ニーバーの祈り2019

「座右の銘」のこと。

アルバイト先の学習塾の教室でね、
受験をひかえた中学三年生の女子生徒さんより
「面接がやばい、どうしたらいい?????」
と訊かれまして。

それはさ、たとえば
「『座右の銘』ってどう答えたらいいの?」
とのことなのですが。

なんだか、そういえばぼくとかでも
「座右の銘」を答えるってゆうのは、
けっこうむつかしいー。と思ったのよね。

なので帰宅してからまずは、
「座右の銘」ということばをあらためて
辞書で調べてみまして。

すると、、

ざ-ゆう【座右】 座席の右。転じて、身近なところ。かたわら。身辺 
  ざゆう【座右】の銘(めい) 常に自分の座右に記しておいて、日常のいましめとすることばや文。座左の銘。座右銘(ざゆうめい)。
*俳諧・芭蕉庵小文庫(1696)冬
「座右之銘 人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ。物いへば唇寒し穐(あき)の風」

(どちらともスマホアプリ「日本国語大辞典」より引用です。)

‥‥とのことでして。

このなかでの「芭蕉庵小文庫」というのはさ、
松尾芭蕉、のことなのでしょうか。
ともすれば、そのような時代より
「座右の銘」ということばが使われていたのは、
おどろき〜。

と、このような
「常に自分の座右に記しておいて、
日常のいましめとすることばや文」
というのは、たとえばぼくですと、
まいとし「ほぼ日手帳」の使い始めのときに
見返しページへと記します

「ニーバーの祈り」という文言や、

また、ほぼ日の
「夢に手足を。」ということばがあるですが。

それらのことばがさ、
ぼくにとっての
「座右の銘」に当たるのやもしれないなあ。。。

でもでも、たとえば、
中学生に「座右の銘」を訊ねるというのも
けっこう酷なのかもなあ、って感じまして。
ぼくだっても中学生のときにそういうような、
ほんとうにじぶんの「座右」にことばを記しながら、
毎日を過ごす。なんてぇことは全然してなかったわけだから。

なので、ぼくは中学生に対して
「あなたの『座右の銘』は何ですか?」
とは訊けない。

ぼく自身、そういうのが、無かったから。

それをたとえば、面接のために
「なにかよいことばはないか?」って探しながら、
「あ、これ、いいじゃん!」と感じたことばを
「これが、わたしの座右の銘です。」
というふうに答えるのだとすれば、ちょっと、
生活に伴っていない、的な、それはある意味では
嘘をついてるようでもあるわけだし。

それならば、ぼくがさいしょに生徒より
「『座右の銘』ってどう答えたらいいの?」
と訊かれたとき、うーん、ってすこし考えながら、、

「『がんばる!』とか?!」

って申しあげまして。でも、生徒からは
「それはちょっと…」と言われてしまったですが。
いや、ぼくも「それはちょっと…」とも思うけれども。

なんか、たとえば
「ともだちとなかよくする。」とかさ、
「ありがとう。」とか、よくわかんないけれど。
かっこのよい語句や文章でなくとも、
どんなにかんたんなことばであったとしても、
ほんとうに「座右の銘」にしていることばがあれば
それでよいし。

無いなら、無いで、しょうがない。とも思える。

でも、それじゃあ、
面接の対策とは言えないよねぇー。

なんか、なかなか、
ほんとうに「座右の銘」を持つというのは、
むつかしいことだよなあ。ともぞんじます。。。

あぁー、たしか吉本隆明さんは、
ご自身の部屋の天井に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を貼り、
お布団で横になりながらそれを眺めていた。
というのをどこかで読んだ気がするなあ。

平成31年1月24日


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