星を喰う者におけるデカ重ビックバン愛〜アニゴジに丸三年以上気が狂っているヲタクによる解説 その1〜


映画アニゴジ三部作大好きヲタクのかおるです、どうも。
今さら感がありますが、アニゴジ三章星を喰う者の、ハルオとメトフィエスの関係、感情が、ヤベェんだよ!の話をします。
以前、友人にLINEで送った文書を元に書いたもの、その1です。取り急ぎその1のみ。
ネタバレ含みますので、視聴後の閲覧を推奨します。
※ほぼハルオとメトフィエスの話しかしてないです。

アニゴジ大好き!な方も、
最近初めて見られた方も、
結構前に見たんだけど実は三章よく分かんなかったんだよね〜という方も、
アニゴジとか全く知らんけどなんかここに迷いこじゃったという方も、
へ〜〜かおるって奴はアニゴジ見てこういう感想もってんだ〜と、読んでいただければ幸いです。
色んな方の考察を読んだ上で星を喰う者、再度見ると、楽しいです!スルメです!

本題に入る前に。
大前提として、お伝えしておきたいこと。
星を喰う者キービジュアルの、メトフィエスとハルオの構図は、公式からピエタがモチーフであると明言されています。
星を喰う者  公式HP
http://godzilla-anime.com/smph/

ピエタとは、磔刑からおろされたキリスト(英雄)と、それを抱くマリア(聖母)のことです。
Wikipedia先生リンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%82%BF

つまり、メトフィエスは聖母で、ハルオは英雄なんですねぇ〜。
ということを踏まえて、以下、お読みください。




三章 星を喰う者 メトフィエス簡易まとめ


冒頭を中心に、メトフィエスの思想や意図を簡単にまとめます。

・どうせ滅びるしかないなら滅びを祝福として受け入れましょう、というような、エクシフの教え。
つまり、滅びをもたらすギドラは神。

・人々が自ら神を呼ぶことに意味がある。
人型種族は群生の動物と異なり、個々で自由意志を持つと言われているが、本当の意味での確固たる自由意志を持つ者は稀。
では、本当の意味での自由意志を持った者(人々を先導する英雄)の言葉は、イコール、人々の総意であり、その人がギドラを呼べば、それすなわち、すべての人が自ら望んで滅びの神を呼んだと言っても過言ではないのでは? つまり、英雄に神を喚ばせて終焉をもたらすのが、メトフィエスの言う「栄えある終焉」。(人々が自ら望んで神を呼ぶ、というのが、大事なポイント。)

・では、自由意志ゴリ強のハルオ・サカキくんを、神の供物にあたる英雄として、丹精込めて育てあげましょう!
(終焉を拒み、絶望に抗うハルオだからこそ、そんな彼の考えを覆させ、神を呼ばせることができたら、ギドラという神の在り方をより確固たるものにできるから!)

というのが、メトフィエスの考え。



メトフィエスとハルオの結末についての解釈

・メトフィエスの敗因(?)は、ハルオ(英雄)にこだわりすぎたこと。
エンダルフが「そこまでする必要なくない?」みたいなこと言っていましたが、その通り。
他のエクシフはそこまでする必要はないと思っていたようだったけど、メトフィエスは信仰する神に捧げる最高の供物としてハルオを育てたんです。
それって、ある意味では、ひとつの究極の愛とも言えるのかもしれない……。

メトフィエスはテレパスで最初から自分とハルオの考えが相容れないものだと分かってはいたが、それでも期が熟すのを待ち続けた。
地球人の価値観で言ってしまえば、確かにメトフィエスはハルオを利用して裏切ったのかもしれない。
でも、メトフィエスは、自分たちエクシフとは違うその意思や思考や感情をもつハルオに、最期
「その魂のなんと熱く、眩しいことか」
って言って、手を伸ばすんですよ。
もう目も見えないのに、眩しいって言うんですよ……!
ハルオもその手を握って、泣く。
それは、メトフィエスが自分とは目指すものは違っていたけど、ハルオの意思(人間の尊厳を奪ったゴジラへの憎悪)を肯定し続けてくれたからなんですよ。肯定して、協力してくれた(ようにハルオは感じた)から。

あの劣悪環境(物資は乏しく、移住先の星に着くまで二十年以上かかり、ほんとにそこに住めるのかも分からなかったり、多くの人を失って自分だけが生き残った罪悪感を抱えたり、耐えきれずに自死する者もいたりする中)で、あんなに真っ直ぐ、ひねくれずに育ったのは、ハルオ・サカキ、すごいですよ。
それはハルオが元々持っていた精神のタフさもあるだろうし、もしかしたら、自分を肯定してくれるメトフィエスという存在がいてくれたから、かもしれない(二人がいつから関わりを持ったのかは公式では明かされていないので、私の妄想ですが)。

ハルオのゴジラを倒したいという気持ちに、地球人のアダムや、ビルサルドたちは同意していたけど、一章冒頭のハルオのストライキには、船内ではギョッとした人が多かったようだし。
ハルオくんの感情のデカさとか真っ直ぐさとかって、強烈で危うく思う人もいるかと思う。
でも、間違ってないんですよ。
「人が人であること」に重きを置くのであれば、彼は正しいことをしている。それを、メトフィエスは(いずれ彼に終焉の神を喚ばせようとしたけども!けども!)肯定したんですよ。その憎悪や怒りや絶望は正しいと。
だからハルオくんはここまでやってこられたんですよ。きっと。

公式パンフレット内の宮野さんと櫻井さんの対談では、二人のお別れのシーンに関して「愛が溢れています(意訳)」とあります。
思想の相互不理解の上にだって、愛は成り立つ!
むしろそれ(断絶)があってこその、愛!
というのが、ハルオとメトフィエスです。



ハルオの最後の決断について

ある意味、ビルサルドの考え方もエクシフの考え方も全否定はしていない、ようにも見える。
でも、全然違う。
ハルオは、憎悪や呪いを断ち切るために、ゴジラを憎む最後の一人としてあの選択をした。
「勝ち続けることは、獣と一緒だ。でも、人間は時に負けを選ぶこともできる」
というようなことをハルオは言っていましたが、
フツアの一族にとって勝ち=生き残る、負け=死ぬであり……。

ハルオは、同じことを繰り返さないために、負けることを選んだ。
それは決して憐れなことじゃないと私は思います。
(どうしてハルオが死ななくちゃいけなかったんだろうと仰っている方がいて、確かに、生きていてほしいという気持ちもわかるんですけど。)
ハルオは全然、悲しいことなんてしていない。
絶望や憎悪の連鎖を断ち切ろうとしたんです。他の誰でもなく、自分がきっとその鎖だと思ったから。

ヴァルチャーでゴジラに向かっていく行動だけを見れば、ビルサルドの特攻と同じに見えるけど、心持ちは全く違う。
ゴジラに勝つには、ビルサルドの言うように、人ならざる者(獣)になるしかない。
だけど、人間として、ゴジラに打ち勝ちたいハルオには、それはできない。
では、ゴジラを憎む最後の一人として、どうしたか。
絶望や憎悪や呪い、ゴジラが生んだものを一身に抱えて、全てを破壊する者(ゴジラ)にぶつけたんですよ。
それで(明確には描かれていませんが、ハルオのヴァルチャーが派手に爆破されたので)ゴジラアースが消えたんですから、なんて綺麗にまとまった終わりなんでしょう!

ハルオは「何も残さない」「断ち切る」という選択をした。
子孫を残して生命を繋いでいく生き物としての在り方に反しているこの選択。しかし、人間は敢えてそれを選ぶことだって出来る、それが良い事だってある、という、衝撃の終わり方。
何もかも、繋いでいくことが全て良しというわけでもない。ハルオ・サカキはそれをやってのけた。凄い人だ。脚本の虚淵玄さんはこれが書きたかったんだろうな。
好きだな、と私は思いました。

(けれど本当に何も遺さないのはあまりにも悲しすぎるから、という制作側の都合?配慮?で、子どもを遺していくことになったようですが……。何も遺さないことを憐れに思わないでほしいなぁ。うーん。……独り言です。)



ちなみに挿入歌の「エバーグリーン」は
日本語訳をすると「榊」です。
ハルオ・サカキの榊です。
つまりハルオの歌です。
「正しさは誰も知らない  微笑むあなたを探して」で号泣です。




たらたらと語ってまいりましたが、その1はここまで。
その2では、メトフィエスの聖母(ママ)っぷりを語る予定です。
あと、ハルオ役の宮野さんの演技がハチャメチャ大好きなので、それもまた別の記事で語ろうかな、と思っています。

アニゴジ、物語も、映像も、音楽も、声優さんのお芝居も、何から何まで大好きなので、語り出すととまらなくなります。
いつだって、私はアニゴジの話がしたい。


閲覧、ありがとうございました!


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