レタリング201905

模写のオリジナリティ性。

なにかを描き写す的な「模写」には、
「オリジナリティ」はないのか?!
ってぇのを、ふと、考えていたんだけれどねぇ。

ぼくは趣味として、上の画像みたいな、
なにかのロゴタイプやシンボルマークやフォント等を
クロッキー帳に描き写すというのを日々やっているけれども。
たとえば、
「この文字の感じがすてきだなあ!」と感じたデザインをね、
お手本としてクロッキー帳の左へ置きながら、
見ながら、見比べながら、描いてゆくですが。

はじめたころはさ、
やっぱり、じぶんはデザインがすきだし。
バランスのべんきょうにも成るかなあ、と思いながら、
やっておったんだけれども。

あるころ、たしか10年ぐらい前なのですが、
そのころ就職活動しようと思って
あるデザイン事務所の就職面接へまいりまして。
この面接の中で、じぶんのこのクロッキー帳を見てもらうと、、

「こんなのやってても意味ないよ!
 もっと、オリジナルのロゴとか書かないと!!」

‥‥とのようにおっしゃって。ぼくは、
まあ、そうなのだろうなあ。とは思いながら。
でも、果たして、本当にそうなのかなあ? とも思って。
けっきょく、この会社とはご縁なかったけど。

そのごには、
専門学校でグラフィックデザインを習っていたときの
お世話になった先生方に見てもらったときには、
「いいじゃん。」や、「感覚を鍛えられる。」や、
「今のじぶんの生徒たちにもやらせたい。」とのようにも
おっしゃってもらって。とっても有り難かったのですが。

でも、こうなると、じゃあ、
「オリジナリティ」ってなんだ?! ってえのも考えて。

それは、ぼくはまだよくわかってないけれども。

たとえば、この「模写」のクロッキー帳はさ、
クロッキー用紙の下にお手本を透かして
上からそれを「トレース」する、というのでは無いから。
じぶんが書き終わった段階で、そのお手本を
描いたサイズにコピーして比べてみるとしたら、
ぜったいに、完全ではなくって、
けっこうちがってたりするとおもうんですが。

でも、それを書き終えたときには、
お手本と見比べつつ、
「これでよいだろう。」と思ってペンを置いたはずなので、
そこには、そんなような、
「これでよいだろう。」と思ったじぶんの意思があって。
その意思は、じぶんの
「オリジナリティ」と言えるやもしんない。と。

また、このクロッキー帳のページにね、
「模写するデザインたちを、どう配置してゆくか???」
てゆうのを考えることだっても、
オリジナリティの一部かもしれんし。

そもそも、まずは、どの「デザイン」のことを、
じぶんが「すてきだなあ!」と思うか?! だっても、
じぶんのオリジナリティのような気もする。。。

って、話しが長くなってしまったんですが。

何のことが言いたかったかともうしあげますと、
昨日のほぼ日でのね、養老孟司さん×池谷裕二さんの対談
【定義=「生きている」】第13回にて、
池谷さんのおっしゃっていた
「ダーバーシティ」と「バラエティ」の違いについて。
のことが、つよく印象に残りまして。

引用をいたしますと、、

池谷 ぼくはよく、
「多様性の違い」ということについて感じています。
ひとくちに「多様」といっても、
「ダイバーシティ」と「バラエティ」の
2種類があります。

ダイバーシティのように、
幹があって派生する多様性については、
ぼくは大好きなんです。
けれども、バラエティのように、
ごった煮みたいな多様性はダメです。

—— 何が違うんでしょうか。

池谷 バラエティには幹がないんです。
とりあえずみんな一緒くたにして多様じゃん、
みたいなことになってる。

養老 「好きじゃない」という気持ちはよくわかります。
そういうとき、ぼくが感じるのは、
「美しいかどうか」ということです。

池谷 そうですね。木って美しいんです。
幹があるんですよ。

(ほぼ日刊イトイ新聞、養老孟司さん×池谷裕二さん対談【定義=「生きている」】第13回「同じという概念。」より引用です。)

‥‥という、ここのところで池谷さんおっしゃる
「ダイバーシティ」というのが、
なんだか、つまり「オリジナリティ」のことだっても、
説明できるかもしれない。って感じたの。

この「ダイバーシティ」というのは、
おそらく、太い太い「つながり」のことで。

そのぎゃくの「バラエティ」であるみたいな、
幹や根っこの無いようなオリジナルではなく、
この「ダイバーシティ」のようにつながりながら、
派生しながら、やってゆけたら、って思うんだよねー。

令和元年5月20日


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