線路

たいせつなこと。

前回noteではさ、
「なんだか理由はわからないけれど、
ものごとがうまくうごいてゆかないとき」には、じぶんは、
「あたらしいステージに入った。」
と思おうとしている。ってゆうのを申したですが。

そんな「ステージ」があたらしく変わったようなとき、
どういうふうにするのがよいんだろうか???

たとえば、なんでしょう、とっても大げさに言えば、
村上春樹さんの小説『1Q84』の「BOOK 1」冒頭にて、
青豆のまよいこんだ1984年ではない「1Q84」の世界で
彼女はまずどうしていたのだっけ?!
みたいな。。。

たとえば、テレビゲームでね、
「ステージ」が変わってこれまでに見たことのない
敵やギミックが登場してきたり、
「シリーズ」が変わっていろいろなシステムや
ゲームのルールまでも変わってしまうようなときは、
説明書を読んだり、プレイを確かめたり、
そのゲームに慣れようとしたりすると思うけれども。

でもさ、なんだかよくよく考えてみると、
その「あたらしいステージ」を
「クリアすること」が目的じゃあない。

ゲームだったならば、ほんとうは、
ゲームを「たのしむこと」がだいじであって。
ゲームの「クリア」や「攻略」がメインではないから。

ともすれば、もっと、
おおもとにあったじぶんの大切なことってえのは、
なんだったんだろうか?????
てゆうのを、いまこそ、おもいだしたいわ。

日々をすごしながら、
どこかで置き去りにしてきてしまったじぶんを
むかえに行きたいわ。

平成31年3月26日


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