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手ばなす

最近思い悩むことがあって、何人かの人と長くお話をする時間を持った。会って話せないときには、代わりに文章にまとめて伝えた。つらいことは思い出さないのが一番よいと思って今まであまり振り返らないできたし、相談しようと行動に移すことはしてこなかった。それは気もちが他に向けられていたからかもしれないし、ここまで考えこむほどにつらい出来事は今までなかったからかもしれない。あまり覚えてはいないけど、いつかどこからか、明らかに辛さが増えて重くなったように感じて、話すことにした。

多くの人の環境はこの2年で結構変わったし、そういうことをふと思うときには誰を目の前にしても、『お互いにつらいところがあるよね』っていつも思う。それでもやっぱり、人としてよくないって誰かが思うような、倫理観や道徳的なことが大きく変わったわけではないから、自分の目で耳で触れてきた悩みの理由を、そういう環境のせいだけにしきれなくてまた辛くなった。それにほかのだれかが同じようなことで困っていないなら、わたしの思い違いとか傷つきすぎだと言って もうそれでよかったのに、そうではなかった。だから一緒にこまることにした。どうしようねって、困ったねって、誰かと話せるようになった。長く一人で、大きく小さく抱えて悩んできた部分だったから、何年もかけて、ここではじめての、すこしさわやかな感触の心持ち。

同じ人間と長いあいだ関わってきた中での出来事に自分は心を傷めているわけだけれど、それは突然そこにあらわれたわけではなくて、つまり相手の、「人が変わった」なんて事は起きていなくて、ずっとそこにあったそれが目立ってきたとか、それに触れる人が増えてきたとか、そんな流れでいまに繋がる。「人が変わった」んならまだよかったのになあって残念に思う。主観の話だから、反対から見れば私が変わった可能性もあるけれど、自分もふくめて、色んな角度から必要な話し合いをしたい。

間違いはだれにでもあるけど、どの間違いも、いつまでも、何回でも、許されるわけじゃないと思う。まず気をつけて、それでも間違って、どこかで気がついて、教えてもらって、知って、正す方がいい間違いがある。スタート地点も通り道も、見え方も感情も、基本的に何もかもがちがう″人″たちにとって、生活とか関わり合いの難易度とはすごくすごく高いものだな。

もちろんわたしにも もっとずっと早い段階で気がついているべきだった事があったし、この先も自覚や悪意のないひどいことをだれかに仕出かす可能性がある。取り戻せない時間や命や精神のことを考えればどこまでもおそろしくて動けなくなってしまうけど、だれかを目の前にして関わるということは、突き詰めたら本当はそれだけの責任を感じてもおかしくないような事なのかもしれない。自分のした事を時代とかだれかのせいにするだけじゃなくて、相手の気もちを考えてみるだとか、疚しい気分を覚えないかとか、振り返ったり学んだりしながら行かなくちゃ。人を責めて揚げ足をとる時間なんて少ない方がいい。

いくら振り返っても良い思い出ってあるけど、そうは思えない過去について振り返っていた最近は、そのこと自体も自分にとってすごく負担だった。話すにしても、文字で伝えるにあたっても、それに何時間も費やした。おもしろくもない過ぎたことを思い返すのってつらい。望まないのに、私たちはなにと戦っているんだろう、そう思いながらなんとなく、これはいつの間にか戦いみたいになってたのかって思った。そうして文字や言葉にしながら振り返った、そのことで濃く残ってしまうように感じる気もちがまた、辛い気分を上書きしてたようだった。思い出さないでいれば自然とちがう毎日が上塗りされていく、違和感でくるしむ度それを繰り返してきたのだし。

そんなとき、動画だったか文字だったか、『言葉にして手放す』という言葉を見た。人間の心理や、対人関係の色々について調べることもあった中で目に入った言葉。そうか、そういうこともできるんだな、と思って新鮮な感覚をおぼえた。手放す、そういう意味をちゃんと自覚して言葉にした記憶がなかったから、私には新発見だった。刻んでしまう、残してしまう、いままでは多分、そういう思いの方がずっと強かった。

ただそれだけの新しい感覚が、沈んでた部分をすこし持ち上げてくれた。思い返すと どんな方向へでも心がうごいたときには、文字とか絵にすることが多かったけれど、そのどれも、かたちとしては 手放す方へ持っていけてたこともあったのかな。いま、ちゃんとわかって、行動の意味が増えた。これからまたどうしても言葉や文字で思い返す必要があったとき、またそう思えると思う。残す為にも、はなす為にも、かたちをあげたらいいんだな。そんな、きらっとした考え方にまた出会った。新しいお守りにしながら自分と、内側と、またその外側と関わってみる。

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