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小さな変化の後ろに潜む大きな変化

この4月から私が通勤で使っているバスが
減便で無くなってしまうらしい。

とはいえ、路線自体が無くなるわけではないので
通勤ができないわけではないのだが、
今よりも早いバスに乗ろうと思うと
電車も1本早いものにしなくてはならない。

そうなると、朝のリズムが崩れてしまう。

4月以降どうしようかと3月になって
急に考えさせられるハメになった。

他の選択肢もないわけではないが、
いずれも余裕がないし、持続可能か疑問がある。

やはり朝を早くするしかないのか。

そう結論を付けた時、ふと一つの疑問が浮かんできた。

なぜ私が乗る路線は減便されたのか?

私が毎日乗っているバスは正直いつも満席である。

私の会社の近くにある某大手企業の社員用に
作られた特別路線に私が便乗させて頂いている形なので
その大手企業の社員でいつも満席なのだ。

特に秋ごろからは1年目の社員が工場で研修のために
このバスに乗るので、
マッシュルームカットでスーツの似合わない若者が
何名もバスの椅子取りゲームに参加し始める。

こんな状況なので、私はこの路線が減便されることなど
想定していなかったのである。

だが、現実には減便されてしまった。

これにはきっと何か理由があるはずである。

そう思いながら、昨日の帰り道
バスターミナルで4月以降の時刻表を見てみると
私が朝乗っているバス以外にも
多くの路線で減便が行われていたのである。

しかも、単に減便されただけではなく
土日は運休する路線が多くあったのだ。

私が乗り降りしている路線は決して田舎ではない。

人の乗り降りは私が知っているバスの基準からすると
多いほうなのだが、
それでもこんな状況になっているのは
間違いなく一つの理由が考えられる。

そう、人手不足である。

世界では自動運転の話が数年前から聞こえだし、
数年前には中国のタクシーで自動運転が
テスト導入されたという話を聞いたものだが、
それ以降どうなったかは聞いたことがないし、
今のところ日本で導入されたという話も聞かない。

なので、今のところバスの運転は
人にしかできない仕事になってしまう。

しかもバスの運転手となると大型二種免許が
必要になるので、
そもそもその免許自体を持っている人が
少ないはずである。

私が働く会社でも特に工場で人手が足りておらず
募集してもなかなか人が来ない状況が
ここ数年続いている。

特に資格も何もいらない工場ですら
この状況なのに
資格が必要で、人の命を預かり、
そして、接客もしなくてはならない仕事に
なり手が少ないのは想像に難くない。

今回は減便されたにとどまったが、
今後路線自体が廃止されることも
十分に考えられるのである。

では、バスは必要最低限になっていくのかというと
そう簡単な話ではない。

バスは生活インフラとしての側面も
持ち合わせているからである。

特にバスしか交通手段のないような場所では
自分で車を運転できない高齢者の方にとっては
バスは生活の足そのものなのだ。

このような路線の場合、バスが満席になることは
きっと少ないであろう。
乗車率が少ないなかで運転することは
即ち赤字で走るということである。

しかし、それでも生活インフラとしては
完全に0にすることはできない。

そう考えていくと、バス会社の未来は
非常に厳しいものになってしまう。

もちろん少ない乗客でも運賃を今の10倍ほどにして
客単価を上げることで
何とか採算ラインに乗せる事はできるかもしれないが、
きっとそんなことをすればさらに乗客は減るだろう。

つまり、何が言いたいかというと
バスというビジネス自体がもはや
サステイナブルではなくなってきているのである。

では私達は今後どうしていけばいいのだろう。
自家用車に移行していくしかないのだろうか。

その答えは否である。

高齢者の方ならそもそも自動車には乗れないからである。

ではどうなるのかというと、
やはりできるだけ移動せずに仕事をするという
形に落ち着かざるを得ないのではないかと
私は思う。

もちろん工場など現地でないとできない仕事はあるし、
そのような工場ならば自社で運転手と車を抱えて
専属の輸送便を作らざるを得ないだろう。
(この運転手のなり手もきっと少ないだろうが)

だがどう考えてもこれからの数年間で
状況は悪化していくばかりなのである。

そう考えると、今からこの事態に備えて
仕事の在り方を見直さなくてはならないのでは
ないだろうか。

というか、もはやそんな悠長なことを
言っているフェーズではない。

コロナ禍で一度リモートに切り替えた企業も
多くが従来の形に戻ってしまったが、
これから迎えようとしている時代は
コロナ禍のように終わりがないのである。

もう後戻りできないような未来が
近くに迫っているのだ。

今回はバスをテーマに書いたが、これは決して
バスに留まる話ではない。

電車もタクシーも然りなのである。

私が直面したのは単なるバスの減便という事象であったが、
その裏には結構シリアスな事態と
近くに迫った変化が見え隠れしている気がした。

今後10年は結構劇的に色んなものが
変化しそうだと思いながら
焦らず準備をしていきたいと思う早朝であった。

ちなみに通勤時間の変更に伴って
いつも会っている人たちに会えなくなるのは
何だか寂しい気もする。

電車で私の前をロックオンするおじさんや
なぜか朝から頭があぶらっぽいおじさん、
そしてマッシュルームカットで
スーツが似合わない若者たち。

日々苦々しい思いで見ているはずだが
実は私にとって彼らに会うことは
小さな楽しみだったのかもしれないと
ふと思った私であった。


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