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透明な自分のまま生きていく

私はいつも、気付くと誰かの真似をしていた。

意図的に真似をするのではなく、してしまう、という感覚に近かった。私はとにかく人の影響を受けやすいらしく、相手に対する好悪に関係なく、相手の影響を受けてしまう。

例えるなら水みたいなものだ。水は混ざるものによって鮮やかな色を示すことがあれば濁りもする。けれど、水自身は混ざる相手を選べない。

ひらたく言えば「うつる」。なんでも。仕草、話し方、筆跡、文章の書き方、イラストのテイスト、はたまた服装まで。長時間一緒にいればいるほど。好きな人なら自分から同化しようとするほどだった。それは性別を問わないので、付き合っていた人と挙動や口調が似すぎて、共通の知り合いには「ミニ○○さん」と言われたこともあった(○○は恋人の名前)。けれど反対に、嫌いな人の口癖がうつってしまい苦しむこともあった。

そもそも、幼い頃から自分の意思もあまり明確にないと思っていた。周囲の子どもたちを見て「子供らしい振る舞いとはこういうものなのか」と考えたあとに行動していた。お手本通りにするのは上手いから大人には褒められたけれど、あまりうれしくはなかった。少し機械的な子供だったと思う。

けれどそんな機械的な私にも好きなものはあり、物心ついた頃から漫画をよく読んでいた。そのまま成長し、中学生の頃ある作品で足を滑らせ立派なオタクになった。

その頃はちょうどインターネット黎明期、家にPCがあり周囲の同級生より早くネットの海に飛び出していた私は、私は好きな作品についてネットで調べまくっていた。

まだyoutubeもニコニコもpixivもなかった時代。SNSはおろかブログなんて言葉すらなかった。けれど自分のホームページで好きな漫画やアニメに面白おかしくツッコミを入れたり、感動した内容や好きな気持ちを自分の言葉で表現している人たちは既にたくさんいた。私はそういう人たちの言葉に、内から溢れ出る情熱に強く衝撃を受けた。

その当時、ネット上で一番仲がよかった人がいた。彼は私のちょうどひとまわり上で、同世代があまり読まない作品が好きな私の興味と彼の興味は重なっていた。だから、好きな作品の話ができることがとても嬉しかった。そして年の離れた彼は、遥かに広い視野と豊富な知見で作品をとらえていて、私は彼に価値観を大きく広げてもらった。

そんなネットでの出会いを経て、私も自分の思いを言葉で綴るようになっていった。

けれど書き上がったものを見て、自分の中から出てきたはずのものなのに、どこか嘘くささや借り物っぽさを感じてしまった。その文体は、自分がこれまで読んできたものの焼き直しで、自分の気持ちはこもっていないように感じられた。それどころか文体も書きたいものもころころと変わった。いろいろな書き方はできるけど、一本筋が通ったような何かはなかった。

それを自分は「真似しかできない」「自分がない」と捉え、後ろめたさを感じていた。だからどんなに言葉を紡いでも、どこか空虚さが拭えなかった。

一貫した自分自身のポリシーや、輝かしい個性を持つ(ように見える)人たちと自分を比べては「私は、人の真似をしているだけ。空っぽな人間だ」そういう言葉が呪いのように頭に響いていた。誰とも違う「本当の自分」に強いあこがれを持ち、そうなれない自分には価値がないと思っていた。

そんな空虚さを抱えたまま高校に進学した私は、演劇とグラフィックデザインに興味を持った。それはどちらも、個性的であることが評価される一方で、「真似」が上手くできる人が重宝される分野でもあった。

「個性的な人」に強く憧れる私は、はじめはそうあろうと努めるのだけど、そちらはどうにも空回りして、最終的に評価されるのはどちらかといえば精巧な「真似」の方。私自身に個性はないけれど、他者を真似て何かをすることは重宝された。それは演劇でもデザインでも同じだった。

その後、役者になることを諦めデザイナーとして就職した私は「仕事での評価=自分の価値」と考えていた。仕事で評価されるため、実力がないからと見放されないために、自分を殺してでも他人を取り入れようとしてきた。

それは水中で酸素を求めて藻掻いても、足に重しがついているために、藻掻けば藻掻くほど沈んでいくような絶望感があった。とても苦しかったと思う。けれどずっと苦しかったから、苦しいのは当たり前だと思っていた。

そんな中でも「本当の自分」への強い渇望は拭えず、けれど「評価される自分」への執着も拭えず。望む自分と現状の自分との距離は開くばかりだった。

何かを作る上でぶつかる既存のものとの葛藤は、デザインに限らず何にでもあると思う。そんな葛藤に対して「ゼロから生まれるものなんてない。だいたい最初はみんな真似から入る」とか、極論「全部パクリ」なんて言う言葉もある。そういう言葉をフォローのつもりで実際にかけてくれた人もいた。

でもそのどれも私を救いはしなかった。どうしても腑に落ちなかった。けれど、腑に落ちていない事にも気付けないほど麻痺していた。だからその言葉を鵜呑みにし、真似が自己の価値と信じ、縋るように働いた。そして知らず心が擦り切れてしまい、やがて壊れた。

働けなくなり、行くあてもなく社会から放り出された私は、これまで無節操に取り込んだ「影響」のために、すでに「自分自身」が埋もれてわからなくなっていた。

自分がわからなくなった私に出来ることは、人の影響を受けないよう閉じこもることだった。誰かの真似をしていない「私」の姿を見定めるために。

そこから私は一人で、誰にも見られない場所で、ずっと言葉を吐き出し続けた。そうすると、それなりに出てきた。

私の言葉が借り物だとしたら返し忘れたものなのか。否、それは確実に私の中にある、私のものになった、私の言葉だった。

それがたとえどこかで見たことのある形のものでも、文体が日によって違っても、それまで押さえ込んでいた何かが堰を切って溢れるように、止めることができなかった。

本当は止まることのない叫びを誰かに聞いてほしかった。でもそれを誰かに見せることはしなかった。恐怖と自意識から私の心の中にきつくしまいこんでいた。

そんな山ごもりの修行みたいなことをしていた中で、ささやかな転機が訪れた。対面で性格診断をしてもらった時のこと。

そこで言われた言葉が、私の心に光を当てた。

「すごく素直で、なんでもそのまま飲み込んでしまう。でも、強い芯もある。飲み込むのは、珍しい才能だから生かしたほうがいい。悪い情報はシャットアウトして、いいものだけを自分で取りに行くくらいのほうがいい」

人の影響を受けやすいということが「素直」という言葉で表現されたこともそうだけど、私が「強い芯もある」と言われたのには心底衝撃を受けた。けれど同時に、ものすごく腑に落ちる感覚があった。心の底の、頑固ものなもう1人の私を「見つけてもらった」と感じた。

その時から「自分は“空っぽ”ではなくて“透明”なんだ」と思うようになった。水は染まるし濁りもする。けれどその本質自体は決して変わらないのだと。

それから私は少しずつ自分の中にある「芯」を意識するようになった。

言われたとおり、不要な情報は意図的にシャットアウト。見たいものだけを見に行く。見たくないな、嫌だなと思ったものは見ない。と、自分の意思をわがままかな?というくらい大事にするようにした。

はじめは曖昧で弱くても、何度も奥底から繰り返し湧き上がる気持ちがあった。これが私の芯なんだと思ったら、離さないように捕まえて言葉にした。そうすると少しずつだけど確実に、芯が明確になっていった。

すると不思議と、以前より「真似してしまうこと」へのコンプレックスが緩んで行った。もちろん盗作などモラルに反することはしない。けれど、好きな人や良いと思ったものの影響は、自分の成長のために遠慮なく受けていきたいと思えるようになった。

そしていつしか「人からの影響は、自分の芯に形を与える為に、自分に近いものからヒントをもらっているんだ」「ブレるのすら個性」と、いい意味で開き直ることもできた。

もちろん、私だけの力じゃない。旦那や友人、これまで出会えた人たちのおかげもあって、今はこうして自分の言葉で自分の気持ちや、オタクとして好きな作品への愛を綴ることができている。

影響を受けやすい事自体は変えられないから、おそらく多分きっと今書いている文章すら、いつかどこかで見た誰かの書き方に影響を受けているのだと思う。けれど、たとえその言葉の「表面」が誰かの影響であっても、今私が綴っている「内容」は、私自身の気持ちだと胸を張って言える。

影響されやすいのに、実は芯があるという一見矛盾しているようにも見えるこの特性は、これまで理解されないことのほうが多かった。むしろ自分すら正しく理解できていなかった。嫌われるのが怖くて、他人に合わせてばかりだったから。自分ではない何者かになりたくて、自分の方を見ようとしていなかったから。

もちろん今でも、すごい才能や個性に憧れて打ちひしがれる事がある。シャットアウトにも限界があるし、自分では気づかないうちに悪影響を受けているときもある。そういうときは吐き出したり、浄化したり、人よりワンステップ多く必要だから少し大変ではある。

けれどもう、受け取るものを自分で選んでいこうと決めたから。

変わらない私も、変わりゆく私も、そのどちらも自分自身。私は「透明」な私のまま、「なりたい自分」になるために、これからもたくさんの影響をもらいながら生きていく。

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