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自分の本当の姿を知らない。

人間のあらゆる苦悩の根本原因は、たった一つの単純な、けれども非常に悲劇的な過ち、すなわち、我々は自分の本来の姿を知らないという点にある。

「あなたは誰か?」

それはあなたという特徴を聞いているわけではない。

自我を超えたその先について問うている。

人間の本質。


私とは誰だろうなんて考えること普通ない。
名前であり、肉体である私。

そこになんの疑問も抱くことはない。


「あなたは誰ですか?」

肉体なのか、思考なのか、心なのか、名前なのか、

シンプルな質問。

これだけ。
人生で、ただこれだけを知ることが出来ればいい。

やりたい仕事は?
夢は?
目標は?

とか様々な質問や問い、問題があるけれど、

そもそも、「私って何?」「私って誰?」という話。

「あなた」とは、「あなた」が思っている「あなた」ではない。


ある転機が訪れ、二年間「自己探求」に費やしてきた。
私とは誰なのか、人間とは何かを知るために

精神的指導者(グル)を探して、

「瞑想」を始め、思考を見つめて、

ベジタリアン、ヴィーガン、不食、と「食」と向き合い、

哲学書を読み漁り、セミナーや講習に出かけ、

田舎にいってみたり、自然と触れ合うようにしたり、

どこまでも探求をしていた。

ただ1つ、単純でシンプルな問いの答えを求めて。


・いわゆる「悟り」という状態になるにはどうしたらいいのか。

・「真理」という何か情報や知識があるのではないか。

・本当の私になるためには何をすればいいのか。

・どうなれば本当の私がわかるのだろうか。

何か今とは違う別のものになりたいと、
なれるのではないかと。

悟れば、全てが楽な状態になると。

この苦しい思いをどうにかして無くしたいと、

しかしこれらは永遠に終わることのない探究だった。

探究、探究、探究、探究、、、、、、、、、

頭での理解を求めて。


そしてようやく、「答えは外には無い」と気づいた。

外にはなく、もうすでに「今ここ」にあるものだと。

それは、「か・ら・だ」

私たちが認識できるのは、身体の五感、思考、内側のお腹空いたとかのちょっとしたこと。

目、耳、肌、鼻、舌。

それら身体が感じた後に、認識が起きる。

風が吹いて身体に当たる。(事実)

当たった後に、身体の感覚神経を通って認識が起きる。

認識した時、「私が」が現れる。

私が感じたんだと。

私が見た。
私が聞いた。
私に触れた。
私が食べた。
私が嗅いだ。

認識が起きる前、ただそれがある。

身体が感じたそのままの事実。

「私」が起きる前の事実。

そのまま。ありのまま。

絶対に変えることの出来ない事実。


これって私が感じてるんじゃなくて、認識しているのが「私意識」

私意識って、認識の作用であって、ただそれだけ。

それ以下でも以上でもない。


認識しているだけの作用なら、私を生きているのは私じゃない。


まさに、GEAR5のルフィのように。


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