光回線つながったあああああ

誰にも一度も話したことがないから誰も知るはずがないんだけど、

実は我が家ではこの1か月ほどインターネット回線が止まっていた。

理由はただ一つ、光回線のプロバイダの乗り換えだ。
乗り換えに伴う工事待ちで我が家はWi-Fi難民と化していた。

おかげで僕のスマホはQTモバイル(超マイナーすぎるけど九州の会社)の6GBプランだったのだけど、今月分の通信量を使い切ってしまった。
マジで勘弁いただきたい。

今日の工事は13時~15時の間のはずが押しに押して15時50分に来たけど、工事自体は15分くらいで終わった。前回の光ケーブルをそのまま残しておいたのと、電話回線を抜きにしたので作業が超簡便だったため(勘弁と簡便が掛かったとか掛かってないとか…げふんげふん)

設定を10分で終わらせて、無事に開通。

これで僕もso-net光から楽天光ユーザーになれた!
so-net光は3年間キャンペーンで超安かったのだけど、終わってしまったので乗り換えることにした。

電話料金も解約で下がったので、月々1500円くらい下がってくれたことになる。

地味にうれしい。

いや、なによりも光回線がこうしてまた来てくれてとてもうれしい。


いつも当たり前にそこにあると思っているものがないということはとてもさみしいものなんだなぁと改めて感じることができた。

かつてマザー・テレサ先生は「愛情の反対は無関心である」と言ったとか言わないとかいうけど(本当は言ってないらしい※1)

近しい意味で僕は「有難うの反対は当たり前」であると思う。

当たり前だと思ってしまうと、そこに感謝の気持ちを忘れてしまうようにさえ思ってしまう。

いつもの当たり前が続くことに、感謝ができるような人でありたいと思う。

そもそも、人間に生まれたことこそが有難し、とても有難いことなのだから。(とお釈迦様が言ったらしい※2)

当たり前だと思うことにもその存在に忘れず、感謝したい、と思う。


あれ、そういえば何の話してましたっけ。


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出典について

※1 マザー・テレサは愛の反対は無関心とは言っていないそうです。おそらく1986年にノーベル平和賞を取られたハンガリー出身の作家・エリ・ヴィーゼルさんの言葉のようです。下記リンクは表現こそ美しくありませんが、よく考察されています


※2 有難しは仏陀(お釈迦様)が阿難尊者(アーナンダ)という弟子に盲亀浮木という喩え話をした際にお言葉にされたそうです。

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