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そっちはどうだいうまくやってるかい

なりたい人間を考えてみたとき、私は全て真逆に進んでいるんじゃないかと思う。
今日はピクニックから一人で歩いて帰ってきて、家のドアに手の小指を挟んだ。びっくりした。痛みよりびっくりが先に来た。遅れてきた痛みは長く、うるさい。まだ痛い。真鯛鯛。
本当のことを全部言えたら、と思う。全員が敵に見える日があることとか。できることをできないかのように見せて、できないことをできるかのように見せているここまでの人生では、私はまだ人間に慣れていない気がする。
ひとりぼっちにはなれないとは知ってるんだけど、この真実は一回も私を助けてくれない。ひとりになりたいときには迫ってくるし、ひとりを感じるときにはまるで嘘みたいに振る舞う。
みんながみんな、己と己との距離が近すぎて目が回っている人を馬鹿にしている。そのみんなの中には私もいる。でも回った目からは火花が散っている。輝いている。本当は一番馬鹿にされている人が一番かっこいい。
当たり前に父親の職業によって、一家の貧富が判断されることに時間差で心がずきずきする。「女の子に見えなかった」にも心がずきずきする。「もっと下かと思った」にも。「でも俺らって容姿いい方じゃないじゃん?」にも。「点は取れるかもしれないけど頭いいとは別だしね」にも。含み笑いにも。刃物みたいな目の動きにも。部屋の汚さにも。腰の痛みにも。寒さや暑さにも。眠れない、起きられないことにも。友達とうまく喋れないことにも。気持ち悪い判断基準にも。何より弁明仕様のない自分の愚かさにも。雨にも。馬鹿にも。爺や婆にも。汚染された子にも。若者にも。ずきずきは少しずつ私の体に沈み込んでいく。汚い池にいる大きすぎて怖い鯉みたいな!私の体が耐えられるうちはそいつらがいることにも気がつかない。でもいつかその鯉たちは池が受け入れられる範囲をこえる。びちびちびちびちびちびちびちびちびちびちび。呼吸できなくて苦しそうな濁った目が見える。その日を先延ばしにするには、器を大きくするしかなくて、そんでそれは大体うまくいかなくてだからまあ鯉の限界は実際に起こっていて酸素足りなくて苦しいんだけどそれに気がつかないようなふりをする。匂いのついた水とかを飲んだりしてね。諦めは必修らしい。優しさは別に卒業要件には含まれないんだって、なんだよそれって思うよな。
お金というものは記号ではあるんだけど、ある日急に首を閉めにくる。直接。あっ、死ぬと思う。
行きたいところに行くのは難しい。考えたいことを考えるのは難しい。難しいことなんて何もない。
は?と思った人には?と言えないから地球全体が病んでいく。
やっぱり私は人を信じたいよう。

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