ぼくがブログを書く理由。
くるりの『ハイウェイ』という曲では、【僕が旅に出る理由は大体百個くらいあって/ひとつめは】と歌いはじまり、でも最後には【僕には旅に出る理由なんて何一つない】って変化するように歌われますが。
この曲に倣いまして。たとえば「ぼくが『ブログ』を書く理由」ってのを考えてみると、昨日のnoteでもほんのすこし書いたですが、その理由が「ある」のか「ない」のかさえじぶんでもよくわからない。
「ある」と言っても、それがなになのかあんまりわからないし。かと言って、「ない」とも言い切れないんだわ。
ぼくは、どうしてブログをやっておるんでしょうか?????
わからない〜。
それもさ、ぼくはいちおう毎日更新をしようと思ってやってるですが。「毎日更新」って、これはぼくは以前友人にもしゃべったことあるけれども、なんとゆうか、言うなれば「狂気」のようにも感じる。
すごい、とか、がんばっている、とかをとおりこして、これは「狂気」だ、と。。。
おとといも、きのうも、きょうも、あしたも、あさっても、しあさっても、そのまたつぎのひも、って、やってゆくとだんだん、たとえば「ネタがある」とか「ネタがない」とかそういうのも言ってられなくなってくるし。おもしろい、とか、おもしろくない、とかもなんか関係なくなってくる。
たとえたとすれば、なにを書いてよいやらさっぱりわかんない状態が、慢性的につづいてゆく。みたいな。
そんなような、言うなれば「狂っている」とゆうか「狂気」みたいなことを、ぼくはなぜやるでしょうか?
うーん。なんだか、ひとつ言えるのはさ。こうすることで、じぶん自身というのが、否応なく容赦なく出てしまっておるんではないか?! って。隠そう隠そうとおもっても、出ちゃうものはぜんぶ出ちゃっていて。そういうじぶんを、じぶんで知りたい、って、じぶんが感じているかもしらない。
そうして、昨日もしるしたですが「箱庭療法」的に、「じぶんが救われる」的な。。
いや、「箱庭療法」のことは詳しくは存じあげませんが。河合隼雄先生の著書をすこし読んだぐらいで。だから、このことも、ほんとうのところはよくわからないけれど。
こんなふうなじぶんを、ゆるしてほしいな。
平成30年2月28日
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