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あの日から一年

時の流れは早いもので”あの日”から一年が経ちました。

”あの日”とは僕が所属していた駅伝部から退部した日です。

あまりにも急な出来事でした。
所属していた駅伝部では3か月に一回監督と面談がありました。面談と言ってもまともに話し合うことができるのは、結果を残している選手だけで、故障している選手や結果の出ていない選手は一方的に監督から詰められる中々辛い面談でした。

かく言う僕も入学から故障続きでタイムも全然出ておらず、そろそろ何かあるかもしれないとの思いで3月1日、監督と面談しました。

無情にも予想は的中。故障続きの僕をもう待てないと言われ、最終的に「3月中に故障を治さなければ退部かマネージャー転向、もし故障が治っても4月中にベスト更新できなければ同じ条件」と通告されました。

当初は強行突破で練習を積み、4月のレースにイチかバチかかけることも考えました。しかし、足の状態はかなり悪く、ゆっくり走ることすらできない状態だったうえ、仮にレースに出れたとしても、確実に足が壊れるのは間違いありませんでした。またマネージャーへの転向も考えましたが、走ることを諦めたくないとの思いがやはり強く、こちらも断念。とは言え自分一人だけでは考えがまとまらないので、3月3日に実家に帰省し、家族や色んな方々と相談することになりました。

その後両親が監督と直接話がしたいと、3月11日に大学まで行き、面談しましたが、監督は眼を合わせることもせず、両親に対して喧嘩腰の有り様。
入学前は「4年間しっかり育てます」との話だったのに、しまいには「我が駅伝部は育成などしない。それは大学側の言い分にすぎない」とまで言い放ちました。

まさかの返答に戸惑い、どうすればいいのか更に混乱しましたが、当時総監督だった方が面倒を見ると言ってくださったので、もう一度考え直すことに。ただ、総監督も次会った際には、「スカウトに回るので面倒は見れない」と言うなど、はっきりした態度を示さなかったので、僕は悩んだ末に退部を決断。陸上は本格的に続けたいと思っていたので、実家に帰り、大学は通信教育へと転籍することにしました。

そして去年の3月31日、寮から荷物も全て引き上げ、正式に退部。
周りからは明らかに可哀そうだなという目で見られていましたが、僕の心は「絶対に見返してやる」という思いで燃えていました。
その後はこれまでのnoteで書いたように、故障なく練習が積めているのはもちろんのこと自己ベストも更新し、一度は諦めかけた陸上競技を続けることができています。

「絶対に見返して、後悔させてやる」との思いを今日もう一度に決意し直し、”勝負の2024”ー。
一日一日を大切にし、頑張っていきます。




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