おはなし仙人:「怒りを爆発させるのはよくないことなのか?」の巻

 その日は朝からさわやかな青空が広がっていました。朝食のあと、庭の花に水をやっていたりんごどんは、これから栗拾いに行こうと思い立ちました。

 ゆっくり歩いて1時間ほどの里山を散歩すると、手さげ袋いっぱいの栗が集まりました。その帰り、ひと休みしようと、池のほとりの公園に行くと、お気に入りのベンチにはなし仙人が座っているのが見えました。その後ろ姿は、心なしか元気がなさそうでした。りんごどんの気配に気づいたおはなし仙人は振り返り、右手を挙げてほっとしたような笑顔を見せました。

「やぁ、りんごどん。ちょうどお前さんと話したいと思っていたところじゃ」

「それはよかった。何かあったのかい?」

「わしはいつも怒ってばかりじゃが、それはよくないことなのかのぅ?」

「どうした、そんな仙人らしくないことを」

「ついこの間、山の仙人会議があってな。わしの裏山の若い仙人が、波動の研究をしておって、波動は共鳴して似た波動を引き起こすと言っておった。楽しいことを考えておったら楽しいことが起こるし、悲しんでばかりおったらまた悲しいことが起こると言う。そう考えると、怒ってばかりいるわしは、やはりいつも怒ってばかりいるし、誰か他の人の怒りも引き起こしていることになる」

「しかし、健全な怒りというものもあるぞ」

「そこが難しいところじゃ。街に出れば、怒りたくなるようなことが山ほどあるが、怒ってばかりおっても、問題が解決するとは限らんじゃろ?」

「しかし、まずは問題に気づくことが大事ではないか? 人間をいびつにするような問題を知ったら、誰だってまずは怒りたくなるもんじゃよ」

「しかし、わしが怒りを爆発させて、怒りをばらまいているのはどんなものか…」

「仙人の怒りにはユーモアがこもっておる。仙人の怒りの言葉は、他人を怒らせることもあるかもしれないが、他人を笑わせたり、真剣にさせたりすることのほうが多いのではないか? 怒りといっても、いろいろある。たしかに、ただいらだちを他人にぶつけたりするのはよくないが、仙人の怒りには、人間がもっと人間らしく生きるべきだという願いがこもっておる」

「りんごどん、今日はお前さんのほうが仙人らしいことを言うのぉ」

「それも波動の共鳴というやつかのぅ。わしも仙人とよく話しておるから、仙人らしくなってきたのかもしれんのぅ」

「りんごどんの話を聞いていたら、自信を取り戻してきたよ。わしはいつもの通りでいいような気がしてきた」

「それがきっと仙人の役目なんじゃよ。おはなし仙人が怒らなくなっておとなしくなったら、みんながっかりする」

「そうか、そうか。それもそうじゃな」

「気を取りなおしたところで、栗でもどうじゃ。拾いたてをうちで焼いて食べよう」

「それはいぃ!」

「秋の味覚を楽しめば、楽しい波動が広まるぞ」

「わしの山で今朝とれた松茸も持って行こう」

〜おしまい〜

(この物語は、「おはなし仙人」という本から生まれたもので、atelier makotomoが季刊で発行している「アトリエマコトモ通信」に掲載した作品を転載しております。)

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