父の入院のこと。その六
(せんじつのnoteのつづきです。)
11月1日の午後1時ごろ、部屋でゆっくりしていたら父の友人の「大木さん」よりぼくのケータイへ電話がありまして。この日は、大木さんが父の世話をしてくれるため、父のアパートへ来てくれる日だったんですが。
大木さんの言うには、、
・アパートへ着き、インターホンやケータイを鳴らしても反応がない。
・心配になり、まずは郵便受けより部屋のなかをのぞいてみると、玄関のところで手が見え、父は倒れていた。
・その場で救急へ電話をすると「玄関のかぎを壊さないといけない。」と伝えられ、それでは困るなあ、と、不動産屋さんへ赴きスペアキーを借りてきた。
・父の意識はある。
・部屋へ入り父の体を起こして経緯を訊けば、「二・三日前に倒れてから起き上がれなかった。」と言う。
‥‥とのことで。
電話をもらってから、ぼくと母もアパートへまいりまして。行けば、大木さんが父を座椅子のほうへ運んでくれていて、父はそこで座っていた。
また、買い置きしてあったパンや、お水を、飲ませてくれていた。
父の言う「二・三日」というのがさ、父の感覚だとは思うので、ほんとうのところはどのくらいの期間かわからないけれど。やはり長いあいだ動けなかったらしく、また、体力が低下しているからなのか体をまったく動かせられない。
11月初旬ということで、今よりかは寒くないけれど、もうだいぶ肌寒くなってきていて。ちょっと薄着のままだったからか、のどの調子も悪く、声を出すこともできにくい。
そのような状況でしたので、ぼくらも、どうすればよいかわからず。。。
そうこうしているうちにぼくのバイトの時間になりそうだったので、会社へ連絡をしてお休みをいただく。
父は、ひとりで動くことができないし。また、素人がへたに動かさないほうがよいと思ったので。考えた結果、「介護オムツ」をドラッグストアで購入してきてはかせて、ふとんで夜を明かしてもらう。
そして翌朝、ぼくがまた様子を見に来る。
ということに決定した。
この準備ができてから、大木さんとぼくと母は父のアパートを出る。そのころの時間はだいたい、夜9時ぐらいだったとおもう。
ぼくと母は、「丸亀製麺」でおうどんをたべて帰宅した。ちょうどこの日は「1日」の日でしたので、「釜揚げうどん」の半額の日だった。
おうどんで、すこし、ぼくの体はあったまった。。。
平成30年12月14日
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