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ハンディファンと違和感

数年前から夏になると街中で
こいつをよく見るようになった。

最初は高校生女子が持っていたイメージだったが、
そこからOLさん、主婦と広がっていき、
今ではおじさんも使っている姿をよく見かける。

先日出張で日中の暑い時間に電車に乗ると
面白いことに乗っている人の7割ほどが
このハンディファンを手に持っていた。

ここまでもつ人が増えるともはや夏の
必需品ともいえるのかもしれない。

だが、私は今のところコイツを持っていない。

妻は持っていて家に置かれているので、
別に持っていこうと思えば行けるのだが
持っていこうとは思わない。

なぜなら、あまり好きではないからである。

何だか汗をかいた自分の体を風で冷やすと同時に
その風は他の誰かのところに行って
不快な思いをさせてしまうかもしれないと
感じてしまうからのだ。

じゃあ、扇子も同じではないか。

そう思われるかもしれないが、
扇子に対してはあまり感じたことがない。

扇子にはほんのり香りが着けられるからだろうか。

私自身もなぜハンディファンがダメで
扇子ならOKなのかよくわからない。

そんな私がなぜか違和感を持ってしまうハンディファンだが、
これだけ広がったのはなぜだろうか。

充電式のものが出回ったことにより
手軽に持ち歩けるようになったのも一つの
大きな理由であろう。

昔からこの手の商品はあったはずだが、
昔のものは乾電池式であった。

電池が切れれば当然交換しなくてはならないが、
その手間は非常に面倒だし、
なによりコストがかかってしまう。

ところが充電式ならば、
寝る前にUSBか何かに挿しておけば
翌朝にはフル充電できてしまうし、コストも安い。

さらに現代人の多くはモバイルバッテリーを
持ち歩いているので、
万一出先でバッテリーが無くなったとしても
すぐに充電しながら使うことができる。

使いたいときに使えないというリスクは
機械自体が壊れない限り極めて低い商品なのだ。

その利便性が世の中に受け入れられたのであろう。

しかし、それならばもっと早くに広がっても
おかしくない気もする。

USBから充電できる商品は
数年前から当たり前のように売られていたし、
珍しいものではなかった。

確かにこの数年で電池技術は向上したかもしれないが、
ハンディファンのような価格帯のものに
先端技術のバッテリーが搭載されているとも思えない。

つまり電池技術の向上はこの商品が広がったことに
直接的な影響を与えていないと考えられる。

ならば一体何がこの商品を広げたのか。

それは、企業側の宣伝の成果ではないだろうか。

冒頭に書いたように、この商品は最初は
若い女性層に受け入れられていた。

とくに制服を着た高校生が多かった印象であったが、
不思議なもので高校生が使うようになると
他の世代が使いにくくなるものである。

そのせいかしばらくはこのハンディファンは
高校生の専売特許の様になっていた。

だが、企業側からすればこれでは売り上げが
一定のレベルで頭打ちになってしまう。

では、どうすればいいかと言うと
購入してくれる世代を広げていけばいいのである。

同じような発想は缶コーヒーでも行われていることが
よく知られている。

缶コーヒーと言えばかつては「職場 男性 休憩」のような
ワードが紐づくアイテムであったが、
クラフトボスのようなPETボトル商品や
缶コーヒーと同じサイズで売られる紅茶商品などを
展開することにより、そのイメージから外れる購入層に
購入してもらえる。

このような事をハンディファンのメーカーも
行っていたのではないだろうか。

そして、少しずつ各世代に対してハンディファンの
イメージを変えていくことで
今では広い世代の人に受け入れられるようになった。

そう考えるととても納得いく気がする。

だが、私はこのハンディファンに対して
いまだに何か抵抗のようなものを感じている。

これはつまり、私が目にしていないメディアで
そのイメージ戦略が繰り広げられていたからでは
ないだろうか。

ある意味、私はハンディファン教の布教活動に
偶然出くわさなかった異教徒なのである。

もちろん異教徒だからと言って、ハンディファン教を
批判するつもりは毛頭なく、
共存していきたいと思っている。

だが、マイノリティの異教徒だからこそ見えることも
あると思うのだ。

なのでこの暑い中でも私はハンディファンを持たずに
今日も会社に出勤する。

あなたが電車に乗った際に
近くに汗をかきながらも頑なにハンカチで拭くだけの
メガネのアラフォーがいたならば
それは私かもしれない。

その時はぜひお声がけいただけると嬉しい。


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