気付けば心をすり減らしながら生きている。
「元気になった時がホントに気をつけないといけない」は、うつ病患者は全員一度は言われている台詞だと思う。
それもそのはずで、元気を失った極地ではもはや何をする気力も無くなるし、あらゆる物が無価値に見えてひたすらぼーっとし続ける(あるいはひたすらテレビを見続ける、スマホを意味もなく触り続ける)状態になるので、
自分を攻撃する心配は少ないし、何かに傷付けられることもないからだ。
元気になったころ、気をつけなければならないのはその元気から出てくる攻撃性が自分の方向を向かないか、衝動的にならないか、
ということである。
そこに関しては僕も注意をし続けて、警戒をしている訳で、今のところは大きな被害なくやれている。
しかし、「元気になった時に気をつけないといけない」ことはそういう内向きのエネルギーだけじゃなかったなぁ
ということに最近ふと気がついた。
僕は、とにかく人の顔色を伺ってしまう体質だ。
でも、元気が無かった時期は顔色を伺う余力もなく、外向きのアンテナなんて何にも立ってなかったので、
誰かの顔色を恐れることもしなかった。
でも、元気になってきて余力が生まれると、やはり無意識に顔色を伺っていることに気づいた。
これはやはりエネルギーを消耗する。
あとは、他者の感情移入も同様だ。
誰かの感情に引きづられることは落ち込んでいた時期は無かったのだけど、
今は少し引きづられている。
先日、ふとしたことで知ったHSP( Highly Sensitive Person)というのが僕は当てはまるのではないか、と思った。
HSPは一言で言うなら「高度な感受性があり、敏感すぎる人」だ。
個人差はあるけれど、心の動きや雰囲気に敏感で、心配しすぎてしまったりする。
100人中15〜20人いるとも言われており、5人中ひとりがHSPの可能性があるという計算になるのでなかなか絶対数の多いパーソナリティだ。
治療が必要な人も居るけれど、治療せずに生きていける人が大多数だとは思う。
僕は今思えば他人の感情に敏感だし、無意識に気配を追っていたりする。
あ、僕の場合は気が利くのとは別なので悪しからず。
元気になる前はこのHSPが非常に鈍化していたけれど、元気になるにつれ、このアンテナが機能し始めて、そしてそれが僕自身を苦しめ始めていることに気づいた。
元気なことで、かつての、倒れる前の自分に無意識的に戻そうとしているんだと思う。
これはセルフイメージというか、ホメオスタシスというかなんというか。
倒れた自分を知っているのだから、元気になるにせよ、同じところに戻ってしまっては二の舞になるだけだ、
という事実につい最近気付いたのである。
どこに向けて回復していくのか、
今までと違う自分のセルフイメージはどこなのか、
そもそもそんなことを考えないようにやりたいことだけやりながら回復に専念すればいいのだけど、
なんとなく、元の自分を目指してはいけない、ということだけ改めて意識はしていたいと思う。
そうしていかないと、また僕は心をすり減らして生きてしまう。
現に僕はまた、心を気付けばすり減らしているのだから。
大丈夫な時は、心がすり減っても気付きにくい。
だんだんそれが麻痺してきて、気付いたら心が残ってなくて、心は悲鳴をあげていた、なんて、きっと良くあることなのだ。
まずは思考を、言葉を、あの時の自分から少しずつ離していきたいものだ。
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思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
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