見出し画像

火曜の25時に泣く

6月上旬にウサギが亡くなった。
お父さんが夕方に帰ってきたら既に硬直が始まっていて、ギリギリまで待っていたんだと思う。私が帰ってきた時は既に棺代わりの段ボールに入って彼が好きだったキャベツやみかんが入れられていた。
あと1週間居てくれれば10歳の誕生日だった。

彼は里親募集の譲渡サイトで見つけた。家から迎えに行ける距離の家にいてホーランドロップイヤーの生まれて3ヶ月の子ウサギだった。子ウサギと言ってもいままでネザーランドドワーフしか飼ったことないもんで大きさにビビった。
名前は前の飼い主さんが「背中が茶色でお腹が白いからコッペパンみたい」だからと『コッペ』と命名。譲渡の場合、新しく名前を与えても良いと決まっていたが私たち家族は「折角つけて貰った名前(コッペ)のままでいこう」となり彼はコッペとして生きていくことになった。

家に着たとき、初めてのロップイヤーで性格は図太く撫でてもらうのが何よりも好きで庭で走り回る度に捻ったジャンプをして全身で喜んでいた。耳が垂れているから耳掻きが上手くいかずにひっくり返ったりしているのを見た。

朝、洗濯物を干す時間で庭に出て生えている草を食む。昼間は涼しいところ、暖かいところを季節毎に転々として賢く過ごしていた。彼の通り道を塞いだり、出したばかりのうんちを片そうとすると甘噛みで威嚇する。狭い隙間が大好きでソファーの裏や縁側にある棚の隙間に入っては足元が埃まるけで拭かれたりした。冬に出るヒーターの前を占拠して、着いてないとワザワザ催促し甲斐甲斐しくヒーターを舐めて労っていた。近くで寝転がると肘や膝の関節を舐めてくる。写真を撮ろうとスマホのカメラを構えると撫でてもらえると認識してスマホが邪魔だと奪われ、捨てられる。私の部屋を探検したくて朝6時に扉を引っ掻いて起こしてくる。後頭部や横腹を吸って換毛期のときは顔面毛だらけで鼻にも毛が入っていた。
約10年ずっとそんな日々だった。

7歳の冬。寒さに耐えきれず、体調を崩した。病院曰く「歳だから」と言って点滴を打って帰ってきた。そこから段々と老けていくコッペさんを「いつ居なくなってもおかしくはない」という目で見ていた。
目やにが増えた。処方される薬の数が増えていく。右の後ろ足が不安定に浮いてて走りながらの方向転換が難しくなってきた。検査の結果、右半身に腫瘍ができて、歳の体力的に手術には耐えれないと判断された。
新しく変えたソファーは脚が長かった為、下に隠れて過ごすようになる。段々と歩く頻度も減っていて、私がソファーの下を覗き込み彼と対面するのが増えた。私はウサギの下僕なのでコッペさんの為に地を這うのは当然のことである。モソモソと頭を揺らすのでごはんか水かとそれぞれ入ったトレイを差し出してみると撫での要求が多かった。
極端に食べる量が減った。病院では「食べれるものだけ食べれば良い」と言われて栄養価が高いからと制限をかけられていた好物が沢山並ぶ。それをちょっとずつ齧って過ごしていた。
家族全員が揃っているとき、上半身だけソファーの下から出てくる。撫でチャンスの到来だ。彼の気が済むまで耳の付け根、鼻の頭、首の後ろ、頬、背中、脇腹、しっぽの付け根。あちこち撫でまくる。お腹と脚以外は全部嬉しいらしく、お礼にと足の甲を舐めていた。

朝、彼はソファーの下から出て庭に繋がる窓辺で日向ぼっこをしていた。私は家を出る前必ず吸って一撫でしてから出るようにしている。その日は鼻の頭を撫でてから家を出た。
夕方、スマホでの連絡はあまりしないお父さんから直々に亡くなったとの連絡がきた。

棺の段ボールに家族は好きだった物や写真を入れていた。燃やせる物なら入れても良いと火葬屋のレギュレーションに書かれていた範囲を守る。
私は夜中にこっそり手紙を書いて見送る直前に入れた。誰にも言ってないし内容は私とコッペさんしか知らない。
翌日の昼前には火葬屋が迎えにくると言っていたから一人で段ボールを抱えて家を練り歩いた。抱えるには難しい大きさで足元が覚束ない。だっこはそんなに好きではなかったからこうして抱えて歩くことはないと思った。

次の日にペット専門の火葬屋にコッペさんを引き取ってもらい火葬した。
担当の方はとても丁寧に説明してくれ、最後に「無事に虹の橋を渡れるように」と1羽の赤い折り鶴を頭の近くに広げて置いた。
「ここで最期になるのでお声かけをお願いします」と同時に冷静に対処しようとした防波堤が崩れて泣くことしかできなかった。一通り泣いて最期にいつもの様に吸う。なんの匂いもしなかった。いつも食べていた草の匂い、みかんの果汁の匂い、庭の湿った土の匂い、暖かい日差しの匂い。いろんな匂いを纏っていた筈なのに、動かないコッペさんはなんの匂いもしなかった。
送迎車に積まれて合掌をする。火葬が終わったら連絡をしてくれるなどと改めて説明を受け見送った。車が住宅地の角を曲がって見えなくなる。玄関先で踞り歯止めも効かずコンクリートにそこだけ雨でも降ったのか水をぶちまけただけなのかに見える跡ができた。
今までも2匹のウサギを看取ってきたれけど、あの時は子どもだったのでただ泣くだけで後は親が全てをやっていた。冷静を装って人に会って会話して立ち止まってはいられなさに自分が大人であることを知らされる。

亡くなった火曜の夕方、いつもコッペさん思い出してメソメソとしている。もう私に向けて撫でを要求して腕に収まる大きさのフワフワした彼を触ることができない。あの絶妙な毛の立った後頭部を吸うことができない。写真と少ない動画だけしか残ってない。
未だに家に帰れば吸おうとしてソファーの下を覗いてしまうし、床に物を一時的に置くと「コッペさんが齧るな~」と思ってしまうし、朝と夕方に「水換えなきゃ」と空の容器を持ち上げる。

段々とその癖も消えていくのが悲しい。だから私は火曜の日付が変わる時間に泣いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?