比喩としての「アボカド」。

前回noteでは「アボカド」のことを申しあげました。

前回は、なんてゆうか、文章ぜんぜん書けない日だったから。かと言って、昨日もすこし書いたですが、さらっとでは更新できなかった、というか、もうひとりのじぶんが、それをゆるさなかった、というか。

それでもう、さいごのさいごの苦しまぎれに出てきたのが「アボカド」で〜。

あぁぁ、「アボカド」かぁ、って思いながら書いていて。

そして。書き終わってから、ちょっと考えてみたんだけれども。まずは、どうして「アボカド」だったか、ってゆうのぉ?! それがさ、じぶんでもよくわからない。無意識だった、と言うほかない。。。

えーと。なんだか、話しはかなり飛ぶんですが。「じぶんがブログを書く理由」というのはねぇ、ぼくにはあんまり無くって。だれかになにかを伝えたい、とかもぜんぜん無いし。ぎゃくに、じぶんのために書く、ってのも、そうなのかどうなのかよくわからない。ぼくがブログを書いている理由ってなんだろうか?????

うーん。

たとえば、なんてゆうのか、言うなれば、「箱庭療法」的と申しあげますか。じぶんでじぶんの「箱庭」をつくり、それをじぶんが眺める。みたいな。。。

そういう観点から見れば、と、ここで話しは戻りますが前回noteの「アボカド」てゆうのはさ。前回での前半でしるしました、訊ねてみても返事のない「じぶん自身」のことだわ。って感じたのよね。

固い皮におおわれて、外側から見たり触ったりしたとしても、中身の頃あいがよくわからない。

実際的に、「アボカド」って、そうだとは存じますが。比喩的に言えば、これは「ブログなんにも書けないときのじぶん」なんではないか?! と。

なので、前回noteの「前半部分」と「後半部分」ってぇのは、比喩として見れば、似たことが書かれていたかもしれないなあ。って、じぶんなりにはちょっとそう解釈できるんかもしれない、とおもったの。そういうじぶん自身の「実」のぶぶんの頃あいを、じぶんで感じられるようでありたいなあ。的な。

いや、あの、知らんけど…。

なんだかさ、じぶんの文章のいちばんの読者は、じぶんなので。ああいう駄文のようなやつこそ、じぶんが、読んであげたい。。。

追伸、AKB48の『アボガドじゃね~し…』がけっこうすきだった〜。

平成30年2月27日


ドモ、アリガトー。
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7冊めのノート(平成29年12月4日〜終了)

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