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相棒小林快との物語 第二話 〜勝木の就職の行方〜

前回の話↓

学生最後の日本インカレも終わり、私は次の大一番日本選手権20km競歩に向けて、国体、高畠競歩、長崎競歩を歩いていた。

インカレ後も順調に練習は積めていたものの、次戦の国体ではアップの段階で異変を感じ失格。これが人生で初めての失格だった。

その後も怪我をして高畠競歩では全く振るわず5位。

※高畠競歩=毎年10月に開催される全日本競歩高畠大会の通称。日本選手権を除く全日本の競歩大会は、全日本競歩高畠大会、全日本競歩能美大会の2つ。

次戦の長崎競歩ではタイムは速くはなかったものの、1着でゴール。

※長崎競歩=国内では珍しい競歩に特化した競技会。毎年12月に開催されている。前日には有名選手や有名指導者の競歩講習が行われ、種目も小学生1000mから一般10000mまである非常に良心的な競歩競技会。

そこから12月、1月とうまく調子を上げていき、2月に入った頃の練習では15kmを当時の日本記録更新ペースである58分台で歩き、今までにないほどに調子がピークになりつつあった。



ブチッ


最終調整段階に入った日本選手権4日前。(3km+1km)×3の最後の1kmのスタート直後。ハムストリングスに痛みが走った。

診断はハムストリングスの軽度の肉離れ。


2月に行われる日本選手権は私にとって就職のかかった試合だった。痛み止めをのみ、テーピングを施し出場した。


その甲斐なく結果は10位。優勝も狙えると思って挑んだ大会は、入賞すらできず、就職を逃した。

その後も痛みを我慢したまま試合には出場したが、全く振るわずに東海大学を卒業。


無職での社会人1年目がスタートした。




第三話へ続く🚶‍♂️

次回、小林快と感動の再会?!🔥


第三話↓



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