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始まってもいなかった恋を終わらせる

今日は少し、調子が悪い。そういう星回り。 

だからこれもそのせいにしておいて欲しい。これから書くことに深い意味なんてない。嘘かもしれない。妄想かもしれない。

どうせまた数日後にはケロッとしている。何食わぬ顔で元気にやってる。

だから、今日はこっそりフタをあけることを許して欲しい。

ただね、きっとまた、これはだれかの心を抉ってしまうんだろうな。それでも書かずにはいられないんだ。ごめんなさい。

でも、心を抉られそうな人は、読まないほうがいいよ。ほんとうに。もっとやさしく穏やかな人のところへ、どうか行ってください。





わたしは基本的に、後悔をしない。

……と言うとポジティブな人間に思われるかもしれないけど、まったくの逆だ。

むしろ後悔ばっかりだ。自分の選択を後悔して、自分を責めてばかりだ。後悔なんかもうウンザリするほどしたから、後悔したって仕方ないってことに気付いただけ。後悔しないために、自分の行き先くらいは自分で決めようと思っただけ。

ときおり、自分でも怖いくらいに合理的になることがある。もう目の前に起きてしまった出来事、選んでしまった結果、取り返しがつかないのであれば、それはそういうモノだったと割り切る。

人は必ず死ぬし、死んだ人は甦らない。やり直しなんて望めない。でなければ全てが無駄になる。叶わぬ渇望と、拭えぬ絶望を抱えて、それでも前に進もうと足掻き、悲しみを乗り越えようと歩むことこそが、生きるということだ。その中で生まれる光もある。それを知っている。

だからわたしは、後悔しないし、いつまでも過去に囚われることはしない。それが正しいことだと信じたから、そうしている。

けれど、「正しさ」も所詮は偏りだ。エネルギーは均衡を保とうとする。片側に偏れば、バランスを取ろうと別のエネルギーが手を伸ばしてくる。

そう、正しさの対極にある、封じ込めたはずの感情だ。

感情とは喩えるなら水のようなもので、正しさとはそれをすくう手のひら。水を手のひらですくっても、指の微かな隙間から少しずつ漏れていく。

正しさのすきまからこぼれ落ちた報われない感情は、一滴一滴、徐々にではあるけど確実に、心という器の中に溜まっていく。

今日はそのこぼれ落ちた感情が、どうやらまたいつの間にかあふれ出してしまったらしい。

置き去りにした過去の選択が、わたしの心臓を見えない手でぎゅっと握ってくる。

わたしは今日、久しぶりに「後悔」をした。



むかしむかし、とても好きな人がいた。片想いだった。

一時の気の迷い。そういう言葉で片付けるには、その人はわたしにとってあまりにも鮮烈で、魅力的で、唯一無二だった。とても頭のいい人で、その人と言葉を交わすことは、わたしに充足をもたらし、彼の関心がひとときでもわたしに向いていることは、甘美な優越だった。交わした言葉ひとつひとつを、心の宝箱に仕舞っておきたいと思った。

彼は社会の枠組みの外に生きているような人だった。だからきっと、わたしが想いを伝えたとしても受け止めてくれる。そういう予感はあった。

けれど、わたしはその人に想いを伝えることはしなかった。してはいけないことだと思った。

何故なら、彼はわたしだけを見ないからだ。わたしの想いは受け止めてもらえても、それはわたしが望んだ形じゃない。

そしてそれ以上に、そのカードは絶対に選んではいけないという確信があった。

わたしのこれまでの人間関係は、どうしてか苛烈なものばかりだった。信じられないかもしれないけれど、今に至るまでの人生で、まっとうで穏やかな関係など片手で足りるほどだ。

そうして失敗から学ぶうちに、踏み入ってはいけない人とそうではない人を嗅ぎ分ける力が望まずとも鍛えられた。

そんなわたしの直感が、そちらに行ってはいけないと告げていた。そして実際のところ、相性も最悪だった。例えるならその人は、酒かドラッグ。気持ちのいい夢は見られるけれど、その先はない。わたしだけが、削れて終わる。そんな相性だった。

(魅力的に感じる相手と相性がいいとは限らないのが、この世の仕様の中でも最高にクソなところだと思う)

そういうことを頭ではわかってはいた。けれど、人の感情とはままならぬもので、わたしはそれでも未練がましくしがみつき続けた。わたしの器が育てば、いつか相手と対等に渡り合える日が来るのでは、なんて、ありもしない夢を見ていた日々があった。

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