いき のし かた

世の中がワケわからなさすぎてしみじみ泣いている。小さな存在は我慢ばかり。かなしいのとかさみしいのとか
それに無力感とか諦め
そういう思いが今まででいちばん強いように思う。もう長い間

小さくて大きい国のやり方にも、
ささやかにマヒしてしまうような身の回りの積み重なりにも。ひどくつかれた。そんな世界の、社会の風にこごえてしまう。そうして冷たくなった人もいるんだと思う

黙らせたり、自分以外のなにかのせいにしたりする態度とかスタイル
何かをじぶんに関係ないって思ってしまえる無敵でこわい感性

おぞましい腹黒さ、除ききれない悪夢
間違えてる居場所、勘違いの無責任な洗脳
危険にさらされる生活と命のこと
巻き込まれて振り回される無実のものごと
理由をわからせないでここを去っていく人

消えていった時間と人間と存在と価値に胸がいたい
昨日も明日も繋がってるし
かくれた部屋の外側も地球の一部だし
無関係だと安心できることなんてなくて
どこへ行っても逃げきれない

自分のじゃない大声で叫んで世界も蹴飛ばして遠い昔に戻って、人間以外のふりをしたいような気分

近くに、遠くに、敵が多すぎてまけそう。そのつもりはないけど、仲間もいるし 大事なものこともあるけど、でもつらいよね

いつになっても消えない気分は遠ざかっても傷跡みたいに残ると思う。闘いが長引いて、いくつもの生活はその向こうに消えた。のこされた人はまた 傷を受けながら、胸を傷めながら、たくさんの災いの中で息をする。無傷で完全に無事な人なんてどこかにいるだろうか。わたしはどこまで歩けるだろう。いま、ここをただ通りすぎること自体が、多分ものすごく難しい

どうかしている、って感じる出来事が多すぎた。店のシャッターは降りてからもう開かなくなった。やるはずないだろうと思っていた五輪は始まったし、反対の声は届かなかった。大声あげて全力で応援を楽しんでいる周囲の人には気分を合わせられなくて「開いて正解だよね!」と大声で言われたとき、すっかり疲れてしまった

とてもちぐはぐに思った。その気分が消えないまま、部屋のなかからほとんど動けないでいる。わたしはそんな風に、心からひとつのなにかに集中できない。そこで頑張る人のことを否定はしたくない。どんな内容の話も、大声で有無を言わさず同意を求めることはおかしい。そうすることは正しいのかな。その態度や受け答えはあまりに多くの人を傷つけてないかな。この先をまったく見通せなくて、運命やらのせいにしても空しい。諦めた人、しんどくなってしまった人、つづけたかった人。弱ってしまった人、真面目に世の中に協力していた人、誰を責めるわけでもなかった人。ひとりぼっちで苦しんでいる人、ひとりの病室で、会いたいだれにも会えないでいる人。

数はいつもその数字以上の意味を直接見えなくしてる。麻痺させてる。想像しないでいれば、無関係でいれば、なかったことにしていられるし、いきられる?自分さえ楽しければ、無事であれば、そう思う?それがいつまでも完全には成り立たない世界にいても、無関係でいられる自信をうしなわずに、そう思う人がいるんだろうか。いきるために、種類はいま気にしないから、そんなちからを少しわけてもらいたい

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