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外で食べるお好み焼きはなぜ旨いのか

私は関西に生まれ育ったので
コナモンにはややうるさい。

お好み焼き、たこ焼き、焼きそばは
我が家でも結構な頻度で登場するし、
ほぼ100%私が作っている。

学生時代お好み焼き屋さんでアルバイトを
していた時代もあるので
それぞれのコナモンの基本は心得ている。

だが、自分なりのこだわりがあるため
あまり店でコナモンを食べようと思わないのだ。

もちろん店で食べる味は家とは違う。

それは理解しているのだが、
正直店で食べたとしても入っている具材は
家で食べるものと劇的に違うわけでもない。

にもかかわらずコナモンは外で食べると
ナゾなぐらい高い値段を取られてしまう。

うちの娘は今ではほとんど問題なくなったが
卵アレルギーを持っていたので
コナモン屋に行くと食べるものがないという理由で
これまで家族でコナモン屋に行くことがなかった。

そんなある日曜日、私は家族で息子のサッカーの試合を
隣県まで見に行った。

午後二時過ぎまで試合がある予定だったので
息子には朝から弁当を作って渡したが
私達3人は何か適当なものを近くで調達しようと
思っていた。

午前の試合がちょうど終わり、
買い出しに行こうと妻と娘を連れて車に乗り込んだ。
すると妻がこんなことを突然言い出した。
「この近くに一回行ってみたかった店があるねん」

正直店で食べるのは面倒だなと思ったのだが、
その日はとても寒い日だったので、
コンビニで買ったものを観覧席で
食べるのはあまりに寒くて辛い。

妻が提案してきた店はお好み焼き屋だったので
鉄板に火がついていれば暖かいだろうと思い
私は承諾した。

車を走らせること約15分、目的の店に到着した。

妻が行ってみたかったというので
てっきりオシャレなお店かと思ったのだが
中に入ってみると決してそんなことはない。

何なら古びた店内の様子にも見える。

だが、その店はロボットが料理を
運んでくれるというものらしい。

今どきはガストでも配膳ロボットが
商品を運んでくれるのだが、
この店のロボットは今から30年ほど前から
稼働をしているらしい。

席に座るとロボットがおしぼりと水を
運んできてくれた。

それを取ろうとしたときに店員さんが
私たちのところに来て注文を取りに来た。

当然人が来ればそちらに対応するので
私達は水を取り損ねたのだが、
慌てて取ろうとすると店員さんが
「またもう一度来るからそのままでいいですよ」と言う。

このロボットは見た目こそロボットであるが
仕組み的には回転ずしの新幹線と同じのようである。

そんなことを思いながら注文をして
少し待っていると、
私たちの席にロボットが料理を運んできた。

この店は自分で焼くスタイルのようで
具材が入ったステンレスの器が2個と
焼うどんの具材が乗った皿が運ばれてきた。

せっかく店に食べにきたのに調理をするのは
正直面倒だなと思ったのだが、
お好み焼きは出来上がるまで少し時間がかかるし
目の前で焼きあがるのであれば
一種のエンタメ性もある。

そう割り切って私はさっそく目の前の鉄板で
お好み焼きと焼うどんを作り始めた。

久々に鉄板の上で料理をする感覚を味わいながら
お好み焼きの具材を鉄板にのせたのだが、
やはり入っている具材は我が家で作るのと大差ない。

やはり外でコナモンを食べるのは何だかもったいないなと
思いながら焼き上がりを待った。

妻も娘も早く食べたそうに「まだかな?」と聞いてきた頃
ちょうどお好み焼きが焼き上がり
私達は食べ始めた。

焼うどん用に箸は置かれていたが、
この店では基本的にお好み焼きは箸ではなく
小型のコテで食べるのがこの店のスタイルらしい。

他の客もそのように食べていたので
私たちもそれに従うことにした。

口に運んだお好み焼きを咀嚼すると
とても熱いながらもフワっとした食感で
味のバランスがとても良く、
想像の何倍も上を行くおいしさであった。

だが、具材を混ぜた時にも何か特別なものが
入っているわけではないことは確認したし
具材の切り方が特別変わっていたわけでもない。

いつも私が家でつくるものと大した違いは
ないはずなのだが、
このお好み焼きは家で作るものとは明らかに違う
おいしさがあったのである。

この違いは一体何なのだろうか。

とても気になりながらも私達は食べ進め、
ほどなくして妻と私はキレイに完食した。
後は娘が食べ終わるのを待つのみである。

そうしてふと鉄板を見ると
お好み焼きにかけたソースが鉄板の上で
焦げているのを見つけた。

鉄板の良いところはそのままコテで掃除すれば
綺麗になるところである。
学生時代にお好み焼き屋で働いていたときには
鉄板の掃除をよくしたものだが、
私はこの作業が好きであった。

それを思いだしながら鉄板についてコゲを
鉄板端のゴミ落としに落としていく。

その時ふとあることに気が付いた。

今回食べたお好み焼きの味の違いは
鉄板だからこそ得られたものではないか。

我が家でお好み焼きを作るときには
フライパンかホットプレートを使うが
それでは得られない要素が鉄板には
あるのではないだろうか。

鉄板は厚みがあるものなので、
具材を乗せた時に温度が下がりにくいという
特性がある。

この特性ばかりは家でどうあがいても
再現することが難しい。

うかつに加熱を強くするとコゲの原因になるし、
かといって分厚いフライパンなど家にはない。

まさに店に行かない限り出せない価値とは
鉄板に由来するものだと考えると
とても納得できる気がした。

今の時代、レシピや調理方法はいくらでも
ネットを見れば出てくる。

そういう意味で私達が外食でコストをかけるのは
手間をお金で買っていると言えなくもないのだが、
鉄板については家に設置するというわけにはいかない。

調べてみると家庭用の鉄板というのは
売られているようであるが、

こんなに重いものは普段使いするような代物ではない。
しかも、市販のものは厚くても4~5㎜であるが
店の鉄板はそれよりも厚いそうなので
家で設置するのはそれこそ現実的ではないのだ。

これからの時代、いろいろなものの価値が
変化していくだろう。

だが、コナモン文化において鉄板で出せる味の価値は
決して変化しないのではないかと
久々にコナモンを店で食べて感じた

そんなことを思っていると娘が食べ終わり
私は会計のためにレジに向かったのだが、
会計の値段は思っていたよりもずっと安く、
家族ですき屋に行くよりもローコストであった。

これならたまにはコナモンに行くのも悪くない。

そんな風に思う日曜日の昼であった。

ちなみにコナモンと文字に書いていると
私が好きな小説である
こなもん屋うま子シリーズを思い出した。

この記事とは関係がないが、
とてもハートフルで面白いのでぜひ読んでみてほしい。


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