『猫狩り族の長』読了感想。麻枝氏に興味があれば何とか許せるが、そうでないと駄作。

総評

 麻枝研究所のように麻枝氏の説明書としては本書は評価できるが、小説しては駄作。本書の前半部分は伏線ともいえず、かといってキャラクターの深堀をしているかといえばそうともいえない、かさましのような掛け合いが永遠と続く。
 また、終盤はある意味お決まりの急展開(謎展開)が始まり、しかも泣けない。
 ただ本の帯にある『初めて本当に思っていることを書きました』というのは間違いではなく、麻枝氏のことを知るという点では価値がある(というか、それくらいしか本書の価値はない)。

良い点

 麻枝氏の価値観というか、それを理解する点は良い。本書の十郎丸は麻枝氏の投影であり、散々繰り返されるネガティブ発言も彼の本心なのだろう。
 あとは中盤の音楽談義(ジャズハウス)辺りの話は音楽に関して無知なためか興味深かった。多分麻枝氏もあのあたりはノリノリで書いていただろうし、そういう作者のこだわりが見え隠れする作品は個人的に好き。
 それと趣味を持たない仕事のみに生きる(≒社畜)の考えが少しわかったのはよかったのかもしれない。
 以上麻枝氏の伝記としてはいいが、いかんせん小説の出来としては悪く粗が目立つ。

悪い点

 複数あるが大きく分けると
・文書力の低さ
・ワンパターンの展開
・キャラクター掘り下げの下手さ
・お決まりの急展開

・文章力の低さ
 語彙力というか情景をただ描写しているだけの文章。ニュースやSNSのように情景をそのまま描写したり素人だったりすれば許されるが、一応”文芸”を名乗っていてこれはないと思う。
 私自身文芸作品はあまり読んでいないため明確な違いは説明できないが、終始ラノベ調の本書は文学なのか?語彙力や文章のテンポを工夫できないのであればせめて無駄な描写を省くよう心がけていただきたいところ。ノベルゲーム調なのか情景説明するだけなのと背景CGがないため不必要な描写まで行っている、そんな印象を受けた。

・ワンパターンの展開
 大体の流れは時椿の提案から始まり、十郎丸のネガティブ、落ち込む時椿で話が進んでいく。その展開が

 時椿(主人公)が外出を提案、これ楽しいでしょと十郎丸(ヒロイン?)に提案する→十郎丸がネガティブ発言→私にはどうしようもないとうなだれる(あるいは叫ぶ)時椿

 というワンパターンが。
 おそらくノベルゲームだったらシーン間の繋ぎは暗転できるが、小説だとそれが出来ずかといって転換の仕方が分からないため結果的にワンパターンな展開で済ませているように見受けられる。

・キャラクター掘り下げの下手さ
 十郎丸のキャラクターが本人のネガティブ発言を通してしか感じられないので、読んだ感想が「現実に希望の持てない人」としか感じられない。
 本書を麻枝氏の伝記として読んだ場合キャラクター説明で麻枝氏の考えが分かるのでそれはいいのだが、”小説”として読んだ場合それはただの「設定」であり、そこにキャラクターとしての特徴はない。
 本書のエピソードで言えば十郎丸が必死にメロディを作るシーンがある。それは「天才作曲家の十郎丸」からは想像できない(天才といわれればなんでもそつなくこなすという前提の上で)がむしゃらな光景であり、そういう描写があって初めてキャラクターとして掘り下げが出来る(と思う)。そういうのを行わずただ永遠とネガティブに毒を吐くだけのキャラクターは、例えるならSNSで病みツイートをひたすら見せられるだけの機械に過ぎない。
 掘り下げで言えば主人公の時椿も対して掘り下げはなく特徴的なのが20回は繰り返されたであろう「天に向かってなにかを叫ぶ」という点である(あとは十郎丸との対比で平凡な女子大生という側面くらいか)

 そもそも1冊の9割を時椿と十郎丸が占めている中でたいしたエピソードも掘り下げもないのが本書の薄さを助長している。『Kanon』や『CLANNAD』はガイジ(現実にいると明らかに浮くという意味で)ヒロインとそれを突っ込む主人公でギャグが進行している。そう考えれば十郎丸は間違いなくガイジ側のキャラであり時椿はそれに対して突っ込むべきなんだが、何故か時椿が天然というかそういうポジションに回っている。ギャグのテンポはそんな00年代のものなのにポジションが逆転しているため、ちぐはぐというかよく分からないノリで進行していく。
 十郎丸の長文ギャグ(多分ギャグのつもりはないだろうけど)は『リトルバスターズ』の沙耶を彷彿とさせるが、ボイスのある向こうはともかく、取扱の難しい小説媒体の長文台詞でそれをされているので、単純に話のテンポが悪くなっている。

・お決まりの急展開
 ストーリーは
時椿が自殺未遂の十郎丸と出会う→十郎丸が自殺をやめるよう時椿が楽しいことを提案する→十郎丸が現世に未練が出てくるが時椿のことを考え一人で自殺する→時椿と十郎丸がわかりあうが不慮の事故で時椿死ぬ→時椿が外世界を見てきて自殺をやめた十郎丸の前に出てくる(?!)
 多分普通なら十郎丸と時椿が仲良く暮らすか、時椿が死んだことに負い目を負って生を全うするとかそういう方向に落ち着くのに、何故かいきなり(ある意味でお決まりの)死後の世界的なものを持ち出してきて来るので、面白いというより呆気に取られる。
 麻枝氏はそろそろ死後の世界やループを出さず、自身にそこまでの才能がないことを自覚して作曲だけしたほうが、オタクが無駄な時間を消費しなくてすむんだよなあ。

最後に

 ”麻枝初の小説”という点で売り出しているが小説として見ると面白くない。半分は水増しだしキャラクターの印象も薄い。十郎丸のキャラ付けが長文台詞からのもう生きる価値ないでしょなので、それに共感できないとキャラに愛着がわかない。確かに辛いと思えるエピソードもあるが、おそらく最も心動かされたエピソードに「友達の結婚を素直に祝えない」を持ってきているため共感できない。結婚式を祝えない人ってそんなに珍しくもないと思うし、そこまで失望することなのか?そんなのだから十郎丸の悲壮感がいまいち伝わらず全体的に薄っぺらくなっている。
 また、それを平凡な時椿を通じて見せられているが、その時椿が失礼な言動を繰り返す、自殺はダメだしか言わない。なので両キャラクターに共感や感情移入が出来ない。

 『MOON.』や『智代アフター』は面白かったが麻枝単独だとこうもつまらないのか、と再認識できた作品。このようなネームバリューだけで売り込むのはやめて作曲に専念したほうが、大好きな作曲を続けられて良いんじゃなかろうか。また馬場社長は麻枝氏を解放させ、アンチKey()の魁辺りに託すことでオタクが時間を無駄にしないで済むことを理解してほしい、本当どうかそのようにしていただきたい。(都乃河氏がいればまだKeyには救いがあっただろうに)
 『リトルバスターズ』みたいに取ってつけたハッピーエンドをしないあたり思っていることを書いたというキャッチコピーに嘘はないだろうが、それはつまり”ライターとしての麻枝准”はこの程度なんだなということを理解できた一冊だった。頼むから『ヘブンバーンズレッド』を最後に作曲に専念してほしい。

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