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逆光

死ぬことは出口みたいにいつからかよく思うようになった。自分でそこへ向かった人と自分との違いはわからないな、そんなにはっきりとは、ないんだろうな。

いっそその外へ出てみたい気分がしてるけど、もうずっと、逆らうように、遠ざけるように毎日を送ってる。そんな気もちに靡いちゃいそうな自分をよく知ってる。まだ出ないよ、出ないけど。そういう気もちと関係なくふいに見えたり落ちたりしてしまうものでもあるって事をわすれない。

まわりの人が、順当ではないけど順番に出口へ向かっていくこと、日々の事、当たり前の事、って言い聞かせてもしんどい。生きてて良かったって思う日を沢山見てきたし、未来には楽しみもあるけど、心の元気のなさはずっと変わらないだろうなっていう予感があって、漠然としたつらさがあって。なかなか思うようには動きづらくなって、気が紛れるような瞬間をたくさん失ったから、去年の春以降 余計に向き合うことになった自分の気もちがある。

手帳に旗を立てて目的地みたいにして、息を繋いでつないで進んできた時間のこと、なにかに食い止められることのなかった誰かのこと、ぐるんぐるんと考える。自分にかかった呪いとか、暗黒の記憶とか、涌き出てきたうっすら黒い霧がつきまとってる。重たいなぁ。吹き飛ばすように鮮やかなものを色々さがしながら、あの人が先に出ていった向こう側のことも考えたりして、せめてこんなに苦しい思いはそこに無ければいいなとか思ってさ。

起こったこと、消えたもの、なくなったもの。それと、出会ったこと、見つけたもの、出来上がったもの。いつも通りの渦だったとしても、いつもより激しくなってた。
いろんなものをなくしたけど、手に入れもした。それはどっちも消えない出来事で、そうやってバランスとってみようとか、見えない力に逆らうように、こころみながら暮らす。

呑まれそうな瞬間はふとやってくるけど。生活ってなんて大変なんだろう、何度思ったかわからないけど。どんな物事だっていつまでもずっと安定していることなんてないし、どんな選択をする心だってわかる気がする。私には、自分の根の性質をかわいそうに思って眺めてた時期があった。遺伝子がセイカクにどう関係するとかわからないけど、環境には影響を受けてきた部分だったと思う。いつからか考え方はずいぶん変わって、いくつかの思考を経てきた。いろんな考え方が存在してしまうことがわかるし、仕方がないし、当然で、真っ当で、やりきれなくて、通常。自分は随分不安定だったし、今もかたちを変えた不安定。だれかの言動を見ては、やさしく居るのはむつかしいし、苛立つことは簡単であるなぁとよく思った1年。

過ぎたもの、遠ざかったもの、ふるくなってゆく始まり、いろんなものを思いながらよく歩いた。前の春からたぶんみんないつもよりくるしくて、悲しかった。そんな気もちの出口が見えないときに、大通り沿いのベランダのそばで車たちの音を聞いていた。だからいつもいじょうによく別の出口のことも考えた。

気もちのおどる新しい、ものとか制作に向かえたとき、すきな人と心地よく話せたとき、少し自分はほっとする。くらい気分が紛れる気がする。

年が明けて2週間とすこし。とても長くて、あっという間だった1年、何度も同じ言葉がつまって、つかえて、下書きが山のように溜まってた。今年もすこしずつ、名前をつけて保存して思い出せるように置いておく。なかなか更新されない気分でも、部屋の中にいても、いつでも新しいことには出会う予定でいるからね。向こうも光って見えてしまうけど、外へ出て行く手前で私がまだ見つけたいもののこと、また会いたい人のこと。なにかと向き合っては、リセットしたいとは思わないでいられるように過ごしたい。



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