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メチルクチルスチールチュール

先月から引き続き、とても有意義な大人の長期休みを過ごしてる。平日に1日中、ゲームをしたって良い!なんてすばらしい。本日はちゃんと制作もすすみました。毎日、あっという間にお昼が来て、夕方を迎えて、夜になって、眠くなる。繰り返しながら光が少しずつ鈍くなる。地球は、自分はいつまで生きているんだろう。何かがきっかけになったり、ならなかったりしながら、昔々から定期的に人間(でいる事)がいやになる。どうしようもなくて、そのまま続けてきているけどさ、そういうどうしようもなさとは一生付き合っていくんだろう。解決策は無いと思う。
いつか一緒にすごして先立った人も、せめて今はもう楽だったらいいなと思うばかり。自分もいつかそうなれる日を目指したい。魅力のない世の中の風を感じながら、最近もそういう感覚が濃い。いつも幸せだし未来の楽しみだってあるけどさ。いつまでも心臓はひとつしか持てないし、頼りないなぁと思っちゃうし、どこにいても不安は消えないし、人生一度きり、の感がいろんな意味を持って、濃厚で重たい渦になって喉に纏わり付いている。世の中から距離をおいたつもりになっても、人としてここに居る限り、なにごととも無関係ではいられないし、「気にならないこと」と「気にしないこと」は全く別のことであるし、生まれ持って育ってきた性質の根っこは自分がいちばんわかっている。息苦しいのは、いろんな思いが共存しすぎているせいかもしれないな。世の中の、マスクやウイルスやワクチンにまつわる過激なムードにも思うところがあり、数年前までだっていつも一杯いっぱいだったその器から、もうずっとあふれて止まらない。

戦争は起こるし、暮らしは簡単にならない。過激な動きは好きじゃないけど、無力に思える声でも上げなきゃいけない事もある。感情だけじゃなくて、「やっぱり間違っているよね」って多くの人が考え直さなくちゃいけない事だって多いはずだけど、長年の習慣とか惰性とか、個人と世間の境目のあやふやさとか、そういうものに感覚をふさがれているような、じゃまをされているような気分が強い。それは自分の中のどうしようもなさと手を組んで、永遠に倒せない敵みたいになっている。

いろいろな攻撃性やハラスメントについて考え(させられてい)る人が増えたようにも思う近頃だけれど、私だってそういう色々に触れてきた。身近で起こった比較的根の浅そうなハラスメント問題すら、清くサッパリ解決するところを見られなかった。わかりやすい悪にだって向かい合うことは難しいんなら、隠されて、隠れてもいる気付きづらい悪ならもっと厄介。それに、受けたことばかり覚えていがちだけれど、直接的にも間接的にも自分が加害していたことだって無いって言いきれなくてこわい。生きている限りまだ間違っていくんだろうし、すぐに気が付いたり、教わったりできたらいいんだけどな。生活って恐ろしすぎる。
でも、だれがどんな角度から見ても100%の善人なんて存在しないわけで。常識の幅や、共通認識といえるものも、幅が広がったり、共有が怪しくなったりして思えて、足元が一層くらく見える。なぜみんなが穏やかで居られる世界はないんだろう、ずっとそう思うたびに、これは修行だなって思っては生活をしているわけだけれど。儘ならないね、うきよ。

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