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映画:オートクチュール🎀

『オートクチュール』の映画を見てきました。※ネタバレ有ります、嫌な人は読まないで下さい。

まず、言っておくのはDiorが、監修と言うことで華やかなショーが出てくるかと思いきや、リアルな職人の話です。私の受けた印象は〈フランスの移民問題〉です。現代社会においてこの事に直面している国は多いのかなとは思います。とくに欧州、イギリスははたから見てても色々な国の人を沢山受け入れていて凄いなと思います。

Diorのお針子として誇りを持って働いている責任者エステルはジャドとスアドの二人の少女の企みによるスリに合う。とったかばんから友達の誕生日プレゼントにスリをしたネックレスを渡すがユダヤの物だと宗教の違う彼女は受け取らなかった。また、その時周りからバチがあたると怒られバッグに入っていた身分証を頼りに鞄を返しに行く。

その時、エステルは罵りながらも届けたお礼にジャドを食事に誘う。食べながらエステルはジャドの「指が綺麗だから裁縫向きだ」と言うのです。私も昔お針子をしていたので《マジカよ…そんなので解る??》と心の中で呟いてしまった★ジャドはヤングケアラーで(実際には毒親)の面倒をずっと見てきた。ジャドはデザートしか注文しないエステルを不審に思い注意した。

もうね、優しく書いてるけどお互い罵り合いだからね(ꐦ°д°)( ・ὢ・ )初めて話してるのにだよ😱外人はまぁ、強いよ。定年前のマダムだって全然コムスメに負けてないからね。見ていて年齢がよく解らなくて学生?くらいかと思ってたら23年間ってセリフがでてきてました。若く見える🌱
インターネットの普及で外国人と知り合いになった時思ったのは、はっきり自分の意見を言わないと伝わらないと言うこと。そこで喧嘩になるか、そうなんだと理解して貰えるかは相手しだいだけど。日本人特有の〈言わなくても解るでしょ〉は一切通用しない。日本人は外国人に比べて弱いなと感じる。間違えたら恥ずかしいとか多分そんな風習が日本にはあるように感じる。外国では間違えたけどだから何なの?くらいの強さがある。周りが気にして無い事まで気にしすぎだと思う。

結局ジャドはDiorのアトリエに行くことになる。働きだしたら褒められる喜びと学ぶことの楽しさを感じるのか家でも練習をする熱心さ。アトリエにはいきなりきたジャドを邪険に思う人がいて度々バトルしたりロマンスもあったり成長と変化が見られます。一方、仕事人間だったエステルも現実に目を向け疎遠になっていた娘と和解しようとします。

パンフレットで見るとジャドが住んでいるのがパリの郊外で治安が悪い所の一つとされている。住人は逆に利己主義なパリジャンには差別主義が多いと思っていて"パリの連中は信用するな"と思っている。見ていて気になったのは度々「働いたら負けだ。奴隷の給料で働かされるのはまっぴら」みたいな事を言うんだよね。働けば自分のお金が手に入るし良くない?🤔と思ったんですが、意思があっても学ぶことや働くこともそう簡単では無い背景があるらしい。フランスは何のために移民を沢山受け入れてるんだろう(・・?と言う疑問も生じる。
でも、エステルの住んでいる地区も裕福層の住む場所では無くオートクチュールのお針子といってもリッチな境遇では無いことに発見する。お互いの偏見による対立を表している。ジャド役のリナさんはこの映画で気に入ったのは偏見にはなんの意味もないただの言葉だと語っている。

立体の仮縫いのモデルになり試着し高い服の良さを実感する

ジャドが「なぜ安い給料で高いドレスを作っているの?」と聞いたときエステルは「大事なのはお金じゃない。本質的な価値よ」と言う。フランス社会は手を使って作る仕事に対してのリスペクトが強いそうだ。「技術を伝えていく事。それが本当の豊かさなのよ。」と次世代に伝える事が重要視されている。DiorのYou Tubeにはよく刺繍や服を仮縫して作ってる動画がある。私も服を作っていた時、芯を貼るのも裁断するのもミシンかけるのもどの工程も好きでした。残念ながらコスト削減で働いていた会社には今はその職種が無くなりました。パタンナーもやりましたけど作るが好きでしたね。

私は手作業が好きです。日本も伝統が途絶えてきている。問題は収入が割に合わない事だろう。芸大、美大で常に学ぶ人がいるはずなのに生きていくのに生活が出来ないと厳しい。ブログや、手作りサイト見ても刺繍や、陶芸色々なものを作ってる人がいて関心してしまいます。趣味とプロの違いはそれで生活ができるかどうかなのだろうか?伝統が途絶えても再現できるように作り方を細かく記録した動画で残しておく必要とかあるんじゃないかな。


手を怪我したエステル

ジャドはエステルが最後のショーの1週間前に出社しないのを心配になり見に行って倒れているのを発見します。ヤングケアラーの彼女にはエステルの面倒をみるのは自然な事だったのかもしれません。彼女が手が使えない間、ジャドの友達のスアドとトランスジェンダーのセフォラが助けることになります。セフォラは親との確執がありエステルに娘と仲直りするよう促します。ジャドがDiorのお針子として受け入れられた頃、ケアを受けていた母親が自分で歩けるようになります。問題のある住人を周りが助けあってて優しいなと思いました。ジャドの家に招待されて行くエステルは治安の悪いと思っていたマンションの大勢の住人が、ベランダからでてエステルを歓迎してくれるのです🍀

フランス映画をあまり見たことがありませんでした。特別な派手さは無いけど、あぁ…そうだよなと思わせるじんわりとくるヒューマンストーリーでした❤

テーマとして監督の自伝に少し関係しているそうです。シルヴィー・オハヨンさんはユダヤ系チュニジア人で。広告クリエイターの役員もして小説家としても6冊本を出してるそうです。12歳でヤングケアラーを経験している。

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