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【レポート】OSAKA URBANDESIGN EXPOLRE vol.1『水都大阪・大阪の河川行政』(講師:川上卓さん)

設立から18年を迎え、メンバーも11人になったハートビートプラン。
活動のフィールドも領域も広がり嬉しい反面、大阪に所在する事務所として、もっともっと大阪のことを学び、関わりを深めたい、そんな思いから、社内連続講座「OSAKA URBAN DESIGN EXPLORE」をスタートしました。

大阪で先進的な都市デザインを実践されてきた方々をお招きし、直接レクチャー頂くことで、ハートビートプラン社員の大阪への理解を深め、また内容をアーカイブし一般に公開することで、広く大阪の挑戦を次世代に伝えてゆくための試みです。


第1回は「水都大阪・大阪の河川行政」と題し、水都大阪のこれまでの取組やそれを支える治水・防災行政に関して、行政の立場で長く深く関わられてきた川上卓さんをお招きし、お話をお聴きしました。

【現地見学】海より低いまち大阪の水害との歩み


今回の回は二部構成。第一部は、「津波・高潮ステーション」にお邪魔し、大阪の地形特性やこれと密接に関わる過去の水害、その教訓を踏まえた対策等について、解説をいただきながら、館内の展示を学びました。
「”見て、聞いて、触って”楽しく学び、災害への備えの大切さを心に刻む」施設コンセプトのとおり、普段はなかなか意識しない災害に対して、改めて意識を高める機会。大人になると、こうした施設に足を運ぶ機会そのものがなかなか無いですが、河川をはじめ公共空間に関わる業務も多い中で、また、個人としても日常の備えの必要性は大人になっても不変な中で、改めて学び直しの機会を得た時間となりました。

(主なポイント)
・大阪府の約40k㎡は海抜0m以下の土地。108万人が生活している。住居の2階が実は海面レベルであることなどを実感させられる展示や古地図に驚き。
・台風に伴う高潮被害の歴史。室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風などの被害を伝える生々しい写真に自然の力を実感するとともに、これらの教訓から長く計画的に整備されてきたダムや水門等の防災設備の存在を再認識。
・直近の台風でも、防災設備の運用等に緊張感を持ってあたる現場の状況を聞き、今なお続く日々の対策や治水緑地や流域調整池、地下河川など進行する治水対策の取組。

「海より低いまち」を実感
高潮被害トンネルでは過去の水害被害を生々しく学ぶ
まちなかにも刻まれている水害の教訓
大阪の治水を支える水門の構造も教わる

1.大阪の治水対策と水都大阪


※掲載されている図表は、国土交通省、大阪府、大阪市、水都大阪コンソーシアム等のHPで公開されているものを題材にしています。この記事からの直接の転載は禁止します。

1-1.川上卓さんの経歴

1991年に大阪府に入庁し、最初は高潮対策の係を担当していました。その後「寝屋川水系」の治水対策、東京の国土技術研究センターへの出向などを経て、2009年には西大阪治水事務所の所属となり、津波・高潮ステーションの担当の後、水都大阪推進委員会にも関わりました。そこからまた治水の仕事に戻り、ダムの設計や大阪府都市整備部の調整事なども行っていました。現在は大阪モノレール株式会社に出向しています。

1-2.昔の大阪の川

大阪は淀川と大和川にはさまれた場所にあります。上町台地があってこの辺(台地東側)まで湾だった、それが埋まって出来た場所なので低地です。上町台地と旧大和川と旧淀川が上町台地北端部に集まっていたのですけれども、台地の他よりちょっとだけ低い部分をぶちぬいたところが京橋、京橋口、八軒屋。ちょうど北浜のところは急に川の後背部(南側)が高く上がりますよね。
 

地質については、川の堆積物が埋まって出来た土地なので、粘土や砂が互層になっていて地盤が非常に弱く、軟弱な上に水はけが悪い。ただ、帯水層が水を多く含んでいるので、経済発展の際に工業用水のために地下水を多く汲み上げました。1年で80cm程度地盤沈下した年もあります。ビルは深くまで基礎打っているので、ビルの玄関がや道路がどんどん下がっていき、それに合わせてどんどん階段を出していく、というようなこともあったと聞いています。
 
ここからが本題ですが、大阪ではもともと市域は地盤の低さやそれ以外も含めて、治水、水との闘いをしてきています。水害の特徴がいくつかあるので、それについて説明してきます。

1-3.大阪の水害

一つ目は「外水氾濫」というものです。堤防は川側が外で、陸地が堤防の内側と言います。外水というものは川の水とか海の水、堤防の外側から水が氾濫するというもの。
毎年テレビなどでよく大規模な水害ありましたと報道される、水浸しなどです。この浸水は川の堤防が崩れたり、オーバーフローしたり、とにかく堤防が耐え切れなくなって、本来川等にある水が内側に入ってくるというもの。これは雨が止んで水位が下がるまでひたすら内側へ入ってくる。大阪はですね、最近は外水氾濫はほぼ無いです。あっても、小さい川から少し出てくるくらいです。

けれど、明治時代には淀川の堤防が決壊して悲惨な水害になったという記録があります。また、今の大和川は、幸いなことに大規模に決壊したことはありませんが、奈良との境界部分は少し狭くなっているので溢れることがあります。大阪は被害が無いのですけれども、実は上流で溢れているような状況で、まだまだ治水レベルが低いです。大和川は無理やり溝をつくって掘り返した土を盛り上げて通した川なので、すごく川底が高いです。だから溢れやすい川になっています。

二つ目は、「内水浸水」といいます。これはさっき言いましたように堤防の内側の水が外側にはけない、水が川に流れなくて溜まるという水害。これは今でも頻繁にあります。
資料は2012年の写真ですけれども、2021年も結構水位が上がっていた。内水浸水は今でも起こっています。堤防が高潮対策のために高くつくられていますよね、そうすると陸地側に降った水は溝を流れ、下水のポンプがあるのでそれで川にだしているのですけれども、そのポンプ(や溝の排水能力)が負けると、負けた分だけ溜まるしかない。北浜通なんかは一瞬ですけれども頻繁に溜まります。

三つめは「高潮」です。こちらは津波・高潮ステーションにて解説しました。

ここで、過去に大阪で大きな被害のあった水害を紹介します。
安威川ダム(大阪府茨木市)が間もなく完成しますが、ダム建設の契機となったのは「昭和42年の水害」です。北摂、新幹線の線路沿いのあたり一面が水浸しになったり非常に大きな被害うけた。現在、ここは日本物流の大動脈になっていますので、これを何としても守るというような形で、川を掘ったり広げたりして海まで流すのが王道の治水ですが、延長が長く、また、すでに都市化されて周りの土地利用もあるので、それだけのことが出来ないということで、上流で水をせき止めるためにこのダムが建設されています。昭和42年の水害から55年をかけて、間もなく完成します。
 
もう一つ「昭和57年豪雨」というもの。これは大阪の南の方ですね。堺から泉州の方に、富田林土木管内とか松原の辺りで、大和川に入ってくる石川とか西除川という南から北へ流れている割と大きな川がありますが、それが氾濫したり橋が流されたりと、これも大きな水害でした。私はまだこの時は高校生で、大和川こそ氾濫しなかったのですけれども、南海電車は通れなくて止まっていました。
 
その他にも平成に入っても、たびたび水害が起きています。左の「平成7年豪雨」は川の氾濫です。あとは大体、内水浸水で、川にはけなくて水浸しになることが多いです。
 
これは「平成24年集中豪雨」です。それまで時間当たり50mmくらいの雨だったのが、この辺りの年から、時間当たり100mmの雨というものが出てき始めています。時間は短時間ですが、ポンプの能力が負けるので内水浸水になりやすい。一瞬で水が溜まるというものが、最近よく起こっています。高槻、枚方など色々なところで内水浸水を主とした水害が起こっています。また、外水が洪水で大量に流れてきて、堤防が崩れる、土地が流されるという被害は、今でも時々起こっています。


高潮が起こる台風という水害の種類もあります。コースとしては、大阪湾のちょっと西側をかすめるというコースの時には気を付けてください。東寄りのルートを行くと、水が遠ざかる方向に風が吹くので、高潮被害はそんなに気にしません。西寄りルートに行くと、低気圧と吹き寄せで水位が上がるという状況になります。このような知識を広めていきたいなあとは思っていて、解説なども作っています。

 第2室戸台風の写真です。これは多分、堂島川ですね。渡辺橋の堤防からあふれ出てきている。向こう側が川です。川に浮かんでいた船があふれて出てきそうなくらい高潮が上がっていますという貴重な写真ですね。

1-4.大阪の水害対策

外水氾濫対策

安威川ダムというのは北摂を守るダム、北摂はもう一つ箕面川ダムというダムがあって、この二つで北摂を守っています。この箕面川ダムは小さいもので30年くらい前に完成しています。また、大阪南部には元々農業用のため池である、狭山池という池があります。元々あった人工のため池の治水機能を活かして、それを嵩上げしてもう機能を増強しているのが狭山池ダムです。昭和57年豪雨の被害を契機に作られました。

内水浸水対策

内水浸水対策について紹介します。主に淀川と大和川に挟まれた低平地、河内湾のところ、水はけが悪くポンプでしかはけないというところはどうしようもないので、大雨時にわざと水を溜める「治水緑地」というものを作っています。寝屋川の上流の辺りには、大きな寝屋川治水緑地というものを作っています。そこは寝屋川の水位が上がっていくとオーバーフローして水が入ってきて、下流側まで水が行かずにまずは緑地で溜めると。下流では下水のポンプで、水位が高い河川に水を運ぶ力が必要になりますが、河川の水位が下がるとポンプ排水能力が上がるので、これで下水ポンプで水を川へはく手助けになります。川の水位を下げるために、緑地が水を横取りするということになりますね。

 「流域調節池」というものもあります。これはピンポイントで、特にこの辺りだけ水に浸かるというところ「集水域」に、水の集まる小さい範囲だけの水を集めて小規模なため池を作る方法です。とはいえ土地はなかなかないので、例えば地下駐車場のさらに地下に水を溜める施設を造っています。これは布施の駅前です。これは大規模ですが、大体は地上が市の公園で地下にため池がある。寝屋川流域には現在で24か所こういうものが出来ています。


 もう一つ、これはすごく大きな施設です。これは水はけが悪い根本的なところを何とかしようということで「地下河川」という大きな構造物です。もう地上に川を掘れないので道路の地下を活かして河川を2本、北部と南部に造っています。北は守口から城北に向かって、一番下流側では直径10mくらいあります。これはやはり地下なので、最下流の海に流すには大きいポンプが必要なんですけれども、そのポンプはまだ未完成です。これはどうするか、非常にお金と維持費もかかるので、どうやっていくか、作戦を考えなければなりません。

高潮防御計画

これは大阪の高潮対策の仕組みの模式図です。高潮対策は、橋があげられないので、水で門止めて、その時に雨も降ると水がどんどん下流側に入ってくるので、それをポンプで流します。水門が開いているときもポンプで流すのですが、それは京橋のところ(川の合流地点)が狭いので、生駒・淀川・大和川の集まった水が全部ここへ集まって来るので水位がどんどん上がります。ちょっとでも水位を下げるためにここの毛馬排水機場で引っ張るんです。それは高潮でなくても寝屋川の流域に結構な雨が降るとポンプ回して水位下げる。10cmくらい下げると効果は絶大です。これはすごい能力があるのでポンプが稼働すると安心します。

ここにある高さ、OPっていうんですけれども、大阪の最低潮位からの高さが大体2.8mくらいまでが安全なので2.5mくらいから準備しだして2.8mになると稼働させる。本当は3.5mくらいまでは堤防の高さがあるのですが、あらかじめそういう形で稼働させます。

これ(オレンジ線)が水門、アーチですけれども。水門の外側はですね、OP+5.2とかこの辺がさっき言っていた、最悪のコースと思われる想定で計算した高潮の高さ。これにいくらか波の吹き寄せとかで飛び越えてくるので、余裕を持たせて、波の変動と吹き寄せを考慮してこの高さでできています。外の堤防の高さはこのくらいになっているのですけれども、波がぶつかったら(水位が)上がるので水門だけ少し高いです。海から堤防が続いてきて水門がちょっと高い、そんな構造になっています。水門の内側に入ると、橋との取り付けの関係で堤防の高さは計画の4.3mに余裕高を見て、でこぼこありますけれども、5mくらいで堤防が出来ています。
 平成30年の高潮の時は、潮位は5mを越えました。水門にバンバン当たる吹き寄せのしぶきの高さを除いて。水門がもしなかったら水浸しですね。それで相手が無尽蔵に水がある海なので、えらいことになっていたと思います。
 
この水門、結構大変なんですよ、鉄製でワイヤーで動かしますが、少しでも水門を軽くするために中を空洞にして浮力が発生しないように穴が開いています。これを水から上げると中から水がダバーッと出てくる。中がドロドロで、掃除が大変です。また、上流側に閉じて海側から力が加わっても、鉄は引っ張りに強いので、薄くするために引っ張り側に強い構造として水を受けています。コンクリートは圧縮に強いので、ダムなどは凸側で水圧を受けますけれども、水門は薄くてもたせようということでヒンジ構造にして変形を認めた上で引っ張りに堪えるという構造になっています。

津波対策

この水門、津波は想定していない設計になっていました。そもそも大阪湾の構造上、淡路島という大防波堤がありまして、あの紀淡海峡を抜けてくるだけでも、津波は大分跳ね返るんですね。水門内側に4、5mくらい堤防があるので、普段2mくらい余裕があるからここで耐えるしかないねという設計なんです。なぜ水門を閉めたらだめなのかというと、波の力は高潮の力と比べてどうなのかわからない。水門が微妙な歪みでずれたりすると今度は開けなくなってしまう。当時は閉めない方針でしたが、現在では耐震補強をして何とか閉めようということになり、柱に耐震補強をしています。
ただ、水門が津波にぶつかってどうなるかはわかりません。例えば、コンテナなどが流れてきて、ぶつかったらもう水門があげられなくなってしまう。その時に水門内の洪水を流すためには、もともと水位調整のための小さい水門が横にありますので、それを開けて、多少時間稼ぎしようかという形で今はやっています。なので、非常に危なくて津波の時に閉めるのは勇気がいります。

次世代の水門

 一方で現在の水門は年月が経ち、もうボロボロです。綺麗に見えますけれども中は錆びています。それで、造り替えていこうとしています。残念ながら、現在のアーチ状は景観上は美しいですが、先程の津波の話もあり、地震で電気が止まった時は発電設備はありますが、何か壊れたら動かない。ゲート式だとワイヤーを切れば落ちるというので、泣く泣くゲート式にしようということになっています。ただし安治川水門などを考えていくにあたって水門を色々利活用できないかとか、景観などについて委員会を作って、何か活用方法が無いかと思っています。この前は絵画コンペとか、子供たちを集めてPRしたりしていましたね。また興味持っていただければと思います。
 次の世代の水門は、今度は100年持たせようと思っています。地球温暖化とか、気候変動の状況も想像して、ちょっと高めの水門にしようということで設計されています。

1-6.知識と情報の重要さ

大阪は色々対策して日本の中では相当治水の安全レベルは高いです。それは自負していますけれども。結局皆さんずっと大阪にいるわけでもないだろうし、旅行先で被害にあうかもしれない。やっぱり知識と情報を個々人に持ってもらうようにシフトするべきだと思っています。これが一番言いたいことです。

全国的に各河川管理者がこういう洪水リスク表示とかを公表するというのが義務付けられている。まだ追いついていないところもあるかもしれませんけれども、大概こういうものがあります。どこに行っても。大阪府はこのようなマップも作成しています(大阪府洪水リスク表示図)。雨の強さによって浸水のエリアは違うので、10年に一度くらいの雨とか100年に一度くらいの雨とか、1000年くらいの雨(とにかく今まで経験したことのない雨)をクリックすると、どのくらい浸水するかの想定が分かります。このようなものを各自治体や国が発表しています。こういうものがあるということを知っておいてもらうというのが一つ。
管内のすべてではないですが、河川カメラというものがあります。地図上をクリックすると、カメラでリアルタイムの水位状況が見えます。川に見に行って落ちたりとか途中溝にはまったりとかして亡くなる人がいるので、見に行かないでこっちを見てくれというような政策を進めています。

これからは、ハード対策で行政とかが頑張っても、結局は自ら知識を持っていただくことが必要です。ちょっと知っていたら同じ事業所を構える時も、1階はこういう使い方しようと、大事な機械は2階に置こうとかね。自分の家であれば50cmでも嵩上げすれば、周りが全部50cmのため池になるから断然有利ですよね。そういう知識をできれば小中学校の授業で入れていってほしいなという思いを色んな所で伝えています。
 

2.水都大阪

2-1.水都大阪のはじまり

江戸時代は、現在の大阪市内の大きな道路がほとんど堀だったんですね。そこで小さな船で荷物を運んだりとか、各藩の倉庫みたいなものがあったりだとか、商人がいっぱいいたというまちです。それが当然、船がいらなくなって車での交通になっていって、堀が埋め立てられていって今の状況に至っている。
大阪は奈良時代よりも前には難波津という都でした。難波宮が大阪城のところにありますけれども、あの時代以来の大都の拠点というか、ここが首都みたいなもので、開削した堀川が物流の大動脈ということになっておりました。一方やはり地形上水害は今と比べ物にならないくらい多かったと思います。そんな困難を乗り越えてきていると。また堀があったので橋があって今でも、心斎橋でもそうですけれども、交差点が「~橋」ですよね。そこには橋があったんですよね。大阪はそのようなところです。
 
水と光で盛り上げていこうとしていたのでイルミネーションも明治のころから始まっています。あとは博覧会跡の新世界、そこにも遊園地みたいなものがあって、そこで色んなネオンサインの夜景の演出とかをやってきたまちですよという背景があります。

2-2.河川管理の視点

一方、河川管理という目線で行くと、もともと河川というものは法律がありませんでしたが、明治29年に河川法というものが出来ます。しっかりと国が法的根拠の下で水を治めていって水害を無くして、国を発展させていこうということで、治水オンリー、治水最優先でした。それがもう少し時代が進んで、昭和39年になると近代工業の発達があり、こんどは治水だけではなくて、水を色んな工業に使う、工業用水とかが出てくるので「利水」の観点も入れると。この辺りから多目的ダム、発電ダムとかが出てきています。そこから、時代が流れて平成9年になると「環境」、水辺というものをまちなり人の生活に生かしていきましょうという観点が法律で河川管理の目的に加わりました。この辺りが一つ大きな、色んなことが進む節目になっているかと思います。
この場合の「環境」というのはですね、主に自然環境です。水辺の生き物とか水そのものとかいうのが主な言い方ですけれども、大事なのは「地域の意見を反映した河川整備の計画制度の導入」というものがここで、法的に行いなさいということが位置づけられた。これが画期的というか、おかげで大変にもなりました。
 そのような法的な背景があって、大阪の需要としては水辺の都市のルーツを見つめなおす、水辺が育んだ大阪を改めて「水都」として再生したいということで、実は、河川法に環境が加わるちょっと前から、ちょうど私が平成3年に府庁に入って、その辺りから少しずつ色んなことが始まっていました。その時代は河川管理者が、悪い言い方をすると、思い付きでやっていました。通勤に使う公共交通だという理屈で、民間事業の舟運である水上バスが最初始まっています。そこで河川法が変わったので、勢いが出て、この辺りからもうちょっと水を使っていこうという話になってきていました。そして、この辺りでバブルが崩壊しています。
 

次に日本中がえらいこっちゃとなって、色んな意味で都市を再生しようというプロジェクトが国の内閣の肝いりで始まります。色んなプロジェクトがありましたが、一次プロジェクト指定の三本の中の一つに「水都大阪の再生」というものが位置付けられました。これも府・市・経済界で働きかけてね。経済対策として位置づけられていますが、その一環で防災でまちが強くなることで経済が強くなるという意味もありました。こういう緊急経済対策に位置づけられた。これが2001年、平成13年になります。さっき平成9年に河川法改正されたと言いました。経済対策と水都再生で、予算が取れるようになりました。 

2-3.水辺の構想計画から府市の連携へ



一方でもう少しソフト的な、計画的な背景として平成13年に政策への位置づけがあって、平成15年に色んな名前でとにかく盛り上げて水辺使っていきましょうという構想計画が作られます。構想計画がないと行政が動けないのでそういうものができてきました。平成21年にこういうものを外に発信するぞとそういうシンボルプロジェクトとしての「水都大阪2009」というのが行われます。大々的に水辺を中心に色んなプログラムなり、色んなものが走り回ったりしました。この勢いでいくぞということで、この後から私2010年から水都大阪の担当させてもらって、次の目標作ろうというものが、「水と光のまちづくり構想」になります。もう一方でライトアップとかの構想も並行して水と光でという構想になりました。
最近ではその後にもうちょっと戦略的に行政的な位置づけをということで、府と市が一緒になって統合本部を設置して、そこで「都市魅力戦略」、これは文化的なものが多くあるんですけれども、その中にも水と光のまちづくりも位置付けられています。都市計画の教科書的なものにも位置付けられているんです。こんなもんがあるなーくらいでいいのですけれども、行政というものはこれがないと動けないのです。時間はかかるんですけれどもこうやって外堀をまず埋めると。ここが一番大変なところです。

2-4.都市・地域再生等利用区域

もう一つ法律的なフォローがここで入ってきます。河川を色んな形で、水辺を使おうとすると、これは河川法の許可行為になるんです。河川占用と言います。河川占用の許可にはルールがあります。平成11年、都市再生プロジェクトの辺りまでは、基本的には公共団体しか河川敷地を使えませんでした。治水の機能を守るためにです。堤防に穴開けられると困るし、何かされると困るのでそれは絶対ということでしたが、平成13年、14年の都市再生のための措置という中で、水辺も使っていこうとなります。そこで、河川局長が指定した区域において社会実験的に公共団体以外も何かイベントとか使ってみましょうかという話が出ます。これで色々やっていただけたものの一つが、北浜の川床ですよね。ほかにも一時的なものでは、工事用の作業台船を借りてきて 上でビアガーデンをやったりしていました。そこから7年たってですね、正式に色んな条件もありますが、協議会等において適切と認められた民間事業者というのが使えるようになっています。これが平成23年。10年くらい前の話です。


ちょっとテキストでまとめています。「都市・地域再生利用区域」というのを河川管理者が指定します。それで、方針をそれぞれの河川管理者が、使っていいものを定めることになっています。だから、都府県によってできることが違います。それで、占用主体を定めるということで、こうなっているのですけれども、これも各自治体で異なります。

これは「河川敷地占用許可準則の特例に関する手続き」の流れを書いています。 例えば、道頓堀川は一級河川なんです。あそこは協議会がありまして、    大阪市の建設局、地元の区役所が入って、学識経験者が入って、それで地域の人も入っている。協議会で「こういう使い方してもいいよね、OK」となれば、民間事業者さんが使うんですけれども、責任を取る親分が南海電鉄さんという形で、河川管理者は南海電鉄に占用許可を出しています。占用主体の南海電鉄と協議会でちゃんとするという中で、しっかり景観をつくるという中で、他の色んなテナントさん(使用者)とやり取りしている、という仕組み。大阪は大体このパターンですね。これは大阪市が道頓堀川を表面管理していたのでこうですけれども、それ以外の場所は大阪府が作る検討会・審議会での検討となっています。 


大阪市が行っているのは道頓堀と東横堀川のβ本町橋です。道頓堀川と東横堀川のL字型のラインを大阪市が管理しています。これ以外は大阪府が管理しています。この赤の線で描いているところが、今その仕組みで「都市・地域再生等利用区域として指定されている場所です。最近では「タグボート大正」が指定されています。今は「中之島ゲート・サウスエリア」をどうするかみたいな話が出てきています。 
基本的に河川法上では河川管理者になれるのは都道府県知事だけなんです。なので府の管理のものが多くなっています。ただそれを市に渡すことが出来るという制度がありまして、それで管理をお願いしているのがこの道頓堀川と東横堀川なんです。
治水絡みで説明すると、実は府と市の管理の境目には水門がありまして、一定レベルの洪水はここ(市管理区域)に流さなくていいようになっているんです。ここは多少何かあっても水を止められるので、大阪府の河川管理者は大阪市に管理をお願いしても大丈夫でしょう、というのが始まりです。
これだけ準則特区うっている都市は他にはありません。3年に1回、特区の活動は全部報告書をあげて、審議会でOKかどうかかの審議をされます。  

ちなみに、夜景の方は大体中之島のラインを中心にいろいろやっています。これもLEDなのですけれども、取り付けの機具とかが傷んできています。そこにはなかなかお金を回してくれていないというのが実状で、今それが西大阪治水事務所とかが悩んでいるところですね。
光についても、全国的にこれほど出来ている所は少ないです。コンペやデザイン審査会とか沢山やりました。堂島大橋は色々賞もとっていますね。



実は市内に限らず、箕面川でも川床で一ヶ所指定を取っています。 

これが、今までの水都大阪の流れが整理されているもの。水都大阪コンソーシアムという水都大阪の組織で官民で一緒に盛り上げましょうという組織の資料です。さっき言いましたように、ハードとソフトと体制とでまとめてもらっていますが、体制というのは水都大阪の再生プロジェクトの2001年から本格的に始まっている。これ(ソフト)はゲリラ的にね、勝手に水辺でお弁当食べる会とかやっていましたね。小さな船を勝手に走りまわして、お客さんを乗せたりしていました。(乗りにくい場所から)無理やり乗り込んで。ここからがスタートですね。2009年にはシンボルイベントがあって、ここから加速して進んでいっています。ハード・ソフトともに進んでいます。

2-5.事例紹介

ここからは事例紹介をしていきます。

八軒家浜

 八軒家浜の仕組みがですね、京阪の中之島線をここに通しますということで、ここをいっぺんオープンに開削しますと。それならば、このタイミングで地上も整備しようぜということで、河川管理者と京阪さんで一緒に頑張って、京阪にも大分頑張ってもらって上にこういう施設を造っていきました。僕はこれにはあまり関わっていません。これが完成したころに関わり始めました。まだ景気もバブルの頃で、計画した時は平成の始めということで、何とか出来たのだと思います。船着場の管理運営施設を置きましょうとか、「川の情報発信施設だから川の土地に作ってもいい」とか、当時はまだ占用の準則ができていませんから、公共団体しか占用できないと言っているのに、ここは独自のルールでやっております。
 
さっきと同じ八軒家浜ですけれども、ここは遊歩道なんだけれども、なかなか陰な部分があって、人がいなくて丁度ホームレスの方にとって居心地のいい場所になっていた。現在はきれいになっていますけれども、ここに京阪の中之島線の工事も行いました。堤防にちょっと穴を開けて京阪に乗る人が入れるようになっています。あそこは台風で下流の水門を閉めた時、上流が土砂降りで毛馬排水ポンプが負けだしたら、ここに水がくるので、フタをして通行止めにします。船着場もこんなにでっかいのをつくりましたが、造って良かった、よく造ったなと思います。
ここは一級河川だから、全体の川の状況の情報発信拠点にする、だから河川管理者が金をだす。お金も毎年渡す代わりに、情報を発信してくれとお願いをする。そういうことで管理してもらう団体が㈱はちけんや(京阪がメイン)。京阪も公(的)団体やしということで、ずいぶん大胆なことをした。これは当時大阪以外ではありえないですね。国の人の熱意もすごかったです。
 

ほたるまち

次はほたるまち。これも施設建設に合わせて船着場もつくるということになりました。そうなると、河川法の河川管理の目的で「船着場」ってなんやねんって。治水?利水?環境?どれでもないんですよね。これは「防災」なんです。何かあった時にここを使って逃げたり、ものを運ぶ。         道が途絶えても川を使うということで、公共物として河川管理物としてつくっています。それまでは、市内の川は(多くが)直角の防潮堤なので船で点検とかするんですよ。さっきの西大阪治水事務所とか寝屋川水系改修工営所っていう市内の川を管理しているところには管理用の船はあります。それ用の船着場は当然あるけれども、それだけしかなかったんですね。

道頓堀川エリア

道頓堀川(湊町リバープレイスは)、住友倉庫さんが頑張ったんですけれども、大阪市もこの時代としてはかなりチャレンジをしていますね。
 道頓堀も色々トライもしているんです。整備についても、最初は閑散としていましたが、だんだん店も道頓堀側を向いてきて、今は結構な人に歩いてもらっています。

北浜テラス

これが北浜テラスです。ここはちょっと特殊で、北浜水辺協議会という地元の協議会が占用主体になっています。協議会というものは今は役所とかが作っている協議会で審議して募集した公的団体や大きな企業が大体占用主体になりますので、地元協議会の例は他にはないんじゃないですかね。

中之島バンクス

ここは10年かけて大分良くなりました。だいぶ認知度が上がってきましたね。

大阪ふれあいの水辺

ちょっと、趣向が違ったところで、これは大川です。さっきの淀川の毛馬から南下してきたところです。大川の河川敷公園の歩道で横が水辺、もともと貯木場で水辺があるだけの所でしたが、ここを砂浜に変えました。色々利用とされたり、イベント利用、生き物調査とか学習に使ってもらったりしています。そういう意味では、河川法でいうところの「環境」のイメージですね。

LOVE CENTRAL

中央公会堂の水晶橋の所になります。ここも元はさっきの八軒家と同じよう公園管理でやっていたんですけれども、人がほとんどいない所でした。そこにデッキつくって、民間誘致してやってます。これが平成25年なので、準則改正されてから、法律に則って造られています。

トコトコダンダン(木津川遊歩空間)

 これはちょっと趣向が変わって大阪ドームのそばの木津川というところです。これも堤防が汚かったので、地元の人と一緒に遊歩道作るんやと機運を盛り上げるための美化活動とかして、こうやって自由歩道にしたんです。これは、河川管理者としてやっています。ただ人が通れるんですけれども、ちょっと殺風景だったので。次の一部の区間(トコトコダンダン)はもう少し皆に使ってもらえるように良いものをということで、もう少し北の方の部分も遊歩道化しています。その時に色々デザイン検討とか色んなことをして、使ってもらえる喜ばれる、そしてまちの財産になるような場所にしたいということで、これも河川管理施設としてつくっています。まあこういう設計となっています。デザインコンペも行って、結構手間暇とお金がかかっていますけれども、現場の構造物としては非常に満足いくものが出来ているかなと思います。
ここも他と同じように非常に利用されているので、うるさいとか、犬の糞とか、スケボーの音などの苦情はあります。利用されると嬉しい反面、そのへんの掛け合いの難しさが出てきます。

タグボート大正

これがタグボート大正です。元々この向こうに、色々楽しい所があったんですけれども、それが占用ルール的に問題だったので、何とか移転してもらえないかなというのが最初のモチベーションですね。大正の区長さんに泉さんに会ってもらったり、10年くらいかけてできたので感無量です。コロナもありすごく大変だったとは思いますが、すごくいい所が出来ているなあと思います。


あとは概念的なところで、水辺をハードでつくっていく、水辺以外の光もライトアップとか色々な景観をつくっていくのをあわせて大阪のまちの魅力を上げていきたいなという思いでやっております。残念なことに行政マンの方が2~3年で変わっていきます。そうすると元々の思いが途絶えたりして、ギクシャクしているのが現実かなと思います。
そこを変わらない民間の方とかが、少しプッシュしていただきたいとこえろです。我々も頑張らないとなんですけれども、なかなかサラリーマンとしてはあっち行けと言われると行かなければならないですからね。

2-6.行政の苦悩

水辺の利用が都市魅力を上げるんだというのは、現在では一応行政計画として、都市魅力創造戦略として、組み込まれた。けれどそれが今に十分繋がっていないのではという思いもあります。
トップにアピールすればいろんな可能性はあります。ちゃんと色々証拠を出して、これのおかげでこれだけ良いことが起こっているとか、なかなか数字が難しいと思うけれども、どうにかしてそれをPRして都市魅力向上に繋がっていると思ってもらうかですよね。

難しいですよね。行政はまず法律で決まっていることはやらなければならないし、それはしっかりやっている。一方、決まっていないことをやるのが如何にも下手くそですよね、行政は。ある意味では、絶対に必要なことではないからね。
「行政としてやる必要がどこにあるの」っていうところが皆困るんでしょうね。知事とか市長が直接やると言ってもらえれば、それは民意の代表者であるので、できるのだけれども。そこにどうやってもっていくのかが難しい。忙しいからね、知事とか市長は本当に。五分単位でスケジュールが入っている。そんなところに「こんなのどうですか」って、簡単には入れてくれない。もっと重い話がいっぱいあって大変なんです。
 
柔軟な発想で都市のことを考えられる人たちも、もちろん行政内にいるけれど、なかなか活躍の場がない。あとお金もないしね。お金が無いとスタートでやめておこうとなっちゃうんですよね。この最初の時の1990年頃ってお金いっぱいあったんですよ。どないしてこのお金を有効に使おうって、実はバブルは崩壊していたけれどもそれを回復させるために国がどんどん色んな所にお金をつぎ込んでいたんです。前年比5%アップとか、年度途中で補正予算で年度当初と同じくらいの予算を、景気刺激せよとか言ってね。八軒家浜もそんなときの計画です。今とそこは全く違うので、辛い所はありますね。

川上さんからのご講義。現場を知り尽くした内容は、生々しい。
経緯にも残らない実態を聞くべく質疑は夜まで・・

【感想】一人一人の関わりと知見の積み上げによる、安全と活用のサイクル


今回、最も大きな学びを得たのは、「災害に対して、一人一人が正しい知識を身に着けてもらい、そこに行政もしっかりと情報を出し、各自が意識を高めることが何より重要」という川上さんの言葉です。ダムや水門など大規模施設によって支えられている治水対策も、どんなリスクを想定するかにより、選択肢は変わり得るもの。その前提として、例えば一人一人が水害の可能性を正しく理解し、日常でできる対策をできているかどうかによっても、実は、施設整備に関わる大きな判断に違いが出ることもあるのではないか、治水行政と河川活用の両方に関わってきた川上さんのお話から、強く感じさせられました。
私たちは業務として、河川空間はじめ公共空間の「活用」に関わることが多い立場ですが、正しく活用するためにはきちんとリスクを理解して合理的な対策を講じていくことはもちろん、活用し、広く関わりを創出することで安全への意識も継続する、「安全」と「活用」のサイクルが上手く回る必要性、そのためにも責任を持って日々の管理・活用に当たる重要性を、改めて意識した時間となりました。

末筆になりますが、川上さん、豊富な実務経験に基づく本当に貴重なお話、どうもありがとうございました!


記念すべき第一回!川上さんを囲んで

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