ピエール瀧のこと

やはりある程度は言語化はしとかないといけないと思ってとりとめないけど書いてみた(挨拶)

電気、CDはORANGEぐらいから本格的に買うようになって、さかのぼってフラッシュパパから持ってます。実家のどこかにあるはず。ANNやドリルキングアワーも突発的に聴いてました。そこで語る卓球と瀧の話は、ゲラゲラ笑いながらも「ネタ」でやってるんだろうとはどんなにガキでも思いました。たまに「ネタ」でも悪趣味というか偽悪的だなというのもあるはありましたが。

なんやかやで、サブカル触ってる今のアラフォー~アラフィフは影響はそれなりに受けてんすよね。

「世間様」での電気の受容のされ方が、「なんだかよくわからないバンド」から「ヨーロッパとかでライブレイブやったりしてるもっそいミュージシャン(DJ)と、その前で歌ったり被り物して踊ってるデカい奴」、そして「テクノゴッドと性格俳優・器用なタレント」ってなってく過程をみてて、不思議な感覚は同時にありました。とくに瀧は最初は「あれでいい声だからナレーション仕事とかたまに受けてんだよな~」から「映画にちょいちょい出るようになったね~」「城下町って、瀧そんな歴史系キャラだっけ??あ、でも普通に散歩して紹介して器用に番組やってんな~」「しょんないもゆるいな~」「朝ドラ、大河が普通になっちゃってんな、ディズニーアニメ吹替声優までやんのかよw」「『凶悪』と『アウトレイジ』、やっぱりガタイと顔デカイカツいとヤー公も映えるなー」「とくに白石和彌組は、瀧抜きではまず映画制作がありえなくなっちゃってね?」って状態になってて。同時にラジオではゆるい話しながら父親として夫としての話もちょいちょいしてての。「『凶悪』で子供が目が届く範囲でギシギシアンアンしてるシーン撮るってときに、白石監督に『いくら須藤(役名)が欲望の赴くままにやってるヤー公だからって、さすがにこれは必要なシーンなんですかね?子役の子にもマズくないですかね』ってツッコミは入れた」伝説とか。

そして今回のコカインうんたらですが。瀧に怒ったりがっかりしたりするよりは、どうして「(卓球はともかくw)瀧はクリーンだったのに…」てイメージ形成が(勝手に)ワシらのほうでなされることになったのか、本人供述をのむならば「20代からいろいろ薬物やってました」ってことなのにその共同幻想がどうやってできたのか、そっちに若干の興味が出てきてますむしろ。ワシらファンや外野の庶民だけかと思ったら、30年の付き合いある伊集院光や玉袋筋太郎も、「あれだけの才人がどうしてそんな薬物が必要なんだよ」「なにやってんだバカ野郎」とこの1週間で知ったような反応で、それもウソや取り繕いもどうもなさそうなんですよね。器用な才人であったればこそそういう隠蔽・切り分けもきっちりできた、と考えるべきなんでしょうか。


あと、番組打ち切り・降板、作品自粛回収はけしからんウキャー論ですけど、「ものによる」としか言えないんじゃないですかね。最近の仕事のほとんどが「面白いお父さんピエール瀧」ってイメージでとってきちゃったものである以上、また各企業がコンプラ(反社)規約契約をきっちりしている以上は。これがほんとの「Due to contract」だろと。あと、過去作品だって「演者の犯罪と本作品は一切関係ないからこそ、そのイメージで一時的に消費注目されても迷惑だ、イヤだ」って著作者人格権を全面に出されたらもうこちらとしてはそれ以上は何も言えないんじゃないですかね。


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