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アルター高原に生息する雷羊、およびその雷に関する考察

なぜ雷羊は「雷」を纏えるのか?


エルデンリングには様々な謎が存在する。

黄金樹以前の時系列、陰謀の夜に何が起きたのか、メスメルって誰?、大いなる意志の正体、永遠の都に起きた悲劇、いやマジで誰なんだよメスメルは、マリカの目的と過去、ミケラの行く末と聖女トリーナ……

そんな無数に存在する謎の中でも最も理解しがたい物の一つは、間違いなくアルター高原に存在する「前転しながら雷を纏う羊」の存在だろう。

一切の前触れも示唆もなく突如として出現し、前転しながら割と嫌なタイプの多段ヒットをブチかましてくる彼ら(彼女ら)は初見の褪せ人たちに困惑か爆笑、あるいはその両方の感情を呼び起こしたに違いない。

実際その後のストーリー展開でこの雷羊たちが重要になることは一切なく、その珍妙なビジュアルとあんまりにもあんまりなテキスト的ダンマリっぷりも相まって、彼らに対して「フロム・ソフトウェアが仕組んだユーザーに対する悪ふざけ」以上の存在意義を見出すことは難しい。

しかも雷が落ちて来る場所も羊が生息している場所もまぁまぁ数多く存在しているにも関わらず、何故か雷羊が生息しているのはアルター高原の一部だけという謎の不遇っぷり。

恐らく何らかの理由や設定があっての配置ではあるのだろうが正直言って割とどうでもいいこともあり、多くの褪せ人に謎と当惑を植え付けながらも発売後2年以上に亘ってスルーされ続けてきたのだった。

そんな哀しみを背負いながら今日も健気にビリビリと前転している雷羊たちだが、実は彼らを参考に考案された「FPが続く限り雷を纏いながら無限に前転し続ける」という効果を持った『雷の羊』というそのものズバリな名前の戦技が存在する。

前転する羊を師とする戦技
嘶きの後、雷を纏ってごろりと前転する
連続で転がることができる

『雷の羊』より

原理としては「カマキリの動きを模倣して作られた」という中国拳法の蟷螂拳に近いとも言えるものの「元になっているのが前転しながら雷を纏う羊である」というただ一点でネタにしか見えないこの戦技、実は怯ませ性能の高さから対人で活用する褪せ人も少なくないと専らの噂である。

筆者は対人をほとんどやらないので噂で聞き及んだ程度の知識しかないのだが、なんでもかつて「SONICという名前の全身真っ青な褪せ人がおり、彼は『雷の羊』を用いて無数のホストを血祭りに挙げたとか、逆に挙げられたとか……

 

何とも恐ろしい話ではあるが、その噂の真偽は今回の本題ではない。

本考察の目的は「雷羊たちが纏う雷と、雷を纏う力の由来」について論じることにある。それを知るために、まず先ほど述べた『雷の羊』のテキストを見て頂きたい。

そうするとテキストの二段目に「嘶きの後、雷を纏ってごろりと前転する」という記述があることが分かるだろう。

注目して欲しいのは、この文に含まれた「雷を纏って」という部分である。何故ならエルデンリングには「雷を纏う」効果を持った祈祷が登場するからだ。

それこそが王都古竜信仰の祈祷にして、その中でも高位のものとして位置付けられる『竜雷の加護』である。

王都古竜信仰の祈祷のひとつ
その高位とされるもの 

雷を呼び、術者の身体に纏う
全身が、攻撃を弾きやすくなり
全ての状態異常耐性も高まる
ただし、雷カット率は低下してしまう 

竜に愛される者だけが
雷を、その身に纏うことができる
 

『竜雷の加護』より

この祈祷を用いる者は「雷を呼び、術者の身体に纏う」とされている。

これは雷を使用者の身体に纏って前転する効果を持った『雷の羊』に極めて酷似した内容であり、両者の間に何らかの関係性があると疑わせるのに十分な証拠となるだろう。

また『竜雷の加護』テキストの三段目を見ると「竜に愛される者だけが/雷を、その身に纏うことができる」と記されている。

特に但し書きがないことからして、この内容は雷を纏う効果一般に関する情報であると考えることができ、したがって雷を纏う存在はすべて竜に愛されているという事が分かる。

そして『竜雷の加護』が王都古竜信仰に属する祈祷であり、また狭間の地において一般的な竜は永遠を持たない卑小な末裔として古竜と明確に区別されていることから、この祈祷のテキストにおける「竜」は古竜のことを指していると考えるのが自然であろう。

つまりアルター高原で褪せ人を殺害することだけを考えて日夜修練に励んでいる異常前転雷羊たちも、どういう訳か王都の古竜信仰で祈祷を授かった高位の騎士たちと同様に古竜から愛されているということになる。

この関係を暗喩するように、先ほどからテキストを引用している『竜雷の加護』は雷呼びの教会という場所で入手できるのだが、実は『雷の羊』の戦灰をドロップするスカラベもこの教会の近辺に出現し、更に教会の周囲一帯は雷羊の一大生息地でもあるのだ。

ここまで言えばアルター高原にいる雷羊たちが「雷を纏って前転するだけの異常な羊」などではなく、『雷を纏って前転する竜に愛された異常な羊』であるとお分かり頂けたことだろう。

これこそがエルデンリングに隠された事実……発売から2年以上にも亘って誰も解き明かすことが出来なかった、疑いようのない雷羊のTRUTH(真実)なのである。


どうやって雷羊は古竜からの愛を得たのか?


とはいえ、そうなると疑問が残る。

今やアルター高原の雷羊たちが超絶愛され竜雷纏い前転羊であることに疑いの余地がないとはいえ、元々はただの羊であったはずの彼らはどのような過程を経て古竜からの愛を受けるに至ったのだろうか?

それを考える前に、狭間の地における古竜の歴史について今一度確認しておこう。


古竜の歴史

かつての時代、未だ黄金樹なきその前史において狭間の地の主は古竜であった。

彼らは巌の壁としてエルデの王たるプラキドサクスを守り、そしてプラキドサクスは「神」と呼ばれる存在と共に自らの都にして霊廟たるファルム・アズラに君臨していたのである。

そして黄金樹以後のエルデの王が「神」たるマリカの伴侶であることを考えると、恐らくプラキドサクスもまた「神」を伴侶としていたのだろう。

しかし「神」は突如としてプラキドサクスの元を去ってしまい、また同時期に始まったと思しきファルム・アズラの崩壊も相まって、プラキドサクスは時の狭間、嵐の中心と呼ばれる場所で永遠に座し、滅びゆく断末魔を上げ続けながらも伴侶たる「神」の帰還を待ち続けることを選んだ。

古竜たちがその選択にどのような反応を返したかは定かでないが、その後しばらく歴史の表舞台から古竜の姿が消えていることは確かである(この時にゴッドフレイとプラキドサクスが戦ったとする見解もあるが、諸説あるためここでは取り上げない)。

それから更に長い時間が流れて、黄金樹勢力が巨人たちの山嶺でエルデンリングを掲げてから暫く経過したであろう頃、突如として発生した大古竜グランサクスによる王都ローデイルへの侵攻から古竜戦役と呼ばれる戦いが始まった。

この戦いは数多くの古竜と英雄たちの犠牲の末、黄金のゴッドウィン古竜フォルサクスの間で結ばれた友諠が切っ掛けとなって終結し、そして王都ローデイルでは騎士を中心に王都古竜信仰と呼ばれる新たな宗教運動が巻き起こった。

このときフォルサクスの姉である古竜ランサクスは人の姿に化け、王都ローデイルにおける古竜信仰の司祭として黄金の騎士たちと交わったとされ、そんな騎士の中でも最も愛された騎士が円卓の騎士たるヴァイクであったという。

しかし陰謀の夜で死んだゴッドウィンの中で友たるフォルサクスが絶望的な戦いを開始し、そしてランサクスが最も愛したはずのヴァイクが狂い火を受領して封牢に囚われると、古竜は再び狭間の地の歴史から姿を消してしまう。

彼ら彼女らが破砕戦争およびその後の狭間の地においてどのように活動していたのかはテキストに語られておらず、そして本編においても彼らの多くは沈黙を保ち続けている。

嵐の中央に座すプラキドサクスやゴッドウィンの中で未だ戦い続けているフォルサクス、そして王都へ向かう褪せ人を阻むように現れるランサクスも含めて、褪せ人が自発的に働きかけない限りは各勢力に肩入れすることも自分のために力を奮うこともない。

プレイする褪せ人によっては古竜と戦うのはファルム・アズラの道中だけということもあり得るし、キャラクター作成時に『竜顔』のテキストで「岩の肌を持つ古竜の民がいる」と書いてあったこと以上の情報を持たないままクリアすることもあり得るだろう。

さながら長き生に倦み疲れて自ら消えてしまったかのように、彼らの足跡は途絶えているのだ……


古竜と人間の関係について

さて、前置きが長くなったがここからが本題だ。

先ほどまでの話で重要なのは王都ローデイルで騎士を中心にランサクスを司祭とする古竜への信仰が行われていたこと、そして褪せ人の中には古竜と同じく岩の肌を持った古竜の民が存在するという2点となる。

前章で取り上げた『竜雷の加護』は王都古竜信仰の祈祷であり、その「雷を纏って攻撃を弾きやすくしたり、各種耐性を向上させたりする」という効果は古竜に愛された者だけに可能な芸当であった。

この祈祷が騎士たちにとっても稀なものであったことは『竜雷の加護』が高位の祈祷と見なされていたことからも明白であり、つまり騎士の中にも古竜から「愛」と呼べるほどの感情を向けられた者は希少だったことが伺える。

一方、褪せ人の中には「古竜の民」と呼ばれる者たちが存在している。

彼らが人間でありながら古竜と同じく「岩の肌」という特徴を持っている事実は、人間と古竜の間にある種の交雑が発生していたことを示唆しているだろう。

それが実際に生物学的な繁殖行為を伴う物であったのか、あるいはもっと魔術的・概念的な交わりであったのかは定かでない(定かになることもないと思う)が、少なくとも何らかの形で人間と古竜が交わったことに疑いはない。

そう考えれば『竜雷の加護』の使用条件である「古竜からの愛」も、何かしらの捻りや含みがあるテキストというよりは人間的な性愛ないし伴侶に対する愛情のことを指している可能性が高いと思われる。

伴侶たる「神」を失ったプラキドサクスの配下たちが、長き時の末に愛すべき伴侶たちを見つけ、かつて奮った巌としての力を分け与えた……そう考えれば、なかなかどうして感動的な構図にも思えないだろうか。

この仮説が正しいとするなら、騎士たちの中でもごく一部だけが雷を纏うことが許されたのも納得である。

 ある意味において「雷を纏う」事は古竜による人間への愛情表現であり、そうした行為は選ばれた者だけが秘して行うべきなのだから。











古竜と雷羊の関係について

……とかそんな感じで終われたらいい具合にオチが付くのかもしれないが、残念ながらこれはメチャかわ☆でんぐりLightning羊が古竜に愛された理由を論じる考察である。

したがって、先ほどまで展開した内容を基に雷羊たちが古竜からの愛を受けている理由について考えなければならない。

そして口にするのが極めて憚られる上に様々な方面から批判を受けそうな内容で大変恐縮なのだが、これまでに積み上げてきた仮説を基に考えると、アルター高原の羊が雷を纏っている理由は古竜と雷羊が愛を交わしたから……つまり古竜が雷羊に対して性愛や伴侶としての感情を向けたからであると結論付けざるを得ない。

仮にそうであるとすれば雷羊たちが雷を纏えることの説明が付くし、そして何より実は全く突拍子もない説という訳でもないのである。

雷羊たちは撃破時に『角の芽』というアイテムをドロップすることがあり、これは通常の羊やその他の草食動物を撃破した際にも落とすことがあるアイテムなのだが、そのテキストには以下のような一節がある。

本来、生えるはずのない獣に芽生える角
それは坩堝の名残であるという

『角の芽』より

この文章からも分かる通り『角の芽』は本来生えるはずがない坩堝の名残としての角であり、逆説的に『角の芽』が生えている生物は坩堝の名残を残していると見なすことができる。

そして坩堝とは原初の黄金樹が宿していた生命の力として「古くは神聖視されたが、文明の後には穢れとして扱われた」のだという。

このテキストだけを見ると、黄金樹の前史に存在していた古竜たち黄金樹の原初に宿っていた生命の力である坩堝の間に関連性を見出すことは出来ないように思われるかもしれない。

しかしながら、『獣の頑健』という祈祷の中には「知性を得た獣たちによる文明が野生を失わせる危惧」を伝える旨のテキストがある。 

知性を得た獣たちは、感じていたのだろう
文明が、やがて野生を失わせることを

『獣の頑健』より

この祈祷は獣の司祭、グラングから授けられる力なのだが、彼がファルム・アズラにおいて高位の司祭に与えられるはずのチンクエディアを所持していたこと等を併せて考えると、獣の祈祷とファルム・アズラには深い関係があると考えられる。

つまりここで言う知性を得た獣たちとは、ファルム・アズラの獣人たちのことを指している可能性が高いと言えるだろう。

この事実に加えて『獣の石』という祈祷のテキストに含まれる「獣たちが知性を得たのは黄金樹以前である」と示す一節を合わせて考えると、極めて大きな問題が浮上する。

黄金樹の以前、知性を得た獣たちは
石を最初の武器にしたという

『獣の石』より

先に述べた通り、坩堝は黄金樹の原初の力であり「古くは神聖視されたが、文明の後には穢れとして扱われた」とされる。

そしてファルム・アズラの獣人たちは黄金樹の以前に知性を獲得し、そして文明がやがて野生を失わせることを危惧していた。 

すなわち黄金樹以前の段階で既に文明という概念があったにも関わらず、坩堝を穢れとして見なし始めた文明は黄金樹以降に出現したという矛盾が存在するのである。

そして坩堝が生命の混じり合っている状態と定義出来る一方で、三本指があらゆるものが大きな一つから分かたれたと述べていたことを考えると、「黄金樹の原初に存在した大きな一つの坩堝から、混じり合っていた全ての生命が分かたれた」とすれば黄金樹前史から存在した古竜などに説明が付かなくなってしまう。

これにファルム・アズラにおいて高位の司祭だったグラングが女王マリカの影従たる黒き剣のマリケスその人であったことも加味すると、知性を得た獣たちが危惧した「文明」を黄金樹の成立以降に坩堝を穢れと見なし始めた「文明」と異なる物と見なすのも不合理であろう。

この矛盾を解消するためには「生命の原初たる大きな一つ」と「黄金樹の原初の力たる坩堝」を分けて考える必要がある。

つまり三本指が語る「すべての生命が分かたれる以前にあった大きな一つ」が前者であり、生命が分かたれた後に成立した黄金樹が自らの律する内部において生命を一つに混じり合わせたことで坩堝が生まれたということになる。

こう解釈すれば、古竜や知性を得た獣といった黄金樹前史からいた存在たちは当初黄金律に組み込まれておらず、それ故に黄金樹の原初たる坩堝以前から存在することが出来たという理屈が成り立つのである。

つまり知性を得た獣=ファルム・アズラの獣人たちが危惧した「文明」は黄金樹以前から地続きで存在していた可能性が高く、したがって坩堝を穢れと見なすようになった文明の由来はファルム・アズラにあると考えるのが妥当であろう。

更にファルム・アズラが古き王たるプラキドサクスの座す都であり、同時に古竜たちの霊廟とされていることからして、そこで生まれた文明の主は獣人たちではなく古竜であったと推察される。

そしてファルム・アズラから伝わった「文明」が黄金樹の民の意識を変えていった原初黄金樹の終わり行く時代において、どうやら古竜たちは人間と交わっているらしい。

それを示唆しているのが先に述べた『竜顔』の褪せ人たちである。

褪せ人はゴッドフレイと共に狭間の地を追放された戦士たちの子孫であり、そして古竜戦役においてゴッドフレイの戦った痕跡が全く見られないことから、彼らが追放されたのは古竜戦役の前であると推察される。

故に『竜顔』の褪せ人はゴッドフレイの時代に古竜と人間が交わって生まれた者たちの子孫なのであり、これは古竜と人間はゴッドウィンとフォルサクスが友となる以前から交わりを持っていた証拠と言えるだろう。

また王都古竜信仰の時代において友好的な関係を築いていた古竜と人間の間に子孫が生まれなかったにも関わらず、褪せ人の中に古竜の特徴を持つ者たちがいるという事実から、褪せ人たちの祖先が古竜との交雑を可能とする何らかの特殊性を有していたことが示唆されている。

この特殊性こそ、坩堝に由来するものなのではないだろうか。

先ほど述べたように褪せ人の祖先である戦士たちはゴッドフレイの配下であり、そしてゴッドフレイは坩堝の騎士たちを従えていた。

彼らに代表されるような混じり合う生命としての坩堝の諸相が影響し、異種である古竜との交雑が可能となったとすれば辻褄は合う。

そして、これは人間に限った話ではない。

坩堝の諸相を色濃く反映した人間が混種となるように坩堝の諸相を強く反映した羊が存在したとしても不自然ではなく、そして人間のような異種と交配することに抵抗を持たない古竜が羊と交雑することもあり得ない話ではないのである。

少なくとも古竜が異種たる人間との間に子を為したことは『竜顔』のテキストが証明しており、更に雷羊たちが坩堝の名残とされる『角の芽』をドロップすることは最初に述べた通りだ。

仮に羊と古竜の交わりが一世代しか行われていないのだとしても、褪せ人がそうしたように雷羊の前転は模倣することで雷を纏う能力も同時にコピー可能なのだから、ある個体が得た「雷を纏う能力」が子々孫々に至るまで長年継承され続けたとしても然程驚くべきことではない。

とはいえランサクスを始めとした古竜たちが王都で受け入れられていたことを考えれば、彼ら彼女らが古竜戦役の前後で王都近辺にあるアルター高原の雷羊たちと直接的に交わっていたという可能性も無いではない。

むしろ王都古竜信仰に関連深い教会周辺に住む羊だけが雷を纏う特質を持ってことを考えると、こちらの可能性の方が高いかもしれない。

古竜に縁がある」ということで各地にいた雷羊が後から一か所に集められた可能性も無い訳ではないが……それは最早テキストに記されている範囲での考察を逸脱しているだろう。

どの仮説が正しいにせよ、ここまでの考察が正しいとすれば古竜と雷羊は何らかの形で深い繋がりを持っており、そして両者の関係は我々が考えていたよりも密接な物である可能性が高いと言える。

ひょっとすると『竜顔』の褪せ人が何の気なしに倒した雷羊が、その遠い遠い親戚だということも……あり得ないことではないのかもしれない。

…すべては、大きなひとつから、分かたれた
分かたれ、産まれ、心を持った
けれどそれは、大いなる意志の過ちだった
苦痛、絶望、そして呪い。あらゆる罪と苦しみ
それらはみな、過ちにより生じた

『灯を探すハイータ』より


人は(そして古竜も)、過ちを繰り返す……

 

 

 

終わりに

というわけで、今回の雷羊に関する考察は以上となる。

真面目にやったつもりではあるのだが、いつの間にかふざけた内容になってしまったので自分でも困惑している。

そもそも雷羊の考察を真面目にやること自体が不可能なのでは? ボブは訝しんだ。

それから今回の考察ではこのような結論に至った訳だが、もちろんこれは現時点におけるテキスト等の情報を基に私個人が行った考察であり、フロム・ソフトウェアによる公式設定と合致している保証は一切存在しない。 

そもそもDLCが出ていない現状において作中設定の考察を行うことは実のところあまり意味のある行為ではなく、この考察はDLCの内容次第で完全に否定される可能性を孕んでいる。

ひょっとするとシャドウ・アルター高原に「雷羊の群れ長」とかなんとかいうフィールドボスが実装されて、なんかすごい壮大な裏設定が明かされないとも限らないのだ!

 

……いや、まあ、自分でもそんな訳ないだろとは思うのだが、兎にも角にもそういう訳なので本考察については話半分以下で聞いて頂くのが読者にとっても私にとっても一番いいんじゃないかなと思う。

というかこの考察が正解だった場合が一番怖いので、どうかDLCで明確に否定してくださいという気持ちがある。 


そこんところマジで頼むぜ、フロム・ソフトウェア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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