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思い込みby my彩度



〈i罠BwiθU〉
 椎名林檎さんのギブスが勝負曲だった。今考えれば一体何の勝負をしていたのか分からない。けれどもとにかく当時カラオケに行けば、この曲が自己紹介の役割を担っていた。

 薄く塗り広げた雲を挟んでも明度は初夏そのもの。その強すぎる力は濃い影を伴ってコントラスト。新緑のみずみずしさを引き立たせる。時折どこからか吹いてくる爽やかな風が、限りなく30℃に近い気温の中、ほっと一息つかせてくれる。

 写真展に来るのはほとんど初めてだった。目の前にある現実を切り取る。何の言い訳もしない、何の手も加えないそれは、無骨な力強さを秘める。人を介する割合が始めから制限されている分「こう見せたい」という「その人自身」が限りなく透明に近い。
「〇〇さんの作品」というのは、見る人が見れば分かるが、それでも作品を楽しむ側からすれば本来そんなのどうでもよくて、ただそのパフォーマンスに感動するかどうか。感動する作品の割合の高いものが結果的にその人による作品だったというだけのこと。
 私自身、写真展に来るのはほとんど初めてという位、元々写真に興味はなかった。今回は対象が猫だったから、たまたま足を運んだだけ。そうして何となく踏み込んだ途端、その色彩に飲み込まれた。

 まず驚いたのはその目を突くような鮮やかさ。葉がただの緑ではないように、空がただ青でないように、「それ」は実に複雑な色の組み合わせによって構成されている。近づいて離れて。極力猫にストレスをかけずに済むよう、現地の人とも関係を築いて。猫を含むその国の、その天候、その時間、その景色を切り取る。
 個性を切り取る無色。その一枚はまるで今自分がその場にいるかのような圧倒的な色味でリアルを伝える。自然の大地、空、土。赤、黄、緑のペンキで塗られた階段。人工物とは言っても自然から抽出したもの。それらが隣り合う。別にそれぞれの良さを主張し合う。同じように猫がいる。同じようにリラックスしている。その姿はまさか自分の生きている場所に疑問を抱くことはない。期待もなければ不満もない。ただあるがまま。
 それにしてもこの写真を現像する技術はどのようなものなのだろう。表面はニスを塗られたかのようで、僅かに凹凸がある。「絵に起こしました」と言われても信じたし、逆に絵だったら「ですよねー」と言えた。そっちの方が現実的な気がした。切り取った景色、人の横顔、猫の目を細めた様子。何の言い話もきかないものだからこそ、その潔さが刺さる。一体この一枚を撮るために、どれだけの労力を要したのだろう。

 限りなく透明に近いその人。
 個性を切り取る無色。
 結果的にその人による作品群だったという事実。

 本当に大切な人に出会ってしまった時、早い所「思い」を消した方がいい。「思う。ゆえに我あり」というやつだ。自分がどう思うか以上に、生み出したそれがその人にとってプラスになるのなら、それは是であり善であり誉。我とは「利益を中心としたその人自身の思惑」。そうじゃない。ただ、真ん中に置いた「それが好き」という思いが、その思いの色鮮やかさが、相手に伝わる。その人の中で、別の「好き」に対する思いに変換される。巡る。その人の見ている世界が、ほんの少しだけ色づく。
 自己紹介の役割を担っていた勝負曲。勝負なんて意気込まなくても「うるさい」「重い」と思う人は思うし「気持ちよさそうに歌うなぁ」と思う人は思う。受け取る側は既に他の要素で是非を判断していて、大事なのはその結果を甘んじて受け入れるかどうか。そもそも気持ちよく歌えたならそれでいいじゃないか。満足して帰ろう。分かる人には分かるんだから。

 青だと思っていた空は思ったより白かった。
 緑だと思っていた葉は思ったより黄色だった。
 処理しやすいようにフォルダ分けしていたのは、興味のない自分だった。本当の色味も知らないで、どの口が「世界はこんなにも美しい」と主張していたのだろう。
 今日の空は白と、水色に水分を多量に含ませた色と、ベールをかけたような橙。頭上いっぱいに広がる。
 掌握しきれない喜び。それは純粋な伸びしろ。
 よく目を凝らして、よく聞いて、考える。大切な何かに見合うためにする努力。そうして少しずつでもフラットに見えるようになったなら、いつかその人と同じものが見えるようになる気がして。
 そんな思い込みby my彩度。





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