学会発表

本日2022年10月8日(土)に,都内の某大学において某学会が開かれた。そこで私は対面形式では初めての発表(学会報告)をすることになっていて,実際に報告を行うことができた。以下その記録としてつらつらと書いていくことにする。徒然なるままにひぐらし……

1 家を出発する前

私が本日行った発表は,同タイトルで中身は異なっていたものであったけれど2022年8月末に某研究会にて報告したものの,拡充したものであった。8月末に発表した時のものよりは,中身の拡充を図ることができたと考えているがそれでも不十分な点が非常に多く残ったまま,本日の発表を迎えることとなった。(家を八時くらいに出発しないと本日の某学会には間に合わないのであるが,朝の四時半くらいまで連続的に,そして断続的には朝の五時半くらいまで,報告資料の調整とその印刷を行なっていた。家では朝方の時間にもかかわらず,印刷機の作動音が時間帯を配慮することなくいつも通りの音を放っていた。)

とまあ,こんな感じで慌ただしい直前準備期間を過ごして持ち物の確認をしたのちに,初めて向かうことになる都内の某大学に向けて出発した。私の報告は午後2時50分くらいから始まるものであると案内されていたが,学会の報告それ自体は朝の9時半から始まる,それも複数の部屋で同時に始まる,という案内であった。

2 某学会の会場たる某大学に到着

朝の8時過ぎに家を出発し,都内の某大学に到着したのが朝の9時25分,間に合うことができました。(yahoo!地図並びに,おそらくはその大学に勤めている先生のゼミ生たちが,係員として適材適所に道案内役としていてくれたことのおかげで,私が有している方向音痴の特性を活躍させずに済んだのである。)

3 問題発生

午前中は,私が比較的関心の強い論題が集中して発表される分科会に参加した。参加したと言っても私はその場では何か発表をするというわけではなかったのであるが,発表の最終確認を行いつつ色々な先生方の発表を聞いていた…と言いたいのであるが,ここで問題発生である。問題発生というと自然的な感じがするかもしれないのでより正確に言えば,私が問題を引き起こしてしまったのである。ちなみにその問題は,本日の午前中に始まったものであるが,報告それ自体を阻害するものでは一切なかったということは先んじて申し上げたい。

ではどういう問題を私は引き起こしたのか。それはコメンテータの先生に「発表当日」であるにもかかわらず,私の報告で用いる資料をお送りしたというものである。コメンテータの先生とは事前にやりとりをしており,すでに某学会に送られていた報告予稿に従ってコメントをする,という約束があった。ところが,その報告予稿と内容が違った発表資料を発表の当日にコメンテータの先生に送ってしまったのである。しかもメールでその資料を送ったのだが,その文面がまずかった。報告当日に,新たな資料をお送りするということを異常事態だと認識していないような文面を,私はメールの文面で送ってしまったのである。コメンテータの先生からの返信は,私がメールを送ってから大体10分程度で返ってきた。このような行動は研究者としていかがなものか,といった趣旨のメールであった。自ら地雷を設定し自ら地雷を踏み抜くという経験をしたのは,私の記憶するところ初めての経験であった。失礼を働いてしまったことは動かないので,私の知り合いや私のことを知ってくださっている先生方に相談した上で,コメンテータの先生に発表前に会って謝罪すること,かつ報告の最初で報告予稿の未完成並びに報告資料の報告予稿との異動に対する謝罪を申し上げること,の二つが必要ではないか,という話になった。私はまず前者を実行した。それが確か午後1時くらいの出来事だったと思う。研究者としてあるまじき行為をしてしまったと猛省し,午後の分科会で私が発表することになっている分科会が始まる前に,その先生にお会いし(初対面であった)謝罪を申し上げたところ,次はこのようなことを引き起こさない方がいいと思いますよ,といった趣旨の返答をしてくださった。今日の報告では報告に必要と思われる参考文献の他に,『超訳 ウィトゲンシュタインの言葉』(ディスカヴァー,2014年)を持参していた。この本は数日前に私の通う大学の近くにある古書屋で購入したものである。その本にあるウィトゲンシュタインの次の言葉を,身をもって実感,体感することとなった。

「自分の非を認めるような事柄をしぼり出すようにして口にした場合、人はそれを真摯な謝罪の行為だととらえる」(ウィトゲンシュタイン)

ここまでが私の報告が行われる分科会が始まる前に起きた,起きたというよりも私が自ら引き起こしたことの主要な顛末であった。

4 いよいよ発表

昼休憩を挟んだ後,いよいよ午後の分科会が始まった。私の報告が予定されている分科会は合計3人の発表者がいて,私は3人目の発表順であった。一人目と二人目の方が発表されている間は何をしていたのかといえば,それらの発表を聞くことと自分の発表の準備並びに最終確認をするということとを,大体半々くらいの割合で行っていたということである。一人目の報告が終わる。一人目のコメンテータのコメントが終わる。一人目がコメンテータのコメントに応答する。一人目の報告についてフロアから質問が出て質疑応答が始まる。一人目の発表プロセスが全体として終了する。若干の分数だけ休憩する。二人目の報告が終わる。二人目のコメンテータのコメントが終わる。一人目がコメンテータのコメントに応答する。ニ人目の報告についてフロアから質問が出て質疑応答が始まる。二人目の発表プロセスが全体として終了する。さあ,このタイミングになったらいよいよ私の発表だ!(なお,二人目の発表プロセス全体が終了する数分前に,とある先生が私の発表をききに私の報告のある分科会の部屋に来てくださった。)

私の報告が終わり,私が午前中に無礼を働いてしまったコメンテータの先生からコメントをいただき(そのコメントの多くは私の報告の進捗具合に対して率直な意見をくださったものであり,過ちから学ぶという経験につながる意見であった。)それに私が応答し,フロアからある先生と司会の先生から一人ずつ質問していただきそれぞれに私が応答した。その応答をもって,私の報告が含まれる分科会が終了したのである。

5 発表の後

私の報告並びに発表プロセス全体が終わったところで,フロアから質問をしてくれた先生と,前段のところで述べたとある先生との二人が,私の座っていたところに来てくださった。フロアから質問をしてくれた先生は,名刺を私にくださった。私が石倉先生の教え子であることをその先生は知っていた。そして私が今,実質的な指導教官の不在という状態に置かれているということを話すと,そういう状況に置かれている私に寄り添う態度を示した上で様々なアドヴァイスを述べてくださった。

フロアから質問をしてくれた先生と私が話している間,とある先生はその近くにいてその話を聞いていた。時々コメントを挟んでくださった。そして名刺をくださった先生が帰路につき,分科会のおこなれた部屋から退出したタイミングで,この後時間ありますか,という声をとある先生が発した。断るという選択肢を考えに乗せるということはなかった。つまり,快諾したということだ。

そのとある先生とともに二人で,分科会の部屋を後にし某大学を出て,とある居酒屋で呑みながら色々なお話をした。私はそのとある先生に奢ってもらったのであるが,お話をさせてもらった時間としてはニ時間強くらいだったように思われる。どんな話をしていたかは詳にすることを控えさせていただくが,少なくとも言えることがある。それはとある先生と共有できるバックボーンの,名刺をくださった先生との相対的な比較における,大きさの違いであった。ちょっと伝わりづらい表現となっていますね。言い換えるとこうなりますかね:とある先生と私との間で共有できるバックボーンは,私と名刺をくださった先生との間のそれよりも,大きいということである。

6 結論

何かを論じようとして書かれた文章ではない,この記事に対して結論を述べるという行為がそもそも適切であるようには思われないが,書いてしまった手前何かしら結論を述べざるを得ない状況に私は追い込まれてしまったのである。(注意されたい。私が確かにこの文面をタイピングによって書いているわけであるが,だからと言ってこの文面の全てが私の意図するままに書かれているというわけではない。言葉を書くということは,少なくともこの記事においては勝手に書くということである。別の言い方をすれば自動的に書くということである。私がタイピングしているのであるが私という人間の人為が関与しない。というよりかは,私にとって限りなく自然に近く人為を感じさせないような文体で,この記事が書かれているといった方が,この状況をより精緻に表現できている。)

hope for the best and prepare for the worst. 「備えあれば憂いなし」
されど
There is nothing either good or bad, but thinking makes it so. (Shakespeare)「物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。」

That's all for today. I hope you will enjoy my article in your own sense. Even if you do not like my article, that is okay. See you next time!



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