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実家で心が休まらないけど、なんとか保っている

良い心境の変化を覚えておくために書いてみる。

自分の家族にせよ旦那の家族にせよ、「家族そのもの」に苦手意識のある私は、ストレスで決まってメンタルを病んでしまうので、帰省が憂鬱で仕方なかった。

前に帰省したのは正月。12月に鬱状態に陥ったので、年末年始もかなり荒れていた。当時にアップしたnoteを今読み返すと、相当しんどかったのがわかる。

あれから半年以上。トラウマ治療が進んだ事や栄養療法のおかげか、今回は自分でも驚くくらい精神的に安定している。

実は、私は旦那の家族の前では上手く話せなくなってしまい、まともにコミュニケーションが取れない。私と親しい人からしたら、別人かと思うくらいだ。

おまけに緊張で身体が動かなくなるから家事も手伝えなくて、いつも申し訳ないと思ってしまう。そんな自分を役に立たないダメな嫁だと思われていると思い込み、ずっと責めていた。

けれど今回は「実際のところどう思われているかはわからない」と、状況を受け流せている。話せない状況は変わっていないし、相変わらず気は休まらないけれど。

そして前は「家族に認めてもらえないと生きていてはいけない」と思っていたけど、「戸籍上は家族だとしても、無理に話を合わせたりしなくていいし理解されようともしなくていい」と、やや消極的ではあるものの割り切れている。

これは私の中ではかなり大きな変化で、責めなくなったことでストレスはかなり減った。それはそれとして、身体はストレス反応を示しているので、ネガティブな思い込みに加え、まだ何か理由がありそうだなと思い、しばらく考えていた。

責めなくなったおかげで頭にスペースが空いたのか、理由は割と直ぐに気付くことができた。

おそらく私は、自分のセーフスペースに気の置けない他人が入って来るかもしれない状態というのを不安に感じるのだと思う。

一応、旦那の親御さんが私たちが居る部屋のドアを無遠慮に開けることはほとんどない。けれど、いつでも入ってこられる「状態」がもうストレスに感じる。

私は「家」「家族」というものに苦手意識がある。これは、本来セーフスペースであるべき家族がそう機能していなかったから。詳しいことはもう沢山書いているので簡潔にまとめると「過干渉、監視、束縛」が常の家だった。

そんな家での私にとってのセーフスペースはたった6畳の自分の部屋だけだった。いや、親が無遠慮に入ってくることも多かったので、心から安心できるのは実質ベッドの上だけだったかもしれない。

だから多分、旦那の実家で心が休まらないのは、人間関係の問題もあるけれど「実家」という状況に対して過去の記憶をもとに身体が反応しているのもあるのだと思う。

このトラウマは身体に刻み込まれた記憶、習慣のようなもので、記憶の再現は無条件で、そこに秩序はない。だから、このストレスをコントロールしようとしても難しい。

引き続き、地道にネガティブな記憶を書き換えていけばいずれこれも癒されるのかな。気付きが起きたからにはもう半分治っていると言うし、これからに期待しよう。

次は自分の実家だけど、また身体がどういう反応を示すのか、どういう気付きがあるのか良くも悪くも楽しみ。

心は休まらないけど、前よりもずっと元気です。

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