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虹む

いつか信号待ちに見入った鳥たち。

ここからだと皆おなじように見えるけど、性格はそれぞれだったりして。飛び方もちがったりして。でも私に見分けはつかないから、もう同じ鳥に会うことはない。

ときどき 生きものひとりひとりの、頭のなかとか、すごす世界を考えたりする。わかりっこないし、考えたらわかるなんてことはほとんど無いなっていう気すらするけど、考えてみる。その生きものに入り込んだ目の高さで空想の世界を見る。

想像していたってぜんぜん足りない、そう思うことがあるからずっと、想像力だけは膨らませていたい。今年はいつもより、自分のそういう気もちに気がつくモードかもしれない。

日常のなか、すれちがう人、おなじ電車に乗った人、おなじ職場ではたらく人。どこからか どこかに集まったまとまりのひとつひとつ。その中の、その外のひとりひとりの事。いろんな場所で いろんな形で、一瞬を交わす人/一緒にすごす人/まったく関わらない人、それぞれの道筋や気もち、幾億通りのそれを考える。

わたしたちはとことん枝分かれしている。共通点なんて、地球にいることくらいじゃないか、なんて思う日もある。人間同士なのに、人と鳥くらいちがうなって感じることさえある。だからこそ じぶんに近いと思う感性や感情、一緒に過ごすのが楽しく思える人間と出会えることは、凄く嬉しいことのひとつなんだろうな。その感覚には血のつながりは関係がなくて、枝分かれしたその先と先で、偶然に偶然の重なった大事な出会いを得たりしている。

どこか似た人、どこも似てない人、いろいろな人。置かれてきた場所、選んできた場所、出会ってきた人。すこしでも重なったその時間のことを、好きでも嫌いでも、得意でも苦手でも。それが今 近くてもとおくても。気もちがゆるんで、"生きる"をぼんやり考えるとき、なんだかすごいなぁと じんわりする。

どれもなにかが違ってたら、無かった出会いだと思うし、そうだったなら今のわたしも存在していないだろう。それは性質がまったく変わった自分であっただろうという意味と、こうして生きていなかったかもしれないという意味。今までのなにかがちがったなら、このわたしはここに居なかった、と本気で思う。ちょっと恐ろしい現実。

何を言われても わりといつも考えている。寝ても覚めてもじぶんでありながら、その無事を怪しみながら、ここじゃない世界を空想する。

いつも考えたって 答えなんて、それ以上の事実なんて無いようなこと。森の中の無数の木の、枝の強さとか弱さ。これから出会う天使と悪魔。「いってらっしゃい」の続き。背中にぴっとり張り付いて染み込むみたいなかなしさ。空と雲の青と白の種類、境界線。鳥たちの飛び方にチャームポイント。すごい事が起こった日。

世界はつながっているから、自分に関係のない出来事なんてない気がしている。いま知ってる人も まだ知らない人にも、これから出会う人も この先出会わない人にも、それぞれの喜怒哀楽があるだろう。それでも、ここからだとちいさく見えて遠いそこで、心臓を鳴らしててほしいと思うの。




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