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浜松市天竜区、航空券2枚分の旅|秋葉古道の旅#1

ある冬の夕方。
長野県伊那市高遠町から静岡県浜松市の秋葉神社まで歩いてきた私は、表参道の大鳥居の足元でタクシーを待っていた。最後の参拝客が去るのを遠目で見送ったところでヘッドランプを点灯し、粉々のチキンラーメンを食べようかというところでそのタクシーは来た。

秋葉神社鳥居 (1)_1

「最寄りの飯田線の駅までお願いします」
地図アプリによれば、相月駅まで1時間弱の道のりらしい。前日の夕方に休憩した駅でもある。屋根も小屋もあるので、終電を逃した場合でもそこで夜を明かせばいい。

しかし、1時間後には秋葉神社の前に戻ってきていた。天竜川の脇を通る道は両岸ともに今夏の大雨でボロボロで、どこもかしこも通行止め。2度引き返した末、スタート地点に戻ってきてしまった。地図アプリはおろか、地元のタクシードライバーさんでも最新の情報は把握しきれていなかったらしい。ここは本当に日本なのかと絶望する一方で、こんな所が日本にもまだあるのかとワクワクした。
そんな中でも、路傍のガードマンや通りすがりの地元の方が快く相談に乗ってくれたのは救いだった。結果、飯田線の駅へ行くならば、大きく逆回りで水窪駅へ行くしかないという結論に。この時点でタクシーのメーターは1万円に迫っていた。

「これじゃあ安い航空券が買えちゃう金額ですよね。本当に申し訳ありません…」
そう謝るドライバーは、父ほども年が離れた中年男性だった。私が訥々と語る今回の旅の話に、興味深げに耳を傾けてくれた。そんな彼も、30年程前はバックパッカーだったそう。遠慮がちに、ぽつぽつと話を聞かせてくれた。

大学を中退したこと。捨て身の旅行と、その途中でカンボジアに立ち寄った時の話。かつてのバンテアイ・スレイへの憧れ。クメールルージュによってオーストラリアの友人が殺された話。
どれもが私が生まれた頃の話だ。しかし、どうも懐かしい。そして、時代は違えど同じことをしていた仲間なのだ、と独り納得した。

旅を終えた後、アメリカの大学に入りなおし卒業したこと。親族や世間からも評判の良い職についた事。しかし、世間体よりも自分の気持ちを優先しようと決心した事。仕事を転々とし、タクシードライバーに辿り着いた事。街から距離を置き、山間部をメインにタクシーを走らせている事。不便な山間部での生活への憧れ。
不思議なことに、そのどれもこれも少なからず共感できた。気象予報士という仕事を辞め、宙に浮いている自分とも重ねてしまう。まだ出会ったことのない親友に再会したような気色さえした。

結局、2時間30分かかって水窪駅へ到着した。上諏訪行きの終電は行ってしまったらしい。ドライバーさんも愕然として、本当に申し訳なさそうにしている。

それでも、気分はとても晴れやかだった。

「お客さんには、本当に幸せになってほしいです」
そう声をかけられ、ドライバーさんも、と二人で握手をした。そのやりとりは、とても自然なものに感じた。

旅の最後にこんな気持ちの良い出会いがあるとは思わなかった。これなら、航空券2枚分でも安いものだったと心底思う。人との交流も、まだまだ捨てたもんじゃない。

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