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安倍晴明と霊獣の歴史を紐解く🌈

精霊や霊獣を自在に操り、呪術を駆使して、人の生死に関わることができた陰陽師『安倍晴明(あべのせいめい)』。

陰陽師と聞くと、怨霊を沈めたり、厄祓いをするイメージが強いですが、本来は『呪禁師(じゅごんし)』の役割を担う人物です。

<呪禁師とは?>
道教の影響を受けて成立したもので、呪術によって病気の原因となる邪気を祓う治療などを行う人物のこと。

また、陰陽師は、宮廷の総務を担当した中務省の中にある陰陽寮の役職『官職』でもありました。

律令制が厳しい時代には、認められた陰陽師以外の人間が陰陽道を学ぶことは禁止されていました。

現代の仕事で例えると、国家公務員のような仕事と思ってもらえると良いと思います。

この陰陽寮に入れるのは、たったの6人だけ。

かなり狭き門であったため、安倍晴明も、陰陽師として頭角を現し始めたのは、57歳の頃からでした。

晴明は、幼い頃から秀でていた占術で注目を集め、神社仏閣に結界を張り浄化の手伝いをしたり、日本全土に渡り波動を向上させたり、氣の流れや時代の先読みに長けた人物でした。

当時、一条天皇の病を呪術によって回復させたり、雨乞いの儀式によって雨を降らせたりしたことは、史実(歴史上の事実)であると認められています。

そんな謎に包まれた晴明の呪術に関する逸話を皆さんにご紹介します。


ある日、晴明の呪術を学びに来た者たちが、彼にこんな質問をしました。

「貴方の呪術が評判なのは分かりました。しかし、実際に目で見なければ信じがたい気持ちもあります。この場で呪術を披露していただけませんでしょうか?」

晴明は、周りに集まる人々の前で、渋々呪術を披露しました。

池の中にいる一匹の蛙。その池の近くに落ちていた葉っぱを動かし、蛙を葉っぱで押し潰してみせたんです。

この逸話だけでも、彼がどれほどの呪術使いだったのかはうかがい知ることができます。

当時、晴明は、植物や生き物を呪術で操作することはもちろん、霊獣を自在に操ることも可能だったとされています。

清明は、霊獣使いとして、様々な守護や伝達を行っていたということです。


霊獣といえば、今年の干支でもある龍。

日本には、109体の霊獣と、40体の霊鳥がいると言われています。

霊獣は今も、木彫りの彫刻に姿形を変え、神社仏閣に残されています。

特に霊獣の彫刻が多く見られるのが、日光東照宮。彫刻一つ一つに意味があり、メッセージが隠されていると言われています。

晴明が生きている間に見えていた霊獣を、指揮する者たちに教え、絵師に描かせ、それが全国の神社に広がり、今も私たちに降りかかる災いから身を守ってくれているんです。


災害や厄災など、解決できないものは怨霊や呪いのせいだと考えられ、恐れられていた平安時代。

今後は、この目には見えないものを重んじる思想に私たちが近づき、さらに理解を深める必要があるのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈

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