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パブリックの始まり

 B'zのBIG を口ずさみながら、車に乗り込む。車の中でもBIGを聴く。絶対にBIGになってやろう。

 さて、僕は基本手に他人がやることには口出ししない、というか干渉しないスタンスをとっていたが、それも時と場合で区別しないといけないということが分かった。例えば、同じ空間を共有する人が、自分の嫌いなニュースを流していたとする。そこで、彼は彼、自分は自分と黙って我慢するのが今までの僕だった。ただ、これだとストレスが溜まるだけだ。一言、その番組消してくれない?楽しい話でもしようぜ。と声をかければ済む話なのだ。

ここで言えることは、同じ空間を誰かと共有している時は、パブリックなのだ。それがたとえ家族であろうとも、相手が不快になるようなことは慎むべきなのだ。空気を読むとは、そういうことだ。

最近自粛とよくいうものだが、行動の抑制より抑制すべきは、他人の心を蝕む行為である。メディアが精神衛生上よくないのもその為である。

慎みの心を持ち、人を思いやろう。パブリックは、そこから始まる。