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(童話)「半獣王β版 第一章」

    一章

「いいかい、ラフティ。決して熊の形になってはいけないよ。耳と尻尾を出すのもだめ。ずーっと、いつだって人間の姿でいるんだよ」
 母親が口癖のように言う言葉で、ラフティは目を覚ます。どうやら母親のその言葉を夢に見ていたようだ。
「あれ……」
 いつのまにか、両耳がふさふさと毛の生えた熊の耳になっている。お尻には黒く丸い尻尾まで生えていた。どうやら寝ている間に、半獣体になってしまっていたようだ。ラフティは隣の寝床で眠る母親に見つかる前にさっと尻尾を隠し、両耳も人のそれへと変える。
 人間が暮らす人の村で、半獣のラフティは暮らしていた。母親は人間、会ったことはないが父親が熊の獣族だと聞いている。
 人間族は半獣を忌み嫌う。そういう文化なのだと前に母親が言っていた。「半獣に産んでごめんね」これは母親の口癖。だけど父親はそれはそれはかっこいい熊だったのだ、と。
 14歳のラフティは朝起きると必ずすることがある。村の中心にある井戸へ水をくみに行き、それを火にかけ湯冷ましをつくる。毎朝バケツ3杯分のそれをするにはかなりの労力だった。
「ラフティ、今日も早起きだねえ。おはよう」
 湯冷ましを作り終えるかという頃、母親が台所へ入って来た。
「おはよう、母さん」
「もう湯冷ましを作ってるのかい? そんなの母さんがするのに」
「いいんだよ、もう朝の日課になってるから。それに女の母さんに重い物は持たせられないよ」
「ふふ、ありがとうね」
 母親は言いながら、台所に立つ。そのまま朝食の準備にとりかかった。
 ラフティは母親との二人暮らしだ。獣族の父親は行方知れずで、兄弟もいない。母親は結婚をせず、女手ひとりでラフティを育ててくれている。だからというわけではないが、ラフティは少しでも母親を助けたいと思っている。
「じゃあ、行ってきます!」
「はいよ、しっかり勉強しておいで」
 朝食を済ませ、母親が作ってくれた弁当を持ち、ラフティは学校へ向かう。
この人間の国では義務教育が受けられる環境が整っている。14歳のクラスは最上級生で、あと数ヶ月でラフティは卒業する予定だ。自慢ではないが、ラフティは学年トップの成績を3年間維持している。勉強が好きなラフティだ。
「ラフティは卒業したらどうするんだ?」
 クラスの友達が話しかけてくる。
「できることなら奨学に行きたいけどなあ……ウチはお金がないから。普通に母さんを手伝うよ」
 本当はもっと勉強して、将来は偉い仕事に就いて母親を助けたい。そんな願望がラフティにはあった。しかし母親の収入だけで家計をまかなうラフティの家は貧乏だ。進学して母親の負担を増やすなら、それを我慢して家の手伝いをするのが無難な選択と思われた。
「そういうお前は? 進学するの?」
「俺は勉強嫌いだしなあ。どこか就職先を探すよ。見つからなければ農業でもするわ~」
「ま、農業が無難だな~」
 広いが人口の少ない村だ。就職先など城下町にでも出なければ見つからないであろうことは容易に想像がついた。しかし親元を離れるという選択は、この人間の国ではあまりない考え方だ。子は親を助け、最期を看取るというのが人情とされている。
「ただいま、母さん!」
「あら、早かったねえ」
 母さんの畑を横ぎり、家に荷物を置く。それからラフティはすぐに母親のいる畑へ戻って来た。母親の畑仕事を手伝う為だ。
「何をしたらいい?」
「じゃああっちの土を耕しておくれ。大根を植えるから、大き目に土手を作ってね」
「わかった」
 農業に関して、ラフティは詳しい。母親の仕事を手伝おうと思っているので、学校で教わったことは殆ど忘れず頭に叩き込んでいた。
「……ふう、こんなもんか」
「お疲れ様、ラフティ。種まきは明日にして、今日はもう家に入りましょうね」
 夕方の茜色が村を包んでいる。夜になるとこの辺りは危険だと言われている。理由は野獣が現れるからだ。人間の国でも国境近い外れの辺りに位置するこの村では、統治されていない荒れた土地が近く、野獣が餌を求めて現れる事がたまにあった。
 半分、熊のラフティはそれら野獣を怖いと思ったことはないが、人間の母親が怖がるので彼もそれに合わせるよう過ごしていた。
 夕食は母親の手作りのイモ煮だ。決して裕福とは言えない家庭の、一般的な夕食。米を食べる事もあるが、それは特別な日のご馳走の時だけだった。ラフティにとって、屋根のある家でさほど苦労をせずイモ煮を食べられる今の環境は幸せなことだ。
 夜、寝る前の習慣は、井戸でくんできた水で身体を洗うこと。冷たいままの水に布を濡らして絞ったそれで、全身を拭く。頭髪はたまにしか洗わない。冷たい井戸水を頭にかけることを母親が好まない為だった。それが普通になっているので、ラフティにとっても特別不満を感じたことはない。
「おやすみ、ラフティ」
「おやすみ」
隣同士の寝床で母親と挨拶を交わし、ラフティは自分の場所で掛け布をかける。夏場の今はこの布さえいらないように思えたが、母親の言いつけなのでそれを守るラフティ。少し暑いと感じつつも、ラフティは掛け布を手繰り寄せて目を閉じた。
 暗がりの中、ふと目を覚ますと、部屋には緊張が満ちていた。
「……? 母さん?」
「しっ」
 真っ暗の部屋に感じる明かりは、窓に掛けられた半開きのすだれの隙間からかかる月明かりのみ。部屋の中はほぼ闇夜だ。
 鋭い母親の声にただならぬ雰囲気を感じて、ラフティは寝床の上で身を起こす。母親同様、ガラスのない窓の枠の淵から、そおっと外の様子を覗き見た。
 ガサ、ガサ……。
 聞こえたのは、家の外に置いてある野菜の袋を漁る物音。明るい月明かりが照らす影は、四つん這いの獣に見えた。
「わっ……」
「しーっ、静かにおし。声を上げたらオオカミに気付かれるよ」
 オオカミ、と母親は言った。なるほど、言われて見ればシルエットはオオカミに見える。ラフティにとって、初めての野生の獣との遭遇だった。
 こんな時どうしたらいいのか、ラフティにはさっぱりわからない。
「落ち着いて、気配を消すの。決してオオカミに気付かれてはダメ」
「うん……」
 ガサガサとラフティたちの冬に備えた食糧を漁る音。ラフティはだんだんと怒りを感じずにはいられない。母親と自分でやっと暮らしていける分の食糧なのに、それを食べられているのを黙って見ているなんて……。
 追い払わなければ。
 そんな考えがラフティの脳裏に浮かぶ。考えるより早く、ラフティは動き出していた。
「……あ、ラフティ……?」
 暗がりで心配する母親の声を背後に感じつつ、ラフティは音もなく部屋を出た。台所を通り過ぎて家のドアを出た時、そこに見慣れたラフティの姿はなかった。
「ガウ……グルルル……」
 大きな熊だ。家から出てきた自身より3~4倍はあろうかという獣の姿に、オオカミは驚き唸り始めた。よく見ればオオカミは1匹ではない、さっと見て4~5匹は確認ができる。
 熊の姿のラフティはオオカミの目を睨み返す。一番近くにいるオオカミは唸りを上げ、月明かりに照らされた大きな熊を、半分逃げ腰で睨みつけていた。
 ラフティに勝算はなかったが、現状で勝てるという自信があった。オオカミは群れのうち1匹でも負ければ、他は逃げて行く。そういう臆病な生き物だと知っている。学校で学んだことがここで役に立つのが嬉しくて、ラフティは大げさに、オオカミよりも大きな唸りを上げた。
「ウウ……ガウッ」
 オオカミの1匹がラフティ目がけて地を蹴った。走りかかって来るオオカミを、ラフティは仁王立ちになって片手で大きく払いのける。
 一瞬の出来事だった。飛びかかってきたオオカミを払いのけた事で、オオカミたちは恐れを成し、背を向け去って行ったのだ。
しばらくの間、戻ってきたりしないかと心配したラフティは熊の姿のまま、家の前で門番をしていた。
「ラフティ!」
「……っ!?」
 家の中に入ると、台所で母親がすごく怖い形相で立っていた。
「早く人間の姿に戻りなさい!」
「あ……」
 小さなロウソクの明かりでしか見えないが、ラフティは未だ熊の姿をしていた。母親に言われ、慌てて人間の姿に戻る。母親は人間の姿に戻ったラフティを見て、ほっと一息、吐息を漏らした。
「ラフティ……」
 呼ばれて、ラフティは嬉々として母親に近づく。
 ――パンッ。
 次の瞬間、ラフティの白い頬を、母親は力任せに打っていた。
「え……」
 褒められることをしたつもりでいたラフティは衝撃を隠せない。どうして母親が自分を打ったのか、不安が心に込み上げた。
「ラフティ、どうして獣体になったの。この人間の国では決して耳や尻尾を出してはいけないとあれほど言い聞かせているでしょう」
「あ……」
 打たれた意味がわかった。ラフティは半獣で、半獣は人間に忌み嫌われる存在。だからここ人間の国では決して獣体や半獣体になってはいけない、母親はそう言っていた。
「ごめんなさい、でも……」
 でも、今回は特別ではないだろうか。オオカミが自分たちの家を襲って、下手をしたら母親やラフティ自身が怪我を負っていたかもしれない。もっと酷い結果だって考えられる。そんな夜に、唯一の肉親である母親を助けたいと思うのは、悪いことなのだろうか。
「でもじゃありません。もう二度と、獣の姿になってはダメよ」
「……はい」
 大きな疑問が心を取り巻いたけれど、ラフティは深く考えるのを止めた。自分が半獣なのがいけない、そう思うのが、この人間の国で生きる上で重要なのだと、これまでの生活で重々承知しいていた。
 半獣は人間に忌み嫌われる。どうして嫌われるのか? 人間にはない能力が備わっているからではないか、とラフティは思う。人間以上の身体能力が彼らを怯えさせるのでは。だから自分は獣体になってはいけない。半獣体になってもいけない。周りの人たちを怯えさせない為に。母親の心を傷つけない為に。いつだって人間でいなければ。自分の為じゃない。母親の言いつけを守る為に。母親を裏切らない為に。

 翌日、いつものように学校へ行くと話題は昨夜のオオカミのことで持ちきりだった。小さな村ではちょっとした事件もすぐに村民に伝わってしまう。
「ラフティの家が襲われたんだって? 無事に済んで良かったなー」
「お母さんは怪我してない? 畑の被害は?」
「オオカミもだけど、大きな熊の目撃情報もあったらしいよ。ラフティ、見なかったか?」
「さ、さあね。僕は寝てたから……」
 ラフティは内心でギクリとした。学校の友達は誰もあの熊がラフティだとは気付いていないようだ。
 そこへ道士が部屋へ入ってくる。生徒たちの雑談は打ち切りとなり、皆、静かに着席した。
「昨夜のオオカミ騒ぎだが、一部の目撃情報によると、同時に熊が現れたらしい。オオカミと行動を共にする熊など聞いたことはないが、皆もしばらくは夜間の出歩きを慎むなどして、野獣に警戒するように。……では、授業を始める」
 道士の言葉に頷く複数の生徒たち。ラフティはそれを複雑な気持ちで聞いていた。
 休憩時間が過ぎ、次の授業が始まるかという頃になって、ラフティはふと体調が思わしくないことに気づく。普段は人間の姿でいるのに、突然獣体になったりしたからかもしれない。変な身体の疼きを感じていた。
 2回目の授業が終わり次の休み時間に入ると、ラフティは慌てて教室を出る。動機がして堪らない。こんな体調の変化は初めてだった。
 校舎を出ると、学校の前の道を一目散に走り出す。行き先を考える余裕などなく、ただ走りたいという衝動だった。
 思いっきり走って、村一番の繁華街である中心までやってくる。村の中央にある池の側でラフティはやっと立ち止まった。
「はあ、はあ……はあ、」
 深く胸で息を吸った、その時。
 ――ドクンッ!
 目の前には20歳前後の女の人たちがたむろして、不思議そうにラフティをみていた。
「あっ、……ああっ」
 まるで全身の筋肉が硬直しているような、それでいて力が入らないような変な感覚がラフティを襲う。動悸が治まらない。どれどころかどんどん早くなる。
 立っていられず、ラフティはその場で地面に膝を付く。早く動悸が治まるのを願った。
「……あ」
 嫌な予感がした。自分の意志とは関係なく、両耳が獣のそれに変わる。同時に尻尾も出ていた。
 とっさに母親の顔を思い浮かべるラフティ。こんなに大勢の人がいる場所で半獣体になるわけにはいかない。なんとか耳と尻尾を引っ込めようとするも、それは叶わなかった。
「あ……っ、やだ、だめ……っ」
 震える小さな声はおそらくラフティ自身にしか届かない。
 次の瞬間、池の側に、大きな雄の熊が現れた。
「えっ、うそ! 熊がいる!」
「こんな村の真ん中までどうやって入ってきたの!?」
「違うわ、男の子が熊になったのよ!」
「どういうこと、半獣ってこと? もしかして昨夜の熊って……?」
「ガウウウ……」
 ラフティの声にならない唸り声がその場の混乱を硬直させる。すぐに人間に戻らなくては、そう思うのに、今のラフティにその術がなかった。

 その日の夕方。ラフティは落ちつきを取戻し、家の寝床で横になっていた。姿はもう、人間のラフティだ。
 当然、熊が現れた村は大混乱に陥った。すぐに母親が駆けつけ、ラフティを叱咤した。母親を前にしたことにより少し落ち着きを取り戻したラフティは、その場で気を失ってしまったらしい。
「はあ……母さん、怒ってるだろうな」
 畑に行っている母親の怒りを想像して、気が気ではない。どうしようもなかったとはいえ、獣体を村の人たちに見られてしまったのは致命的だ。
「これからどうなるんだろう」
 漠然たる不安。半獣を忌み嫌う人間たちは、これまで人間として仲良くしていたラフティを忌み嫌うだろうか。
 怖い。
 率直な不安が胸に込み上げた。
 寝床で寝返りを打っていると、部屋に誰かが入ってくる。母親だ。
「ラフティ、起きたの。落ち着いたら湯冷ましでも飲みなさい」
「……うん」
 怒っていると思っていた母親は意外にも穏やかだった。湯飲みに湯冷ましをくんで持って来てくれたようだ。
 ラフティは起き上がり、それをゆっくりと飲み干す。じっとその様子を見ていた母親は、ラフティから湯飲みを受け取ると側に座った。
「聞いて、ラフティ」
 その真剣な眼差しと落ち着いた声が、よりラフティを緊張させる。
「……はい」
「起きてしまったことはもう、仕方がないの。あなたを責めたって、もう変わらない。だから、これからの事を考えましょう」
「……うん」
「村の人たちに話はしたわ。ラフティは私の息子で、熊の獣族の子でもあること。これまで隠していたことも謝った。それで許してくれる人もいたわ」
「許してくれたの?」
 母親は目を伏せ、ゆっくりと顔を横に振る。
「全員じゃない、ごく一部の人だけよ。熊のあなたを見て怖い思いをした人もいるの。獣族が怖い、半獣は嫌い、そういう人が殆どなのよ」
「……」
「明日からは生きるのが辛くなると思うわ。それでも、あなたは堂々としていなきゃダメ」
「堂々と?」
「そう。みんなに責められるかもしれないけど、学校へは行くの。いいわね?」
「学校……行きたくないな」
「気持ちは分かる。だけど最初にそれをしてしまうと、ずっとそれを続けてしまう。この村で生きられなくなってしまうの。だからダメ。勇気を出して、行って来なさい」
「……わかった」
 母親の言うことをラフティは半分理解し、半分はわからなかった。苛められるかもしれないのに学校へ行くのは、逆効果じゃないだろうか。苛めに合うと決まったわけではないが、迫害の目で見られるであろうことは想像がついた。半獣として生きていたラフティは、学校の友達を疑ってしまうくらいには、信じることが出来ずにいた。

 その日から、ラフティにとって辛い日々が始まった。学校で、友達は最初のうちだけ熊のラフティに好意的だったが、それは好奇心であってラフティを受け入れたわけではなかった。道士たち大人は、無条件でラフティを悪く言うようになった。熊だと知れる前は、勉強ができるラフティは道士たちに人気があったものだ。大人たちが悪く言えば、その子ども達もラフティのことを悪く感じ始める。学校で、ラフティは徐々に孤立していった。
 獣族や半獣は危険。人間にはない動物の本性があるから危ない、というのだ。実際のところ、半獣のラフティが人間や物を襲った事は一度もない。半分は人間なのだ、人間としての分別は出来ている。人間たちの半獣への誤解がラフティを苦しめた。
「うわ、半獣がいるぞ」
「さっさと出て行け」
「ここは人間の国だ、半獣が暮らしていい場所じゃない」
 村へお使いに出れば、多くの大人たちがラフティを責めた。ただ半獣だというだけで、それまで優しかった村の人たちの態度が豹変していた。
 お使いはうまくいかなかった。半獣だということで、売ってもらえなかったのだ。悔しさで泣きそうだった。とぼとぼと家に帰る。
「あっ、帰って来たぞ!」
 家に入ろうとした時、子どもの声がして振り返る。そこには10歳くらいだろうか、3人の近所の子どもたちがいた。
「半獣め、いなくなれー!」
「いなくなれー!」
「……っ」
 投げつけられたのは、石だ。子どもの片手で軽々投げられる程度の大きさだが、当たれば痛い。ラフティは反射的に顔を腕で覆っていた。
「うわ、化けたぞー!」
「逃げろー!」
 無抵抗のラフティだが、気づくと半獣体になっていた。熊の耳と尻尾を見て、子ども達が逃げて行ったのだと悟る。
「……」
 ラフティは内心でため息をつき、人間の姿に戻る。力なく家に入った。
 最近、自身の意志とは関係なく半獣体や獣体になることがある。どうしてなのか分からないが、もしかしたら精神的な不安定さがそうさせるのかもしれないとラフティは感じていた。
「おかえり、ラフティ。おや、手ぶらかい?」
「……ごめん、買えなかった」
 母親の顔も見ず、小さな声でそれだけ言って、ラフティは寝床の部屋へ籠る。半分、泣いていた。寝床に横になり身体を丸める。悔しさ、虚しさ、腹立たしさ、あらゆる苦い感情がラフティを包み込んでいた。
「ラフティ! ラフティ! 昼間から寝ているくらいなら、畑仕事を手伝いなさい」
 寝床の部屋の外から大声で言う母親の声。しかし今のラフティはそれどころではない。心が苦しくて仕方がないのだ。何もしたくない、もう家の外にも出たくない。一歩家の外に出れば人間に苛められるのだから。
「ラフティ!」
 何の気遣いもない母親が部屋に入って来た。ラフティは話しかけられるのも嫌で、獣体……熊の姿になる。
「何で獣になってるの。早く人間の姿に戻りなさい。ラフティは人間なんだよ」
「……」
 違う、ラフティは半獣だ。母親なりの気遣いかもしれないと思ったが、今のラフティにとってそれは鬱陶しいものだった。
 この頃から、ラフティに1つの案が浮かんでいた。迫害されるようになって、半年ほど過ぎた頃だった。
――村を出よう。
 半獣のラフティなら、村の外でもやっていける気がした。オオカミがやってくれば、獣体で応戦すればいい。食べ物は、木の実や川の魚など、森に入ればいくらでもあるだろう。しばらくは野宿になるだろうが、獣体になれば毛皮がある、夜も寒くない。村を出て行く先、目指すは獣族の国だ。
 この世には、人間の国と獣族の国があるそうだ。ラフティは学校で教わったことをひとつひとつ思い出す。
 人間の国は全部で5つある。ラフティが居るのはそのうちのひとつ、コンドラ国の外れに位置する小さな村、ソヌル村だ。国境が近いソヌル村より、地図上で更に下へ行き国境を超えると、そこはもう荒れた土地。誰も統治していない高大な土地が広がっていた。その荒れた土地を更に下へ下へと進むと、獣族が統治する獣の国があるらしい。獣族の国は人間の国に比べ、かなり範囲が広い。大きいわりには、統治する国は1つきりだと聞いている。ラフティの目指す場所はこの、獣族の国だ。
 獣族の国に対して、ラフティは殆ど知識がない。人間の国と獣族の国とでは、全くと言っていいほど交流がないからだ。それでもラフティのように半獣がいるのは、きっと内緒で親同士が交流していたからなのだろう、とラフティは幼少の頃より感じていた。
 きっと、獣の国にはラフティの父親がいるに違いない。高大な広さの獣族の国に行ったとしてすぐに父親が見つかるとは思えなかったが、ラフティの希望はその一点に尽きる。会ったこともない父親を頼って獣族の国に行ってみたい衝動が大きく胸に広がっていた。


    第一章 おわり


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