善意の人

こういうことを書いていいのか分からない。と言うより、こっそりとであってもネットのような所に書いてはいけないのではと、ずっとガマンしてきた。
ちょっともうガマンの限界なので、グチらせて下さい。
その彼は、面識のある知り合いで、今は遠方でFacebookでの付き合い。

まずは、私への様々な『善意』に辟易。
例えば、私の病気を気遣って、「テレビでやっていたけど、いい本らしいので是非読んで」と、うつ病の本を薦められたことがあった。
買って読めってこと?でも私、うつ病じゃないんだけど。
あなたが善意を寄せてくれた結果として、私が1500円とか2000円とかお金を使わなきゃいけないって、どういうこと?そういう善人が5人いたら10000円使うことになるの?それ善意なの?
同じ「うつ病」を扱っている本でも、通院検討中の人やご家族に向けて書かれた初級者向けもあれば、がっつり専門的な上級者向けもある。その本が、今の私の欲しい情報で、私程度の患者に向けて書かれているのなら、お金を出して買ってもいい。
ただ、そもそも私、うつ病じゃないんだけど?

それから、彼のお嬢さんへの接し方。もうずっと心理的虐待(言語虐待)が続いている。それをずっと彼はFacebookに綴っている。
例えば、お嬢さんが小学校に上がる時に、欲しいランドセルの色を尋ねた。「紫がいい!」とお嬢さんに好きな色を選ばせた上で、「女の子だから赤にしろ」と彼独自の勝手な価値観の押し付け。
確かに、お嬢さんは藤色のような薄紫が似合う女の子。幼くして、自分にフィットするカラーが分かっているなんてすごい。是非ともお嬢さんの意に沿うランドセルを買ってあげて下さい!と書き込んだところ、
「女の子だから赤がいいと思うように洗脳します」
は?せ、洗脳?!
奥さまが良くできた聡い方で、奥さま方のおじいちゃん・おばあちゃんのお祝いという形で、薄紫のランドセルが贈られることになってホッとした。
しかし、そうなったことにケチをつけていた。

いつもそう。
お嬢さんが、何をやっても必ずケチをつける。
奥さまがご不在で、お父さんである彼を頼ってくると「こういう時だけ」だの何だの、グチャグチャ書き連ねる。
それを、いつもいつも。読んでいて不快極まりない。おそらく、お嬢さんは相当傷付いているのでは。

虐待されている子供は、いまいち目を細めた顔をしている。
落ち着いた環境にいる子供の目は、くるんと丸い。
そのお嬢さんは頻繁に写真をUPされているけれど、どれも目を細めていて、心が痛む。
別の友達が、同世代のお子さんの写真をUPしていて、いつも顔をくしゃくしゃに笑っている。
彼が、お嬢さんのくしゃくしゃな笑い顔をUPしたことは、残念ながら一度もない。

先日、お嬢さんが描かれた絵をFacebookにUPされていた。
おうちの中で、お母さんが真ん中に大きく描かれて、お嬢さんが左端に小さめに、彼は右端に小さく描かれていた。
「これが家の中の僕の存在なんでしょうか」と、またお嬢さんの絵にケチをつけて自虐して、同情を誘っていた。
私には、その絵でそんな解釈はできなかった。小1か小2のお子さんなら、うちの中で自分を中心に描くものじゃないのかな。きっと、お母さんが盾になって、お父さんの攻撃から守ってくれている絵なのだろう。

先日私が書いた「野田市虐待死亡事件に思う」を、彼は目頭を熱くして読んだそうだ。
読んでもらえたことは、ひとまずありがたい。けれど彼だけだった、私の知り合いで他人事として読んだのは。
彼以外の知人は全員、ご自分がこれまで経験してきた大変辛い体験や、これから自分に何が出来るかなど、「自分」に引きつけて、コメントやメッセージを下さっていた。
「目頭が熱くなりました」という他人事コメントに、この人は私を感動ポルノとして消費していると感じた。

そんなこんなで毎度毎度不快になりつつ、話の流れ的には「ありがとうございます」と書かざるを得ない。相手は善意の人だ。しかし毎度毎度イラっとさせられてしまい、とうとうガマンの限界。

日本語で「虐待」と表現すると、どうしても殴る蹴るをイメージしがち。
英語ではabuse権力の濫用)、maltreatment不適切な関わり)などと言う。
欲しいランドセルの色を尋ねたなら、希望通りの紫を買うのが適切な関わり。自主的に赤を選ぶよう洗脳させるという発想は、不適切な関わりであり権力の濫用。
彼のような人が毒親なのだろうか。

とりとめないけれど、そんなグチでした。

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