CADAN現代美術2023
天王洲で開催されている「CADAN現代美術2023」へ行ってきた。
CADANとは日本現代美術商協会(CADAN: Contemporary Art Dealers Association Nippon)のことである。
この度のイベントは、いわゆる “アートフェア“と呼ばれるものになる。
CADANに加盟するギャラリーが所属作家1名を選び各ブースに展示するという趣旨のアートフェアだ。
若手作家からベテラン作家まで様々な方々が展示され、販売されていた。
アートフェアを体感するのは昨年の3331ART FAIR
2022以来だろうか。
アートフェアは、芸術祭や展覧会とも違う"お祭り"的な賑わいを感じる。
目的はもちろんアート作品を販売し、売ることになるのだが、
そんな工程の中で、人と人との交流が盛んに行われる。
ディーラーと来場者。作家と来場者。作家と作家。来場者と来場者。ディーラーとディーラー。また、それ以外なども。
実際、私もアートフェアに出展させていただいた時に、その楽しさを感じた。
見ず知らずの人とアートという共通項で繋がり合うことができる。
日常にはない心が高揚する瞬間である。
「現代美術」「現代アート」と呼ばれるものは作家が生きていることが多く、作品の制作者を目の当たりにすることができ、制作者の意図や思想を聞き入れることもできる。
近代絵画中心の美術展では生まれない生々しさを感じることができる。
作品の内容や文脈を聞き入れることで、作品が好きになってしまったり、別の人から作品の魅力を語られ、自分も好きになってしまうことがある。
その瞬間、
自分の感性が一回り広がった感覚を感じる。
アートフェアは、そんなことが
多い。
普段アートギャラリーへ行っても受付の人も、ディーラーなのかハンドラーなのか分からないが、決ってって愛想があまりよくない。
そんな立場の人たちも、アートフェアにいたっては、とても愛想よく、話しやすく感じる。
美術館の展覧会へ行った場合も、静かに一人で作品と対峙し、自己完結して終わることが殆んどであったりする。
美術や芸術の、いわゆる一段、敷居が高い感じは私も好きだが、アートフェアの時だけ、その敷居が一段下がってるような感じも、とても面白くて好きだ。
静かな美術館で眺める絵画のシチュエーションと、あちこちで話し声が渦巻き、仮設壁にようやく吊るされた絵画のシチュエーション。
水族館で眺めるマグロのシチュエーションと
市場で眺めるマグロのシチュエーション。
マグロは食べられる為に存在しているのならば、
絵画は見られる為に存在しており、
自分だけが食べるためには対価が伴い、
自分だけが見るためには対価が伴う。
のだろうか。
いずれにせよ
なんにせよ。
アートという物質が、人や世界を撹拌させる要素になっているということは、あるわけで、
そういうものであって欲しいと思う。
私が生れた街でも、
このような撹拌が起きないだろうかと、
天王洲の川を眺めながら
考えていた。
マグロの個性は対価にはなりずらいが
人の個性は対価になりうると。
そして、その個性が賑わいを生み、
あらゆる豊かさへと繋がることができるならば、
その価値は対価以上のものではないだろうか。
私の愛した街がアートに意識を置くというならば、
いつか、人と意識を撹拌させるような"アートフェア"
を実現させてみたいなと、
悔しさと嬉しさを混ぜ合わせながら、
思ってみたりした。
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