長いくも

救われる才能。パート2

「救われる才能」というのを前回noteで申しあげました。

このことってさ、いつかのあるときに「じぶんはだれかを『救う』ことができない。じぶんは『救われる』ことしかできないんじゃあないか。」って思って、そこからこれを思いついたんだった。。

ぼくは、どんなひとも「救う」ことができない。

「救われる」しかできない。

つまり、ぎゃくを言えば、「救われる」ことならば、できる。

と、こういうことを思ったのよね。

でも仮に、たとえばぼく自身があなたから「救われた」とすればさ。あなたは、ぼくを「救った」ってゆうことになって。つまり、あなたには、ひとを「救う」才能がある。と、こう言い換えることができるはず。

たとえば簡単な例で言いますと、だれかの笑顔でぼくが「救われた!」と思ったんだとすれば、それは、ほんとうにぼくを「救った」わけだから。

そのひとは、他人を「救う」ことができる。という証明になる、てゆうかさ。。。

そうすれば、これを、ぼくも見倣って、そのようにやってみようとすることで、もしかしたら、ぼくもだれかを「救う」ことができるようになるのかもしれない。できないかもしれないけれど、もしかしたら、できるかもしれない。

なんだか、うまく言えないですが、じぶんが「救われる」ことによって、それが誰かの「救い」になるのかもしらない。。。

平成30年2月3日


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