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歪なプログラムと硝子の心。Fate/stay nightにおける「衛宮士郎」についての考察

この記事はFate/stay nightの主人公、衛宮士郎についての考察記事です。

劇場版HF2章とパンフレットに関するネタバレがあります。未視聴の方はご注意ください。
原作に関しては、桜ルートのみ劇場版より先の展開にはバレ配慮してますが、それ以外はがっつりネタバレしてます。

私は衛宮士郎(広義)が好きだ。はじめは、劇場版HF2章の士郎の表情の描写があまりにも良すぎて「3ルートの中でHFの士郎が一番人間らしいよ!!!」と、士郎の人間らしさについて語ろうとしたけれど、真剣に考えていたら「あ、やっぱり士郎の根っこは変わってないんだ」と思えてしまい、最終的にひたすら士郎の歪さについて語る記事になってしまった。

今回は「Fate/stay night」のみに絞って語っています。消化せずにはいられなくて、例のごとく長いのでお暇な方はお付き合いください。

この記事は劇場版HF2章公開を受けて一部キャラについて考察を書いているうちの一つになります。その他の感想・考察記事は下記マガジンをご覧ください。

美しき2ルートと士郎の理想

Fate/stay night(以外SN)については、前半2ルートは王道、桜ルートは異質とよく語られる。私も以前、紹介記事でそう書いた。でも、最近は「少し違う」と思えてきてしまった。

ここからの話は、これらの尊さを否定するものではない。この2ルートを、士郎を通して見た場合、手放しで「かっこいい!美しい!」とも言えないという話。

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まずセイバールート、Fate。
「自らの選択をなかったことにしたい」という歪んだ願いを持った騎士王は、士郎との出会いで少女の夢を叶え、過去に意味を見出し別れた。セイバーは救われたけど、士郎の理想については何も解決してないように見える。

士郎にとってセイバーは手の届かない星だったからこそ、あの別れが美しい。あの二人の淡い恋心は、現実では成り立たない。おとぎ話の「めでたしめでたし」が現実での生活ではなく二人にとっては現実での別れだった。ラスエピでは救いがあるけど、現実では士郎はセイバーとは幸せになれない。

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次に凛ルート、UBW。
これもかっこいいけど、やっぱり歪なかっこよさ。たしかに士郎の理想を追い求める姿が人々を救うことはあるだろう。しかしそれは、ともすればそれは現実から目をそらす歪さでもあるように思う。

このルートでは「ヒーローは誰が救うのか問題」について論じられているのに、誰もヒーローを救わないし、ヒーローはヒーローのままで構わないと腹を括ってしまう。

セイバーと違い、凛は未来を共に生きることで士郎の行く末を見守るだろう。凛がいる限り士郎がアーチャーになることはないが、士郎は荒野を目指し続ける。

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かつての衛宮士郎であるアーチャーも「大丈夫だよ遠坂」と言って笑顔で消えたけど、それは凛のためで、結局アーチャー自身は守護者のままで、救われない。

1/28追記。
結局、彼を守護者の運命から解き放つ事は出来ないので、そういう意味では「救われない」のだけど、answerを読むと、アーチャー本人は「間違えてなどいなかった」と納得しているので「救われた」と捉える事もできる。まあ、それでもしんどいけど。

「Fate/stay night」を衛宮士郎の物語として捉えると、前半2ルートにおいては士郎自身の理想は変わらないし、事実として叶う未来は訪れない。私はそれがしんどい。

では桜ルートではどうなのか、という話をこれからダラダラするのだけど、最初は「桜ルートでは人間になった」という話をしようとしたのだけど、考えているうちに解釈が変わってしまった。結論だけを先に述べておくと、前半2ルートと桜ルートはコインの表と裏のようなもので、桜ルートでは一見士郎が変わったように見えるけど、実は全ルート通して士郎の根底にある歪みは変わっていない。

私が衛宮士郎沼に落ちるまで

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桜ルートについて語る前に、衛宮士郎それ自体について語る必要がある。

衛宮士郎は、とても難解なキャラクターだと言われる。奈須きのこの言葉を借りるなら「士郎は人間のフリをしているロボット」だという。

この言葉については「基本のプログラムがあって、状況が変わってもそのプログラムに則って行動する」そういう部分がロボットのようだ、という意味だと私は解釈している。そして、そのプログラムはいくつかあって、代表的なのは「自分を顧みない」ということ。「誰かの為になれるのなら、その役目を果たそうとする。それがたとえ命の危険を伴うものでも」それが士郎の行動原則のひとつ。

……と、こうして士郎についてそこそこ語れる私だけど、以前は士郎が好きじゃなかった。アーチャーのことは好きだったけど、士郎については少なくとも今ほどは好きじゃなかった。

アニメUBWからFateにハマったのは4年前、仕事を辞めたばかりの頃。心はボロボロで、原作を最後までプレイして死ぬほど泣いたけど、話の内容を今ほど深くは理解できていなかった。

中でもとりわけ士郎についてはよくわからなかった。自己犠牲的な部分は自分と似ているけど、自分ならセイバーが傷ついていてもバーサーカーの前に飛び出すなんて、足がすくんでしまってとてもじゃないけどできない。

セイバールートの士郎には正直イライラさせられたし、そもそもストーリーを追うのに精一杯だったから、士郎に感情移入している余裕なんてなかった。

クリア後、いろんな人の解釈を読むにつれて、少しずつ士郎や作品に対する理解が深まっていった。士郎を理解しようとしたのは「アーチャーが好きだから、アーチャーの根幹も理解したい」という動機からだったけど、そのおかげで士郎の魅力もなんとなくわかってきた。

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原作をもう一度読み直したくなり、2周目をやった。そしてセイバールートでデートして喧嘩して仲直りした帰りにギルに襲われたシーンで、士郎が立ち上がろうとした時に、地の文に足が震えているという描写が確かあった。その時私は衝撃を受けた。「ああ、士郎も足が震えるんだ」と。その瞬間、「衛宮士郎」というフィクションのキャラクターが、等身大の男の子としてリアルに迫ってきた。

士郎は自己犠牲的だけど、恐怖心がないわけじゃない。不安がないわけじゃない。自分の命を顧みずにバーサーカーの前に飛び出したりするけど、恐怖心を上回る克己心や罪悪感、強迫観念が彼を突き動かしてるだけで、ただの17歳の少年なんだという解釈に至った。

その時私は、衛宮士郎という沼に真っ逆さまに落ちた。

衛宮士郎の歪みとアーチャー

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士郎は行動や感情のプログラムにエラーがあるだけで、感情がないわけじゃない。年頃だからそれなりに異性にも動揺するし。でも、びっくりするほど痛みに平気な顔をするし、自分を顧みない。誰かのために体を張れるのは、一見強いように見えて自分の気持ちを度外視した歪さからだ。それに加えて士郎は「一度決めたことは曲げられない」という歪さも抱えている。つまり、それらの歪みがあるからこそ、孤独なまま突き進めばアーチャーのような結末を迎えてしまう。

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衛宮士郎の揺らぎ、少年の葛藤や弱さを全て削ぎ落としたのがアーチャーだと思う。未来の衛宮士郎である彼は、表面上は似ても似つかないけど、掘り下げると彼も本質は変わらない。それでもアーチャーの方が人気なのは、アーチャーは活躍がかっこいいし、士郎に比べてわかりやすいからかもしれない。加えて、士郎の理想は実現が困難なのは事実なので、その理想に後悔しているアーチャーに読者は共感しやすいと思う。それに士郎よりは達観しているし、現実主義だからなおさら。

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けど彼もまた衛宮士郎だ。セイバールートでは士郎たちを逃がすために自らしんがりを買って出るし(帰らない前提)、凛ルートでは凛の勝利のために自分の立場を顧みない裏切り行為をするし、桜ルートでは私怨よりも状況の解決を優先する。

凛ルートでは状況が揃ったから最後まで生き残れたけど、それ以外では退き際をしっかりわきまえる。アーチャーの一番の目的は「凛を勝利させること」。そこだけはブレないから選択に迷いがない。そう、士郎を殺すことは最優先じゃない。このことからも士郎のプログラム「自分を顧みない」「一度決めた事は曲げない」が思い出される。

また無力な士郎と違い、主人を守る立場で戦う力もあるので、状況ごとに対処可能な選択肢を取っているように見えるけど、やっぱりそこに「自分を顧みる」という思考はないように見える。根っこに走っているプログラムは変わってない。それがあるから、あのラストであんな笑顔ができるわけで……。

そして先ほどアーチャーは現実主義と言ったけど、士郎もまた冷静で現実主義だ。頭の回転だって決して鈍くない。判断力もちゃんとある。それは地の文でよくわかるし、今回の劇場版ではとてもよく表現されていた。士郎のほうがヘタレに見えるのは、アーチャーほどの割り切りができなかったり、少年らしい葛藤があるから。

衛宮士郎沼は、アーチャーも含めて考えだすと、無限ループに陥る。

それに、士郎は切嗣を継ぐと決めた時点で人を殺すことに対しての覚悟を終わらせている。士郎はそもそも戦う事に躊躇いはない。戦う事に躊躇いがないということは、状況に応じて手を下す事にも躊躇いがないということ。士郎は聖杯戦争に巻き込まれたから戦っている訳じゃない。わかりやすい例で言うと、ランサーに襲われて土蔵に駆け込むところ、あそこは逃げてるんじゃなくて「土蔵に行けば何か武器がある」と思って土蔵に行くチャンスを伺ってた。つまり戦う気満々だった。

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あと、士郎は大事な人(家族)を傷つけられると激昂するという側面がある。それが度を越せば、友人でも殺す事を辞さない。各ルートで慎二を止めるために最終的に殺すことも考えるし、凛ルートで藤ねえを助けるために凛を殺すことを勘定に入れるほど。

そう言うと冷徹なようにも見えるけど、逆に言えば士郎は家族と認めた人はものすごく大事にするし、大切な人を守るために必死になる。大切な人との食事の時間も大事にする。それがどんな状況であれ。……そこも機械的だな。ちなみにアーチャーも、律儀に凛の名前を聞いたり、紅茶を淹れてあげたりする。ああもう、キリがない。お前ら、ほんともう、ばか!!!!

失礼、取り乱しました。

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私が思うに、衛宮士郎の魅力とは、そういう歪さと、等身大の少年らしさのギャップ。抱えた歪みと達観に対して、士郎本人の精神があまりにも幼い。その不器用さ、アンバランスさにものすごくしんどくなる。

ちなみに迷いや葛藤は少ないけどアーチャーも本質は変わらない。歪みはそのままに、ひねくれた方向に成熟した感じ。割と狼狽えるし、話が長いし、優しさが回りくどいし。だけどそこがまた魅力だと私は思う。

硝子の心と人間らしさ
劇場版HF2章の士郎の描写

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衛宮士郎の根源は大火災の経験に起因する。

そこで得た「失ったものは戻らない、やり直しなんて望めない」という想いはセイバーを救い、切嗣との記憶を経て受け継いだ理想を守る「無茶な願いでも諦めない」という頑なさは、凛の心を動かした。例の高飛びとかもそう。

その構図は確かに美しい。でも、そこには士郎自身の救いはない。士郎そのものに変化はない。簡単に形は変えられない。傷だらけの硝子の心とは言い得て妙だ。

大火災の記憶は言峰曰く「見えない火傷の跡」。私はそれこそが、士郎の人間らしい心だと思う。その火傷の跡を覆うには、ひんやりとした硝子が最適で、上乗せした人間性はつぎはぎだらけで。

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それでも硝子の傷を、つぎはぎの人間性の間を埋める愛はあった。それは歪な士郎の心に確かに根付いている。切嗣、大河、そして桜。劇場版HFは、表面だけ見れば、そんな愛が頑なな士郎の心を溶かした……そんな風にも受け取れる演出にもなっていると思う。

私は、劇場版HF2章で包丁を振り下ろせなかった士郎の「泣き方の演出」があまりに衝撃的だった。思っていた通りの映像だったから。というかこの文章もだいたいそのせいだ。打ちのめされた。士郎は桜に包丁を振り下ろせない。士郎の手は震えて、体は硬直して動かない。直前のモノローグにもあるように、凍らせた士郎の硝子の心。そこには桜への恋心でヒビが入っていた。まるでそのヒビから漏れ出すような涙と、嗚咽。

パンフには「眠っている桜を起こさないよう嗚咽を我慢していた」とあった。確かにそれもあるかもしれない。でも、眠っている相手の前で声を殺して泣くにしても、違う演出だってあるはずだ。たとえば眉間に皺を寄せて、歯を食いしばって顔をくしゃくしゃにして泣くことだってできる。でもそこで士郎はそうはならない。凍りついた表情で、目を見開いて、口を開けて、嗚咽を漏らしている。

そしてそれが私には、士郎はただ声を我慢しているだけじゃなくて、火災で焼け落ちたと思っていたけど、硝子の心に閉じ込めただけの人間性が、「桜が好きだ。やっぱり殺せない」と、悲鳴を上げているように見えた。そこがあまりにもしんどくて、語りながら号泣するという病にかかってしまった。

そして、士郎は決断する。ここでもうひとつの士郎の歪さ「一度決めたことは曲げられない」が発揮される。あれだけ葛藤して、影の正体から目を逸らそうとして、正体を知っても桜を殺せなくてあんな表情で泣いたのに、「裏切るとも」と腹を括った士郎は、次の瞬間、これまでの葛藤が嘘のように、困ったように優しく笑う。

もう一人の自分に対して「この理想もわかってくれよ」と。

「この理想」とは、衛宮切嗣が切り捨てながら最後に気付いて手に入れようとしたもので、アーチャーが選べなかった選択肢で、言峰綺礼が最初から持たなかったもの。だからこの話で士郎がこの選択をすることには大きな意味がある。

けれど、士郎は選択の方向性を決めただけで、その歪さはさほど変わってはいない。ヒビは入っていても、心は硝子のままだ。

劇場版HFは、視聴者に感情移入させるため、表情や仕草で「士郎が人間である」ということをこれでもかと見せつけてくる。けどそのおかげで、ふとした瞬間に士郎の歪みが浮き彫りになり、なおのこと苦しくなった。

桜ルートで士郎は変わったのか

原作プレイ時にはセイバールート、凛ルートのあとの桜ルートとなるので、桜ルートで士郎は変わったと感じた人も多いと思う。

劇場版HFでは、特に人間らしい士郎が描かれるので「心境の変化」はわかりやすい。実際に私も公開初日、劇場版HFを見た直後は「士郎が人間になった」と感動し泣いていた。あまりにも生々しい士郎の感情に描写に「士郎はロボットじゃない。桜ルートでは士郎は人間になるんだ」と思った。というかこれまではそう思っていた。

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でも真剣に考え始めたら、桜ルートで「桜の味方になる」と決めた時点でも、結局その根本は変わってないんじゃないか?と思い始めてしまった。

「桜の味方になる」と決めた士郎は、決して自分のために桜を選んだ訳ではない。だから、「自分を顧みない」というプログラムはそのままだ。本気で桜の味方になると決めたとき、そこに「桜のために自分も生き残る必要がある」という制約が加わったから、自分を勘定に入れ始めただけ。

それと加えてもう一つ。

「たったひとつの理想を胸に抱いてしまって、その理想が夢物語で、叶いっこないってわかったとしても理想を追い続けることをやめられない」

「たったひとりの女の子を好きになってしまって、その子を守るためには世界を敵に回す必要があるとわかっても好きだって気持ちを諦められない」

一見真逆に見えるこれらの選択は、私にはなんだか、同じことのように思えてきた。

「一度決めたことは、曲げられない」

つまり、本当にただ守る対象、選択が変わっただけなのだ。士郎は何も変わっていない。そのことに気付いた時、私はゾッとした。

「士郎はロボット」ってのは士郎の歪みを表す比喩で、士郎は人間なんだけども。でも少なくとも、その2点の歪みに対して「士郎はロボットだ」と語るなら、桜ルートでも士郎はロボットのままなのではないだろうか。

他2ルートと桜ルートの違い

昨日まで私は「桜ルートは士郎が人間になる話」だと思っていた。「桜が士郎を人間に戻したんだ」とも。でも真剣に考え始めて、考えが変わった。士郎の本質が「機械的であること」ならば、桜ルートでも士郎の本質は変わっていない=士郎は人間になっていない、と。

この結論にたどり着いたとき、衛宮士郎の核心に触れた気がする。須藤監督が士郎をこれでもかと肉付けして人間らしく描いたせいで、むしろ逆にその歪みがしっかりと理解できてしまったように思う。

では桜ルートは何が他のルートと違うのか。

さっきの解釈を踏まえて桜ルートの本質をより正確に言い直すなら、桜ルートは「士郎はロボットのままだけど『人間的な幸せ』を目指す話」だということだ。これが他の2ルートとの決定的な違い。

あれ、なんか結局これ、きのこが言ってた言葉と同じだな……。

そして、もう一つ、ネタバレに配慮すると詳しくは言えないけど、桜ルートには唯一士郎本人に還る救いがある。

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本当はここで、桜ルートの結末も踏まえて士郎にとっての「救い」とは何なのか書こうかと思ったけど、有料にするのも違う気がするので三章公開後までとっておく。

でもこれだけは言わせて。その「救い」を得るまでの道のりはあまりにしんどい。おまけに救われてホッとしても、やっぱりしんどくなる。衛宮士郎沼は、尊いとしんどいの無限ループなんだよ。

まとめ 衛宮士郎の奥深さ

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士郎は主に「自分を顧みない」「一度決めたことは曲げられない」という歪みを持っている。それを起点に紐解いていくと、士郎の行動のベースが色々と見えてくると思う。

そしてそこを踏まえると、歪だけど士郎は至って人間的で、等身大の少年だ。朴念仁で鈍感……という上っ面のイメージではなく「人間としての衛宮士郎」が浮かんでくる。まあ、きのこの言葉を借りればそれは「人間のフリ」になるんだけど。

奈須きのこのクセのある文章に加え、難解なキャラ造形。衛宮士郎は本当に難しい。きのこの「士郎は人間のフリをしているだけのロボット」「士郎は成長しない主人公」という言葉を表面的に受け取ると余計にこんがらがる。

そして、原作やアニメに触れて、士郎の葛藤を見て「いや士郎も人間じゃん!」「士郎もちゃんと成長してるじゃん!」となって、でも真面目に士郎のことを考え出してもっかい原作に触れると「いや士郎やっぱ機械だわ」「士郎何も変わらないわ」と最終的にきのこの言葉にたどり着くこの矛盾。いや矛盾でもなんでもないんだけど。なんか悔しい。おのれきのこ。私はいつもあなたの手のひらの上だ。

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やっぱ社長の士郎は最高だぜ

私は、子供の頃の境遇が人格形成に及ぼす影響とか、トラウマの仕組みを自分のために調べている。だから、最初はきのこのキャラ造形は突拍子のないもののように見えていたんだけど、最近、新しい知識も増えたら、一周回ってリアルに感じられるようになってきて困っている。

とりあえず、劇場版HF2章で、士郎が図書室で戦ってる時にお腹に仕込んだ本のタイトルを「社会と発達心理学」にした須藤監督にはDININGでドンペリを奢りたい。

ちなみに今回はHFの話だから、前2ルートの士郎は……みたいな文脈になったけど、私は全ルート好きだし、士郎の歪さ、人間らしさ、全てひっくるめて好きです。そのあり方が好きなんだ。

あと真面目に原作について掘り下げたけど、基本的にはみんな幸せになってほしい人間だから、二次創作と本編の間でいつも揺れ動いているよ!!!衛宮ごはん大好きだよ!!!

あと綺麗なことばっか言ってるけど、下心もちゃんとあるぞ。士郎の高潔さが、桜のドロドロした感情に翻弄されるところとか超興奮するし。士郎の浅ましさをもっと見たいと思ってしまう。ごめんね士郎。

みんな、衛宮士郎(広義)はいいぞ!!!!!

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