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エレクトロDTMerを目指して三千里〜未だ到達せず(前編)

散々「お金だ、移住だ」と書いてきたので、ここいらで趣味の音楽のことでも書こうと思う。

今でこそDJとエレクトロ音楽に傾倒しているが、もともとはバンド音楽やクラシック音楽もやってきた人間なので、それについて書くことにする。

小学校時代

音楽の原体験は小学校時代に遡る。小学校では(経緯は忘れたが)吹奏楽(金管バンド)部に入っていた。パートはトランペット/コルネット

当時、部に仲の良い友達にI君がいたが、彼は小学生には巨大すぎるチューバを吹いていた。低音は音の通りが良いため、彼の練習の音は耳に入ってきやすい。その音が四六時中脳内に残り続けた。

気がつくとトランペッターでありながら、ベースラインを追っていることが多くなり、また、ベースラインと自分の吹く音の絶妙な調和に感動を覚えた。低音の良さを知った原体験だ。

もう一つ、小学生といえばゲームだ。人並みだが、ゲームボーイでゼルダの伝説ポケモンで遊んでいた。この時期に8bitチップチューンを耳にしていたことも、後々の音楽の趣向に影響を与えることとなった。

中学高校時代

中学は運動部で演奏はしていなかった。当時誕生日に買ってもらったMDラジカセで、流行りのCDをレンタルしたり、深夜ラジオを聞いていたりした。

その中で出会ったのがBUMP OF CHICKENだ。なぜか知らないが、中学生の僕の耳に残りやすく、その他大勢の曲とは一線を画す印象を持った。結果、すっかりハマってしまった。2004年のアルバム以降、新曲があまり多くなかったおかげで同じ曲や過去の曲たちを聴き漁るようになった。

その頃から徐々に「こんな曲をつくりたい」と思うようになった。しかし、音楽を作れるようになるにはどうしたらいいかわからず、「作るにはまずは弾けないといけない」と勘違いをしたことから、ベースを練習し始めた(無知だったのでバンドマンしか作曲できないと思っていた)。

この頃はバンド至上主義で、自分で演奏しないアイドルや歌手は二流だと勘違いしていたことも痛ましい過去である。

上京後大学時代

1人でベースの練習するのも飽きたので、バンドサークルに入ろうと思っていた。しかし、ここでも変な選択をする。なんとクラシックギターサークルに入った。でもそれは戦略的な考えに基づいた結論だ。

当時考えたこと。最終目標としてあるのは、作曲したい。そのために、バンドで扱う楽器全パートを網羅しないといけない(勘違い)。さらに、ロックバンドには直接関係ない楽器に触れることで他の人に勝てる+なんか面白そう(好奇心の暴走)だった。

こうして、クラシックギターを弾き、同時にコピーバンドをする奇妙な生活が始まった。意図した通り、そこでドラム以外の全パートを経験した。

DTMの存在を知るも遠すぎる存在

大学時代にもう一つ、大きな分岐点となる音楽との出会いがあった。Perfume/中田ヤスタカだ。

中田ヤスタカ氏がコンピューターで1人で全パートを作っているということに、バンド至上主義の僕は衝撃を受けた。

これこそまさに僕が目指していたものではないか?

しかし、コンピューターで音を出すことの原理やシンセサイザー(キーボードとの違いもわからない)などそっちの世界のことは本当に未知すぎて、手に負えなかった。

労働が苦痛だった僕はあまりお金がなく、機材も無理して買おうと思えなかった。

後悔はこの時代に

今思う最大の後悔がこの時代にある。

2008年、大学2年の頃は、ニコニコ動画/初音ミクの黎明期である。

のちのち2013年に始める事になるとはつゆ知らず、存在は知ってても一切スルーしていた。実演奏至上主義の最大の過ちだ。

学生時代にボカロPをやらなかったことを本当に後悔している。

後半へ続く

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