あれから半年

母がこの世を去って半年が過ぎた。

心に何の準備もないまま降って湧いた出来事に、亡くなってから1〜2ヶ月は混乱した感情のまま目の前の諸事をこなしていた。

ようやく少し落ち着き出したのは納骨を終えてからだろうか。数々の手続きが片付いてきて母のいない日常にも何となく新たなペースを感じられるようになった。

2月からの予定が繰延べになっていた読書会をようやく始めることができて、一週間のサイクルも出来てきた。

どうしようもない悲しみや罪悪感、あるいは寂しさで涙がとめどなく溢れることも気づくと減ってきていた。カレンダーを1枚めくるという具体的な行為は意識しないレベルで感情の波を穏やかにしてくれていたのかも知れない。

それでも、母の具合が急に悪くなって救急搬送され、そして合併症が重なりあっという間に旅立つまでの6日間に味わった体感覚や感情は自分の心身に深く染み付いているようで、毎月その期間を迎えるとふとした拍子に滲み出てくる。

ただ、その体感覚は季節の空気感も伴っているらしく、1月の厳寒期と真逆、この7月の猛暑にあっては滲み出るものの影響はずいぶん小さくなっているのも事実だ。

葬儀、初七日、四十九日に納骨、そして新盆。母を見送る儀式を自分なりに行い、そして半年が経った。

母が亡くなってできた心の穴が埋まることはない。けれど、その心の穴はいつか愛おしい自分の一部になるのではないだろうか。父と長兄が亡くなってできた心の穴と同じように。

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