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責任だけは負いたかった【テニス】



 テニス以外のスポーツをやったことはあるかと聞かれたロジャーフェデラーは「サッカーとバスケを」と答えた。続けてどうしてテニスを選んだか聞かれると、笑いながら「GKのせいにしたくなかったから」と言う。異国の地に息づく、何の接点もない一般人Aは「どうにかして聞きたいと思う相手の声ならリスニングの上達が早いんじゃないか」として流していたやりとりで、思わぬことにかち合う。偶然にもそれは私がテニスを選んだ理由そのものだった。
 
 責任を負いたかった。本当の自分の輪郭を知りたかった。
 幼少期、極度の人見知りから休み時間中ずっと自分の席から動けずいたような一般人Aは、バスケを通じて声を出すことを覚え、社会性を身につける過程で「言い訳できない環境」を選んだ。自分が人のせいにする弱い生き物だというのは幼心にも分かっていた。
 
 久しぶりに一人で立つコートはやっぱり広くて心許ない。本当に元シングルスプレイヤーかと思えるほどこの静けさにアウェイを感じる。その心のあり様は、そもそも人と関わるのが得意ではないために自分で自分のフィールドを設定したはずが、生半可人と関われるようになったことでラクを覚えたようにも思える。
 責任を負いたいと言った時の感覚を辿る。あの時だってドキドキしていたはずだ。何の根拠もない中で、自ら選び取ったもの。責任を負うというのは、それによって傷つくことを受け入れるということ。基本負えないから。どんな実力者か知れない相手とやりとりする以上、無傷では済まない。そこでいかにリスクを取れるか。
 

1、 自分がどうしたいか。どうなりたいかという観点。
「シングルスをする」とした時、一般的に「勝負する」訳だが、例えばそれを一つの基準に過ぎないとした時。
 緊張感の中でのパフォーマンス。理想の自分と現実の自分の差。それを点で示した時、その距離は如何程か。例えば理想の自分に近づくため、リスクを負った時、負えた時、その人にしか分からない、つくのは自信。
“俺はやったぞ。次はてめぇの番だ”というのは、ワンピースのゾロのセリフ。
 そうして、あるいは自分を誇る。その様はダンスバトルに近い。Creepy Nutsの『Bling-Bang-Bang-Born』。Blingはキラキラした宝石を指一杯つけて見せびらかす様。緊張に、空気に呑まれず、踏みとどまって自分を主張する。
 
 私はこうなりたい。できた。あなたは?
 
 あなたが見るように私も見る。そうしてこの場所に価値を生む。
 

2、 現実、及びパラレル的に発生する事象。
広くて心許ないコート。けれどかすめたのは場違いな思い。
思い出すのは一室に30人も40人もおし込められた教室。限られた場所で息づく社会で、束の間与えられた贅沢。それはまるで真っ白なキャンバス。
おもちゃよりも人形よりも、大きな自由帳を与えられた時何より喜んだのを思い出す。
 
 自由。浮かんだのは「どんな絵を描こう」
 慣れないことに対する緊張と、与えられた条件に対する喜びに心拍数が上がる。情熱と冷静の間。ポジティブとネガティブが混ざり合って紫。
 
 紫。視線をずらす。
 ちょっと借りるよ。
 
 コーチはその一存で自在に調整が可能。
 向かいに入ったのは戸塚だった。
 
 これは私の感性の問題だが、シングルスをやるとしたら戸塚だと思った。重さは違えど、単純に弾道が似てるから。絵を描こうとする時、例えばフラットVSトップスピンだとどちらかに寄る。私の場合弾道を上げられてしまうことが多いため、相手フィールドで戦おうとすると、まあ線が歪む。キレイな絵は期待できない。トップスピンの縦系は3D。私が得意なのは平面に描くこと。多少はみ出そうと、画用紙いっぱいに輪郭を縁取る。目一杯大きな絵を描く。ただそれは相応の深さ、力強さが相手にもないとできなくて。自分の望む絵を共に描けるのは1からではなく3から始められるような、似たような性質を持つ相手。
 
 似たような性質を持つ相手。視線をずらす。
 先日隣のコートでメガネ君がシングルスをやっていた。フラッターがトップスピナーと打ち合うイメージ。点と点を繋ぐ、間にもう一つ点が欲しくて、その点こそがメガネ君だった。力むと大きくなりがちなテイクバック。タイプゼロなら影響を受けない。だから打点にブレがない。それは「打ち出し方向が正しい」

〈基本は打ち出しの面と角度。そこを徹底的に突き詰めていく。本当に繊細に、突き詰めていく〉

「私の場合弾道を上げられてしまうことが多いため」がない。フィールドを引き寄せる。最もイージーなのは同じ打球を返すこと。だから自分の得意とする高さでやり合う。そうしてまずは「ただ伸びてくる打球」に変え、相手には膝を使わせる。左右の振り回し。全ての土台となる足元から崩す。対して自分はある程度高さを含む打球に、後方に跳びながら返すことで高さを調整する。ネットギリギリ、横に伸びてくる打球は速さも含む。持ち上げられない。それで分かった。この勝負、メガネ君の方が強い。
 同時に気づく。2年前、初めて中上級の見学に行った時見た中にメガネ君はいた。違和感。早い球の返球。タイプゼロを、あの時私は既に見ていた。
 
 引き摺り込まれたら溺れるしかない。だから引き上げる。
 自分のフィールドで戦うことこそが何より大事だった。
 
 視線をずらす。
 たぶんメガネくんも結果にあまりこだわらない。それより自分に何ができたか。その一点が取った一点なのかとれた一点なのか。エースかアンフォーストエラーか。そのギリギリを張る。張るのは前衛の役割だと思ってた。違う。
 ディフェンスに見える分、後方から獲るイメージは薄いが、ない訳ではない。リスクを冒して攻める。望む方向に、なりたい自分に舵を切る。どんな時も振り抜いていたビッグサーバー。そこにメガネくんもいた。あまりに見事に光と影だったから分からなかったけど、ずっと「そこ」にいた。
 
 もし仮にメガネくんとシングルスをやるとしたら、どんな自分でそこに立ちたいと思うか。根っからのゲーム嫌いでも、どうせやるなら私は私が納得できるような、実りある試合がしたい。そうして相手も巻き込んで楽しめるような時間にしたい。
 自由の裏に責任があるように。怖さの裏にある興奮。誰が悪い訳でもない。怒れたのは何よりできない自分に対して。本来それは結果如何に依らない。
 音のない世界に近づく。大きく舵を切った分、見える世界が変わる。
 
「もう一回」と再びジェットコースターの列につくのが見える。ポテトを置く。
「わり、ちょっと行ってくるわ」
 たぶんそうして振り切ることで、また見えるようになる世界がある。






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