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楽譜を読めずバカにされていたこと

短大の時、ギターアンサンブルのサークルにいて、楽譜を読めず、バカにされて嘲笑されていた。
中心で嘲笑する人は、小さい頃からピアノをやっていて、楽譜を見ればメロディが浮かんで当然でしょ、な人だった。

私は、ピアノを習ったことがなかった。
音楽の成績は3だった。
中学の時、家にギターが転がっていた。独学でTAB譜の見方やコードを覚え、流行歌の弾き語りを楽しんでいた。

高校でギター部に入ったものの、先輩との折り合いが悪くて辛かった。たまたま立ち寄った文芸部は、居心地が良かった。文芸部に移って、ギター部は辞めた。
短大で、改めてギター部に入ったら、四大と合同のギターアンサンブル部だった。そこで、四大の同学年の人にバカにされ続けた。楽譜に限らず、音が大きすぎると言った難癖など付けられまくりだった。

妹たちは小さい頃、オルガンを習っていた。
後年聞いたら、楽譜は当たり前に読めるものの、レッスン日のたびに「今日はどうやってサボろうか」と考える日々だったらしい。

音楽を楽しむって、どういうことだろう。
TAB譜やコードで弾き語りを楽しめても「楽譜が読めない」とバカにされるとか、楽譜は読めるのにレッスンが苦痛とか。
どんな人になら、音楽を奏でて楽しむ資格があるのだろう。
そんな鬱屈した思いを、ずっと悶々と抱えていた。

今日、なんとなく思った。
楽譜を読めないとバカにした人は、音楽を楽しみたい仲間(私)をサポートするどころか、足を引っ張って不快な気分にさせることしかできないような、相当お気の毒なお粗末な人だったのだろうか。
楽譜を読める程度でしかなかったとか、とにかく相手を見下したいとか。そう言えば、サークル内で音楽やギターが上手いと言われる存在ではなかった。
今思えば、ピックで弾くフォークギターではなく、爪を伸ばして弾くクラシックギターに手を出したということは、もうピアノは挫折していたのだろうか。
また、妹たちのオルガン教室も、そもそもの音楽を楽しむという基本から、かけ離れていたのかも。

私は、小学校に入る前に、母のすすめでお琴を習っていた。
学校にあがって、勉強の役に立つ算盤を習いたくなった時に、うちにはお金がないから習い事を2つもできるとは思えず、お琴を止めたのだった。
お琴も好きだった。
もし、うちに普通にお金があると思えていれば、お琴も続けていた。それなら、西洋の楽譜は読めなくても、和楽の楽譜は読めていた。
その時の私は、あるいはお琴の先生は、西洋の楽譜しか読めない人を「日本人のくせに和楽の楽譜も読めないの?」とバカにしたのだろうか。
それこそ、例えば発展途上国でリズミカルに打楽器を鳴らして本人も周囲も楽しんでいる所で、「あなた方には楽譜は読めないでしょうね」と嘲笑うのが音楽家なのだろうか。

私は、楽譜も読めないくせになのだけれど、音楽を演奏するってのは絶対にそんなんじゃない、と思いたい。

ふう。
あの頃はバカにされて劣等感で気付けなかったけれど、そもそもギターは、TAB譜が読めたりコードを幾つか覚えれば、十分に音楽を楽しめる楽器じゃないのかな。
そして、アンサンブルには残念ながら全く不向き。迫力が出ない。もしアンサンブルをやりたかったのなら、ギター部の選択は正直おかしい。
それはそれとして、あの頃も開き直っていたのではなく頑張ったのに、今でも楽譜は本当に全然分からない。しょんぼり。

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