったのに、下の子は手こずったり。子の立場なら、母親とはすごく仲が良いけど、父親とはうまく行かなかったりということもあると思う。

これは、人にはそれぞれ生まれながらに違いがあって、それによって相性があるからだと思っている。

血縁があっても、いわゆる「人間関係」と、ほとんど何も変わらない。
違う人間なのだから、仲良くできるとは限らないし、分かり合えるとも限らない。ましてや、言うことに従わなければいけないなんて道理もない。

ただ家族が他と違うのは「影響が強い」という一点。何故なら、幼い頃というのは何でも吸収しようとするからだ。

だから、良い影響も悪い影響もとにかく濃くて、強い。

家族と仲良くできること、家族を大事にできる事は素晴らしい。家族との関係でいい影響をたくさん受けられたなら、人生は早いうちに、充実したものになるんだと思う。

けれど、そうでない場合は、自分を責めてしまったり、家族以外に愛を求めるしかないのだと思う。往々にして、辛い思いをすることもある。

けれど、そういう人が必ず不幸になるかと言えば「それは違う」と私は言いたい。

むしろ早期に苦しい思いをしたぶん、頑張れば頑張っただけ、自分の力で人生を充実させられる可能性を秘めているはず。

家族との間に傷がない人なんていないと思う。

誰が見ても辛い家庭環境の人もいるだろうし、表面上仲が良くても影で傷つき続けた人もいるだろう。そうでなくても、どこかで相手の言葉に傷ついたものが癒えなくて、引きずっていることもあるかもしれない。

私も以前は、家庭環境の影響は一生続くものかもしれない、と思っていた。
この傷は、一生付き合うべきものなのだと。専門家でさえ「家庭環境で一生が決まる」なんて言う人がいるそうだ。

実際、影響はとても根強いから、何もしなければ一生続く。気付けたとしても、それを乗り越えるのは途方もない道のりのように感じる。そこで心が折れてしまう人もいる。

けれど、自分を変えようとするなら、人生は自分で舵をとっていける。

人間には、自分で自分の道を切り開く力が、ちゃんと備わっている。
何故なら人は生まれた時から、自立した一人の人間だから。

そして、先にも書いたけど、「人には相性がある」ということが、救いにもなる。

どんな相手ともうまくやっていける人なんて存在しない代わりに、どんな人にも「うまくやっていける相手」は必ず存在する。

私は場合はうまくやっていけない相手が家族だっただけの話。
そしてうまくやっていける相手が家族以外の人だっただけの話。

最近、占星術を学んで、なおのことそう感じている。

占星術では、誕生日の星の配置から、その人の生まれ持った能力や適性などがわかる。それは「出生図」と呼ばれ、魂の羅針盤や設計図のようなもの。

また、出生図同士を重ね合わせて、互いの相性を見ることもできる。

私は家族とは相性が悪い……もとい、穏やかではない配置だった。
両親、祖父母、兄……ほとんど誰ともそうだった。

けれど、私の出生図は生まれた瞬間のものであり、家族の影響を受ける前のものでもある。

つまり私が生まれ持ったものは、家族の影響では決して曇らない。
だから、気兼ねせず自分自身の人生を生きていこうと思うことができた。

でも、これを書きながら「それでもやっぱり親に自分の気持ちをわかって欲しかった」と涙がにじむから、人間とはかくも難しく面倒くさいものだとも思う。

けれど、そういう自分の面倒くささや複雑さもしっかり抱きしめて、未来に向かって生きていくのだと腹を括った。

もし今、家族との傷に気付き、向き合おうとしている人がいたら改めて伝えたい。

家族との関係が辛いなら辛いって言ってもいい。
過去に受けた傷とあなた自身は別のものだ。
同時に、家族のしたことと家族本人も別のものだ。
だから、辛いと言うことや逃げ出すことに罪悪感を感じる必要はない。

自分の根底にある傷に気付いたなら、もう半分変わったも同然だ。
その気付きが「求めた愛が与えられなかった」という絶望と共にあるものだったとしても。

破壊の後には再生がある。

自分の人生を生きたいと目を覚ましたなら、未来は如何様にも変えられる。

そして、その道程が果てしない苦難をともなうとしても、その過程に得たものは必ず生き抜くための糧になる。

そして自分の心からの望みに耳を傾けられれば、その先の人生は「手に入らなかった愛」よりも必ず豊かなものであるはず。

家庭環境の影響は一生続くなんてことはない。
だって、あなたの人生は、あなたのものだから。

そして、この世界にはあなたを待っている人が必ずいる。
それは家族でなかったとしても、あなた自身の魂のパートナーだ。

だからどうか、希望を捨てないでほしい。

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