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関西弁というオブラート

先日なんでもやってみる母さんの記事で
この本が紹介されていた。

この本を読んで人材を無駄なことに使うことについて
書かれたこの記事は是非読んでみて欲しい。

すでに私達が直面している少子化、人手不足に対して
私達が何をすべきなのかを真剣に考えるべき時が
来ているのだと改めて考えさせられる記事であった。

そんな記事で紹介されていたこの本を
私はさっそく即日ポチして、
当日の夜から読み始めた。

これだけ人手不足の世の中でありながら
朝に頼んだ本が当日中に到着するというのは
改めてスゴイことである。

そんなことを思いながら読み始めた本書であるが、
ストーリーとしてはこの手の本に
比較的ありがちな設定。

無知な中学生の青年と、バリキャリの女性が
偶然の出会いを果たし、
ボスと呼ばれる先生に毎週お金の授業を受けるというもの。

定期的に老人であるボスの家を訪問して
教えを乞うというのはどことなく
モリー先生との火曜日を彷彿とさせるし、

先生との対話や質問の中で登場人物が
大切なことに気付いていくのは
嫌われる勇気の構図にも似ている気がする。

だが、読んでみると驚くほどボスの教えが
自分の心に入っていくのがわかり
とても色んなことを考えさせられる学びの多い本であった。

このような構図はもしかすると読者にとって
とても感情移入しやすいのかもしれない。

そんなことを思いながらこの本で学んだことを
自分なりに振り返ろうと思ったのだが、
ふとあることが気になり始めた。

なぜこの本に出てくる先生は関西弁なのか。

この本に出てくるボスは見事なまでに
関西弁を話すのである。

読み始めた時には心の中に
「なぜ関西弁なのだろう」と思ったのだが
読み進めるにつれてそんな疑問は忘れ、
すぐに教えに集中するようになっていた。

だが、これはよく考えれば不思議な話である。

別に関西弁でなくても設定上よかったはずなのに
なぜ筆者はこのボスを関西弁で描いたのだろうか。

そう考えた時に私が好きなシリーズである
夢をかなえるゾウの話が頭に出てきた。

このシリーズではガネーシャという象の姿をした
神様がダメな主人公の前にあらわれて
ガネーシャが色々なことを教えてくれるという
ストーリーが展開されるのだが、
このガネーシャも見事なまでにコテコテの関西弁を
話すのだ。

そして、驚くほどその教えが心に染み込んでいくのである。

このガネーシャの場合は神様なのに
結構だらしないところがあったりするので、
ギャップを際立たせるために
あえて関西弁にしているのかと思っていたのだが、
今回読んだ本のボスが関西弁を話すを見ていると
私の中で一つの仮説が生まれた。

もしかすると関西弁は厳しいことを
伝える際に逆にオブラートの役割を
するのではないか。

よく関東の方に関西弁で話すと
「怒っているように感じる」ということを
言われることがある。

新卒で入った会社で
関東出身の同期達と話していると
しばしばそのようなことを指摘されたが
私としては決して怒っていたり
キツい言い方をしたという認識はない。

関西の芸人さんが当たり前のように
関西弁でテレビに出て
関西弁のニュアンスを日本中に広めているので
それほど違和感を持つ人は少ないのかもしれないが、
学生時代まで関西弁の人と対話する機会がなかった
人からするとやはりキツい印象を受けたらしい。

だが、このキツさ故に本当に厳しい内容を
指摘する時にはそれがオブラートのような
役割をしているとは考えられないだろうか。

この本に出てくるボスは声を荒げたり
厳しいことを言うというわけではなかったが、
登場人物のお金に対する認識がまだ世の中の一般と
変わらなかった前半では
しばしば質問に対してNoを示している。

このくだりを標準語のみですると
Noのニュアンスがキツく感じてしまうであろう。

それは私が関西人だというのもあるかもしれないが
少なくとも標準語のほうが直線的に
Noの意思が伝わりやすいのは
間違いないであろう。

そう考えてみると、関西弁をナチュラルに話せる私は
人に対して話をするうえではアドバンテージを
持っているといえるのではないだろうか。

まさに自分では武器と思わず持っていたものが
実は武器だったと気づけたということである。

内容自体もとてもためになる本であったが、
何だかオマケまでもらえた気がして
とても得した気分になった。

ちなみに、筆者の田内学さんは
ゴールドマンサックスに16年勤められ
いまでは社会的金融教育家という肩書を
名乗られている。

出身は兵庫県と書かれていたので
純粋に自分の言葉でボスの台詞を紡ごうとした結果
関西弁になったのかもしれない。


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