見出し画像

あの頃をふり返ってみる

最近ふと、どん底時代の日記を読み返しました。

今でこそ、色々と前向きな事を言ったり、おこがましくも励ましの言葉なんかを人にかけたりしているけど、こんなこともあったんだな、と思わずしみじみ。

ちなみに私にとっての「どん底時代」とは、今からちょうど4年前。
転職の半年後、体調が悪化し仕事を辞めざるを得なくなった頃のことです。

その頃の日記をここに載せて、振り返ってみようと思います。

当時の自分を見つめ直して、今の自分の立ち位置、進んだ距離を再確認するために。そして、当時の自分の言葉をあえて読んでもらうことで、解放してあげる意味も込めて。

今の私を知っている人には、どう映るんだろうな。
あんまり変わってない、って言われちゃうかな。

人に読まれる前提で書いていないので、感情むき出しで荒削りだし、一部重い内容もあると思います。他者の感情に引っ張られやすい方は閲覧ご注意ください。

もしご興味のある方はゆるゆるとお読みください。ご興味のない方も、もしよければ「まとめ」だけでも読んでいってくださると嬉しいです。

【1】在職中

過去をさかのぼったり、
生まれ直せるならぜひ
そうしたいものだけど

僕の成長はずっと止まったままだ
独りよがりで勝手なのだ
そういう行為はそういうつもりがなくても伝わる
だから嫌われるのだ

自分よりできる人から目を背けて
デザイナーになりたいとか抜かして
うまくいかなかったら環境のせいにして
向き合いたくても日々に追われて

思えば子供の頃からずっと逃げてきた
できることなんて勉強と絵くらい
しゃべりも今以上にとりとめなかったんだろう
誰と何をしゃべっていたか全然覚えていない

忘れてる
いなかったことにしてる
でもそこにちゃんと息づいてる
私は確かに生きていた
目を背けているダメな自分は
まだちゃんとそこにいるのだ

だから
きちんと向き合ってやらなくては
君にもできることがある
やりたいことはやってもいい

作り物や付け焼き刃ではない強さを

自分には何もないのだということを
自覚した強さがほしい

柔軟で折れないしなやかな強さと
自分のために人に優しくしない暖かさが欲しい

完璧主義なのだろうか
でも諦めたくない

ちゃんと私は私を生きたい
流されるにも何もなければ何も残らず
気づいたら流されていたなんて
運命を嘆くのはもう嫌だから

全部自分の選んできた末路だというには辛すぎるのです

やりたいことだけやって人生楽しいなんて都合のいい話はないんだろうな
ただ嫌なことも越えていける強さが欲しいのです。
好きなことは、多少嫌なことがあっても乗り越えていけると
実感できるようなことがしたいのです。。

・当時の状況
当時の私は、低すぎる自己肯定感と恐怖心から、本当にやりたいことや好きなこととはあえて間逆であったり違う方向性のものを選ぶという悪癖がありました。

そんなことをしていたせいで、「好きなものは?」と聞かれてもパッと応えられない程度にはすり減っていました。

自分は空っぽであるという感覚と、なくしてしまった「好き」を再び見つけたいという想いと、そのギャップに、矛盾に、恐怖に、引き裂かれそうになりながら生きていたような気がします。

【2】休職決定

休むことが認められるということ
会社を休職することになった。

先週、先々週くらいから途端につらくなり、毎日いろいろな症状を身体にあらわしながら、無理して会社に行っていた。

でも休職が認められて、変な気分だ。総務部宛にメールを送ってからは、全てがまるでトントン拍子に進み、ぎゃくに早く復帰せねばと急かされているような気分にすらなる。たった一ヶ月で、一体何ができるというのか…

精神科医の態度も気に入らない。パニックどころか通常運転だし、錯乱状態の私はもっと手が付けられない。まだ頑張れば話せるのに抗不安剤の注射を打たれた。屈辱だ。絶対に相容れない。

予約制の医者を選ばなかった私が悪いのか。
診断書はもらえたけど、腑に落ちない。

話を戻す。

この数週間、就業中は、ただただ孤独だった。

でも、対人恐怖は人間関係の中で克服していくしかないのでは?
という半ば確信めいた気持ちと、
もう息ができない、私には何もない、
人の言うことも理解できないし、体が動かないし、
言われたことに愛想笑いしかできないし
ご飯もまともに食べられない。
やるべきことが見えたとしても、
それをどうにかするエネルギーが絶対的に足りないという気持ちがあり、
でも休んでしまえば復帰できないんじゃないかという心配と、
さらに言えば、今の職業を続けていけるのかという問題すらあって

プールの底でもがいているような
水面の向こう側に明かりがあるのに
そこには手が届かないし身体もまともに動かないようなもどかしさと
あとは暗い闇の底に体育座りをしているような感覚。
暗い闇の底ではあるけれど、穴の底なので、上に穴は空いていて、そこから見上げている感覚。
他の人は穴の上の人間で、決して交わることはない
穴の外に作り上げたハリボテが
必死に私の代わりを演じている感覚。

誰にも開いたことのない、心の穴の底に旦那はそこに下りてこようとする
そこに下りて来ればあなたも這い上がれなくなるし
一緒に落ちてしまうと感じる
だからだめだというのに
そばにきて抱きしめてもらうと
あたたかいのに涙が止まらない

申し訳ないと感じる
どこかで私が自立できれば
この人もそのうち自立できるだろうと
考えている自分がいる

この数週間、穴の外のハリボテは
もはや機能しなくなっていた
穴の中を不躾に覗き込まれている感覚
もしくは穴の中の自分が衆目に晒されているよう
とても恥ずかしい

演じようにも、演じている自分が壊れてしまった。
何もできない。
人と交わることも、
何かを生み出すことも、
私には何もできないと無力感ばかりが募る日々
出来上がった成果物を見て
何も感じられない、空っぽなデザインだと感じた。
少しも、何も感じなかった。
こんなことは初めてだった。

新しい学習の機会だと、
実績を作れればあるいは、と
踏ん張ってみたけど
もう心も身体も付いていかない

倒れたわけじゃないのに
感情が動かないほど抑うつがあるわけでもないのに
心の中で絶望感が消えない

身体で埋めようとしても、いくらも埋まらない
ひとりでいるのが辛い

私はひとりで
やっぱり誰からも理解されないんじゃないか
そんな自分を出すのもとても怖くて
結局心を閉ざしてしまうんだ

血液が体をめぐる感覚がある
頭の血管が開いていく感じがする
体の痺れが少し出てきて
体がだるくなっていく
もう少ししたら頭痛が来るだろう

どうしてこうなってしまったんだろう
もともとあったはずの深い絶望が、
見たこともない顔でこっちを見ている。。

・当時の状況
【1】の2ヶ月後くらいかな。(たんぶらーは日付がわからない)
限界を迎え、業務中に泣きそうになりながら、総務部宛に相談メールを送ったことは覚えているのですが、メールの内容をよく覚えていません。ただ、トントン拍子に進んだということはそれだけ切羽詰まっていたんだろうなと。

体調不良の原因としては色々ありますが、在職中に開始したカウンセリングで感情を解放したためフラバしてしまったのが悪化したきっかけです。

診断はパニック障害でしたが、今思えばPTSDですね……。

このときの精神科医は本当にクソでした。それはそれとして、「まだ頑張って話せるのに」というところに「頑張らないと話せないのが通常運転」という闇を感じます。あと、旦那に対しても信頼度が今より低い。

この当時、中学の頃(私にとっての第一の暗黒時代)に戻ったような感覚でした。高校、専門学校、社会人時代を経て、社会復帰できていると思っていたのに、また繰り返してしまった。自分の築き上げたものが足元から崩れてしまった。その絶望で心がいっぱいでした。

メモ
何にも出てこない

こうありたいと思えば思うほど
形から入ろうとすればするほど
薄っぺらな自分が浮き彫りになって

私には何もない
絶望感が押し寄せる

言葉はなまものだ
頭で考えたものは消えてしまう
私の言葉など陳腐で
でも溢れるには止まらず

何もないと思って苦しいのは
何かあるのにそれが理解できないからかな

自分が表に出したいものが何なのかわからない
形にする術を持たない
忘れてしまった
抑圧された

だから自慰行為のように言葉を吐き出して
形にして
誰に届けたいという思いもなく
行き場もなく
ゴミのように
部屋の隅のほこりのようにたまっていく

どこかに吐き出したい
世の中に何か爪痕を残したい

それができないなら
意味がない

消えてしまえと
私なんて消えてしまえという
いなくてもいいと
思ってしまう

届けたいのは母親なのか?
カウンセラーが言うことをまとめるとそうなる

こんな中二病みたいな
作家 詩人に憧れて
真似事で言葉を紡いでるやつの
クソみたいな言葉を
理解できるわけがない

理解できるわけがないと言いつつ
本当は誰よりも理解してほしいと思っているのか?
どうして私が変な子だと言うの?
なんで私を置いていったの?
なんで私を信用してないの?
私が悪い子だと言った時どうして否定するの?
どうして私が変な子だと言うの?
何を持ってそういうの?
私の何をわかっているというの?

お母さんなんかいなくても
ひとりで生きていける

思っているのに

結局また
甘えて

一人じゃ
何にもできない
無力だ

どうして私から
生きる気力を奪ったの

私のこの状態を見て
また自分を責めるんでしょう

私が、高校に行けなかったのは
学校に行けなかったのは
会社に行けなかったのは
じぶんの元から去ったのは
行ってしまったのは
自分のせいだと思うんでしょう

責められて生きてきたから
責めることしか知らない
完璧以外を知らない
仕事さえできていれば
何をやってもよかったと
思っているの?

自分が必死でやったことを
息子ができているのに娘ができないと
自分の生き方、育て方、教え方を
否定されてるような気がするんでしょう?

育ててなんかない
あなた一人で人が育てられるなんて思い上がりだ
祖母のふきこんだ愚痴を母にこぼす私を
話が通じず喚き散らす私を
どれほど憎んだんだろう

愛していると言いながら
あなたは愛されているよという暗示を
間接的に子供に与えながら
私を呪った。

愛情不足という言葉を
どれほど表面的に受け取ったことだろう

家でも居場所がない
味方であるはずの夫は自分のこと見てくれないし
他のやり方はわからないし
誰にも頼れず、心を開けずいたんでしょう
だから、たぶん、カウンセラーも
私じゃなく母親に味方したんだ

家族の中で一番孤独なのは
たぶんお母さんだった

あのとき、今にも折れて潰れてしまいそうなのは
お母さんだったんだ
だから先生もカウンセラーも私にではなく母親に味方した
私も母親を犠牲にしていた
だから私を救うように見せかけて
母親を救ったんだ

だから私は、愛されているのだという暗示を受け止め
形はどうあれ社会復帰をし
仕事にも就き
毎日毎日頑張った
母親が、もう私は大丈夫だと思うように
嘘も付いた
そもそも全部嘘だったんだ

祖母のこともあり
母を責めてしまったし、
私は自分の生活があるからと
家を飛び出し
旦那にもたれながら
なんとかここまでやってきた

距離が開いて
離れて
違う角度から親を見て

家族を客観視したら
孤独なのは私でなく
母だと知った。

また母も
あの家族に犠牲にされている一人

役割が変わっただけ

私がいなくなり
犠牲になるのが母に戻っただけなのだ

私は自分が救われたいと思いながら
母親を助けたかったのかな

・当時の状況
今でも、言葉を垂れ流しているのは変わりありませんが……当時は今よりも遥かに自己無価値感があります。今でもそうなのですが「言葉を紡ぐ」ということは、私にとって特別な事ではなく当たり前にそばにあった事でした。

恐怖にふさぎ込んだ私は、周りが全く見えていませんでした。自分が出来ることは周囲が当たり前に出来ることで、反対に、他人が出来ることができない自分はクソだと思い込んでいました。

だから、自分の価値と、言葉を紡げることの価値を、感じられなかった。

ずっと、孤独でした。

孤独とは物理ではなく、「他者を信頼できない」ということに他ならず……たとえパートナーを得られたとしても、信頼、安心がなければ、実感としては一人きりなんです。私はその孤独感が強い、とにかく強いです。今でも根強い。

あと、カウンセリングで家のことを掘り下げ初めて、自分の親への想いを整理し始めた頃です。母ばかりを恨んでいた自分の価値観が反転して、見え方が変わり始めています。

【3】休職3ヶ月後(退職決定)

いろいろ
生理がこなくて妊娠したかと思ってここ数日やきもきしてたけど、意を決して検査薬使ってみたら陰性でホッとした。
本当にそうかな?って若干疑いの気持ちはあるけど、昼夜逆転の体内時計狂いまくり生活してるし、多分栄養も偏ってるから、当然なのかもしれない。

休んでることにストレスを感じてるっていうより、今後に対する不安と焦りと働くのが怖いっていうきもちとか全部がぐちゃぐちゃになって、結局目を背けて何も進まないっていう…

会社からメールが来て、8月以降も休むならもう無理だからって言われて、死ぬしかないって思っちゃった。
自分のこと、お金稼げなかったらクズみたいに思ってる。だって生活できないから。
お金稼げない。旦那一人で頑張った方が効率いいかもしれない(そんなわけないって頭ではわかってる)。お金稼げないから離婚しようって言ったら絶対悲しむし、大事な相手を捨てたっていう罪悪感に一生苦しめられ続ける。
私はそこまでわかっててもそう言いそうになった。

いままで調べたりしたことを総合すると「本当はお金稼げなくなった自分のこともちゃんと見て欲しい。」「こんな世の中間違ってる」とか思ってるんだろうか。試してしまう。

とにかく取り乱した。泣いてしまった。
途中でチャイム鳴らされて冷静になったけど(もちろん居留守)

出られるわけないじゃないですか。

多分選ばなければ方法はいくらでもあって、なんでもいいからバイトするとか、前の会社の東京支社でバイトするとか、今の会社で職域と勤務形態と給与を変更して継続するとか、あるんだと思う。
あと最近ブログで読んだ、引きこもり専門の会社とか。そこまでは頭に浮かんでるんだけどな。どうしたらいいか全然わかんないんだ。

ただ、本気で死にたいと、死ぬしかないと、無価値でダメな人間だと久しぶりに思ってしまった。

そんなときにカウンセラーの「死なないでくださいね」の言葉が響いて震えと涙が止まらなかった。
言われた時は死ぬわけないじゃんと思ったけど。
たくさんの人を見て、また自分の仕事の中でも自殺した人がいて、無力感をかみしめたり、いろいろなことを感じてきたんだろうと思う。
だからこその言葉で、心に響いた。
死んではいけない。私はまだ死ぬわけにはいかない。
そこまで達観もしてないし一生懸命生きてもない。
そう、まだ生きてすらないとも言える。
自分の人生は何か、自分に合うもの、居場所、考えること、やりたいこと、まだ見つけてない。
ちゃんと感じられてない。
だから、死ぬわけにはいかないんだ。

こんなことで
こんなことで。

私が稼いでやるって気負い過ぎてたんだと思う。
なんとか暮らしていけるだけの最低限の方法を探さなくては。

大丈夫、大丈夫、
命があればいちおうなんとかなる

最高じゃなくていい
最低でもいい
ゼロよりはマシだ

私って思ってたよりダメ人間でクズなんだなって思った。
全然真面目じゃないし卑怯だしずるいし楽ばっかりしたがるし。
普通の人間なんだな。
わたしも。。
気負う必要なんて、本当になかったのかもしれない。

もう少し待ってね。
もう少し…まだかかるかな。
ちゃんと話ができるといいな。。

・当時の状況
休職手当の出る期間は、勤続期間に応じます。私は転職直後で半年ほどだったため、休職継続は3ヶ月が限度でした。そしてその期限の3ヶ月、どうしたらいいかもわからぬまま、期限を迎えます。会社からのメールを受け取ったときの日記ですね。

「自分が無価値だ」と、心の底から絶望し、虚無に落ちました。どん底を舐めた、気がします。

そして、一度底を打ったからこそ、それでも生きている事実と、自分の存在の大きさを初めてフラットに実感した時だと思います。最後はそこまで前向きではなく、必死に言い聞かせているような感じですが。

それでも、この時のことは今の自分につながっている気がします。

まとめ 振り返ってみて

並べてみたら存外に長かったな。まとめるのもややしんどかった。

あれから結局、復職はせず、在宅ワークを細々と続けています。
実を言うと、自分が目指すものも、まだ定まっていません。

ただ、「今、これが自分に必要だな」と思うことを都度やりながら、生きてきたように思います。恐怖心でいっぱいで、亀の歩みで、全てが思い通りになったわけではありませんが、全てが今につながっています。

もちろん、これだけやっても未だに、変わらない部分はあります。

相変わらず浮き沈みは激しいです。沈んだときの思考回路は、「寂しい」「怖い」など、変わってないです。被害妄想も。

ただ、変わったのは、知識や捉え方。浮き沈みや被害妄想含め、あらゆることに自覚的になったこと。あと、復職への焦りがなくなった(復職を目指さなくなった)こと。以前は根本から自分を変えたいと思っていましたが、根っこは変わらないと知ったこと。

浮き上がった時に考えていることや、納得感はかなり違っています。

一人で生きねばならない。
一人でも生きていけない自分はダメだ。
ダメな自分を変えなくてはいけない。

という考え方から、

ダメなままでも生きていていい。
一人で生きるのは無理。それは誰であっても同じこと。
ダメな自分の捉え方を変えていく。
ダメなままでも生きていくために、
他の人に頼れるようになりたい。

という想いに変わりました。
また変わるかもしれません。

私は社会からほぼ強制的にドロップアウトしましたが、幸いにも、過去を掘り下げられる環境に身を置き続けることができました。

けれど、過去を掘り下げることをしたほうがいい人もいれば、しなくてもいい人もいるし、しないほうがいい人もいることを知りました。

今でも「死にたい」なんて口癖のようにこぼすし、「生まれてこなきゃよかった」と心の底から思うこともあります。こんなに好きな人がたくさんいるのに「孤独だ」と思うこともあります。今でも自分を責めまくります。

それでもどうにか、生きてこれたんだな、と思います。

今の自分に満足できなくても、とりあえずそれでいい。そう思えること。それが一歩だと思うのです。

認めることと諦めることは、似ているようで違います。

現在地を確認して、進む方向を選択する。

目的地の修正が必要ならそうする。

「面白き事もなき世を面白く
 すみなすものは心なりけり」

という言葉がありますが。

「生きづらき世を生きやすく
 すみなすものは心なりけり」

だとも思います。

これは心の持ちよう……というか、それだけでどうにかなる問題ではない部分ももちろんありますが、そこが欠けていては、と思うのです。事実はどうあっても変わりませんが、現実を作り出すのは意識ですから。

経験を享受する感性が閉じていては、世界を変えることはできない。反対に言えば、感性さえ開いていれば、経験することで変えていける。

私はどうやら立派に振る舞ってるように見えるみたいですが、中身は本当にめんどくさいし、寂しがりやだし、言うことコロコロ変わるし、わがままだし、ダメ人間だし。

でも、生きやすくできなくても、病気が治らなくっても、「ああ、まったく私ってば生きづらいやつだな」「でもこんな自分も捨てたもんじゃないな」って、たまには思えるようになりました。

だから、私と出会えた人、これを読んでくれたあなたにも、いつかそう思ってもらえたらいいな、と思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

当時の自分を解放する意味もあるので、もしよければ、率直な感想など、なんでもかまいませんので、コメント等いただけると嬉しいです。

最後までお読みくださりありがとうございます。この記事が気に入ったら♡を押してくださると嬉しいです🙂SNSでのシェア、サポート等もとても励みになります。